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侯爵の館は城といってもいいほど広大だった。マリは石造りの壮麗な城館に圧倒されながら型通りの出迎えを受けることとなった。
「ようこそ、聖女さま」
広い玄関ホールで多くの使用人たちを従えてマリを出迎えたのは、洒落たスーツを着た美男子だ。透ける金髪をなびかせて、王都でもちょっと見ないほど整った顔立ちの彼は舞台役者のように胸に手を当てた。
「お目にかかれて光栄です、聖女さま。お噂通り、可憐にして高潔なお姿。凡俗のわたくしなどあなたの高貴な立ち姿だけで浄化されてしまいそうです」
歯の浮くような口上はやっぱり舞台役者のようだ。マリもかろうじて教わった返礼として、到着前に着せられたドレスのスカートをつまんで足を引き腰を落とす。これが貴族の女性の礼、カーテシーというものらしい。
「このたびはわたくしを領地に招いてくださりありがとうございます。侯爵さまにおかれましては…」
マリの口上を金髪の舞台役者は白手袋の手を挙げて止める。
「申し訳ありません。私は侯爵ではないのです」
やってしまった。マリの澄ました顔が思わず崩れたのを見計らったように、舞台役者は面白がるように微笑んだ。
「私は侯爵の叔父……前侯爵の弟にあたります。フェルナンと申します」
叔父というには年は三十代ほどだろうか。まだずいぶん若いように思えた。
フェルナンは自ら城館の案内を買って出て、マリにはまず侯爵本人に会ってほしいと申し出た。確かにどういう処遇に置かれるにせよ、館の主に会わなければならないだろう。
「長旅でお疲れとは思いますが…」
「大丈夫です」
二年におよんだ旅を思えば、十日の旅など散歩もいいところだ。
「ありがとうございます」
どこかホッとしたようにフェルナンはマリの様子を確かめると、長い廊下をゆっくりと進む。背の高い彼は女性の歩幅に合わせて歩くことに慣れているようで、それだけでも彼の華やかな生活を思わせた。だがそれだけのことで、この落ち着いた雰囲気の城主がフェルナンではないというのも妙に納得できた。
城館は灰と青を基調とした落ち着いた内装で、大きくとられた窓からは明るい庭が見えた。庭にはこの小さな花壇がいくつも見られて、丁寧に整えられているのがうかがえる。
午後の日差しでおだやかに照らし出された庭は、マリを少しなだめてくれた。自分で思っていたより緊張しているらしい。
フェルナンのあとをついて、マリは柔らかな絨毯の廊下を踏みしめた。
長い廊下といくつかの階段を経て、フェルナンが案内したのはこぢんまりとした部屋の前だ。きっとこの館の最奥あたりになるだろう。
侯爵の叔父自らドアを開けて、さぁとマリを招いた先には大きな椅子が見える。──いや、椅子が大きく見えるのだ。
(……男の子?)
マリを見て少年は椅子から立ち上がる。そして胸に小さな手を当て目を伏せた。立礼としては最上級の礼の形だ。
「お初にお目にかかります、聖女さま。私はロジェデリオン・オリヴィエール=サロトと申します。ようこそサロトへ」
まだ甲高い声だった。短髪だが長めの黒髪。白磁といっていい白い顔立ちは幼いながらも整っているが、小さな顔には不似合いな眼鏡をかけている。眼鏡はこの国では貴重品だ。見ないわけではないが、手に入れるには大金がいる。仕立ての良い服は少年が着るにふさわしい白シャツにカーキ色のジレ、襟元は細いボウタイ。まだ膝小僧が見える半ズボンだ。
どう見ても十歳前後の少年だった。
とっさに返答できなかったマリを助けるように、フェルナンがマリの横に並び出る。
「聖女さま、こちらが我がサロト領領主、オリヴィエール侯爵です」
つまり、この少年が、
「あなたの婚約者となります」
叫び出したいのを我慢するため口をつぐんだマリを、少年は眼鏡の奥からじっと見つめている。
その深い灰色の瞳はやけに青白く見えた。
■■■
(この子が結婚相手かぁ…)
丁重に、でもどこかよそよそしい家人たちとの夕食はどことなく空々しい空気が漂っていた。
向かいで如才なく料理を口に運ぶ少年からは、糸を張ったような緊張感が伝わってくる。晩餐用にドレスを代えたマリを慣れた様子で褒め、幼いながらも滞りなくエスコートし、話しかければきちんと答える。
これが親戚の甥っ子なら将来はきっと素敵な美男子になるに違いないと勝手に鼻を高くしたことだろう。
けれどやはり彼は子供で、マリも十七になったとはいえ子供だ。今まで毎日危険と隣り合わせで不安な巡礼の旅をしてきたとはいえ、助けとなってくれたのはいずれも頼りがいのある大人ばかりだった。ここにきて子供相手となると、どこか勝手が分からない。
(第一、わたしの方がオバサンってことになるんじゃない!?)
ロジェデリオンは今年十歳だという。マリは十七歳で七歳差。どう言い繕ってもマリがオバサンだ。やっぱりロクでもない婚約なのはマリにだって理解できる。王都で誰に問いただしても侯爵の情報だけ教えてもらえなかったのは意図的だと思わざるを得ない。
さすがにこの異世界であっても十歳の子供と結婚できる法律はないので、彼が十八歳になるまで婚約という形になるという。それにしてもあんまりだ。
彼は若すぎる当主であるが故に、王都で処遇に困ったマリを押しつけられたのだ。
(どうしよう…)
おいしいはずの素晴らしく柔らかい仔牛の煮込み料理は上の空のうちに消えた。
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