第53話『囚われたカノア』

 空にはようやく薄闇が広がり始めたが、夜の到来を告げるにはまだ少し早い時間。

 一台の馬車が大きな屋敷の前で止まると、操縦席に座って居た男が厳重な門の前に立つ衛兵と会話をし始めた。

 そして操縦席の男が僅かな会話を済ませると、高さ三メートルほどは有ろうかという金属製の門が重たい音を挙げて左右に開かれていく。


「これが君の屋敷なのか?」


「そうだよ。ゆっくりとするから、期待していてね♪」


 馬車の中で二人の男女が会話をした。

 一人はカノア。もう一人はカノアをここまで攫ってきたネムと呼ばれた女だ。

 馬車がゆっくりと開かれた門の中へと進み始めると、この土地に相応しい大きな屋敷の姿が遠くに見えてくる。

 馬車の後方部までが門を通過すると、程無くして背後から門が閉ざされていく音が聞こえて来た。


「これは逃がして貰えそうにないな」


 カノアは外界と分断されたかのようなその音を聞き、半ば諦めとも取れるような皮肉を口にした。


「取って食おうって訳じゃないんだから、そんなに警戒しないでよ」


 カノアはネムの言葉を受け流しつつ、左右に広がる荘厳な庭園を視線だけを動かして確認する。

 そして数分ほど馬車が庭園の中の道を走り続けると、ようやく屋敷の玄関へと辿り着いた。


「さ、着いたよ」


 女がそう言うと同時に、外から馬車の扉が開かれる。

 開かれた扉の外には操縦席に座って居た従者がネムをエスコートするように手を伸ばしていた。


「ありがと」


 ネムはその男の手を取り、馬車の外へとゆっくり足を下ろしていく。それに続くようにしてカノアも馬車の外へと足を下ろした。


「おかえりなさいませ。ネム様」


 カノアが馬車の外へと出ると、大きな玄関扉の前に数名のメイドたちが両手を前に整列しており、その中の一人が歩み寄ってきてネムの帰還を出迎える。


「イザベラ。を連れて来たから、丁重にもてなしてあげて?」


「……かしこまりました」


 ネムに申し付けられたメイドはカノアをチラリと見た後、深々と頭を下げた。そしてネムはそれだけ伝えると、従者の男と共に玄関の方へと足を進めていく。

 それに合わせるように残っていたメイドたちが玄関の大きな扉を左右に開き、ネムは歩調を緩めることなく中へと入って行く。


「どうしたの?」


 使用人たちの動作では一切足を緩めなかったネムがその足を止め振り返ると、カノアはその質問の向き先が自身であることに気が付いた。


「……ああ、今行く」


 カノアがネムの元へと足を進めると、ネムの時と同様に玄関の左右に居たメイドたちが頭を下げて迎え入れる。

 洗練された使用人たちの所作が付け焼刃の偽物では無いことを実感したカノアは、覚悟を決めてその屋敷の中へと足を踏み入れた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「ネム様もすぐにいらっしゃいますので、こちらで少々お待ちください」


「ええ、わかりました」


 玄関先でイザベラと呼ばれたそのメイドは、この屋敷のメイド長とのことだった。

 丁重にカノアを屋敷内の一室まで案内すると、扉を開いてカノアに中に入るよう促した。

 カノアが部屋の中へと進むと、部屋の扉が音を立てないようにゆっくりと閉じられていく。


「迂闊に部屋の中の物に触れない方が良さそうだな」


 部屋の扉が閉まると、カノアは一呼吸置いて部屋の中を歩きながら確認し始める。部屋にはソファや家具などが置かれており、そこはまるで豪華なホテルのスイートルームのようだった。


「ぱっと見た感じ、おかしなところは——」


 その時カノアはあることに疑問を抱く。


「どうしてベッドが置いてあるんだ? 来客を招き入れるなら普通は応接室のはず……。だが、一般的に応接室にベッドを置くことは無い。ということは、ここは応接室ではなく、来客用の宿泊部屋か? どうしてそんな部屋に俺を——」


 カノアがベッドの近くでそんな考察を口にしていると、入り口の扉がノックされた。


「はい」


 カノアが返事をすると、扉を開いてネムが一人で入って来る。


「どう?」


 部屋に入るや否や、ネムが扉の前で何かファッションモデルのような決めポーズを取った。

 改めて見てみると先ほどまでの服と変わっており、手が半分ほど隠れるような袖をした少しゆったり目の部屋着を着ている。

 ネムはのように指先だけを袖口から覗かせて、カノアの感想を待っているようだった。


「どうって、この部屋のことか? 随分と良いデザインの物が揃っていて——」


 カノアがわざとらしくネムの期待を躱すような言葉を返すと、ネムは少し拗ねるような態度を見せる。


「部屋の話じゃなくて、私の服のこと! ちゃんと着替えて来たんだから、似合ってるぜハニー、くらいは言ってくれなくちゃ!!」


 カノアはまともに付き合うとろくなことが起きなさそうだと、ネムの話を遮断して話を切り替える。


「それよりも、まずはどういうつもりか聞かせて貰おうか」


「もう!」


 軽くいなされたことが不服であると、ネムは頬っぺたを膨らませながらカノアへと詰め寄る。


「他の女の子にはあんなに優しく出来るのに、どうして私にはしてくれないの? それとも、そうやってらすのが君の好きなプレイ?」


 ネムは無理矢理自分のペースにカノアを引き込もうと、悪戯な笑顔で揶揄おうとする。

 だが、やはりカノアはそれにも付き合うつもりは無いと極めて冷たく突き返す。


「あまりふざけないでくれ。こっちは誘拐された身だ。そんな気楽に話せるわけがないだろ」


「……」


 カノアがはっきりと拒絶を言葉で示すと、ネムはカノアの前で立ち止まり黙って下を向く。


「なんだ?」


 急に何も言わなくなったネムの様子を伺うようにカノアが疑問を呈すると、ネムは小さく言葉を零すように口を開き始める。


「……やっと、二人きりになれたのに」


「やっと?」


 ネムは顔を上げると、急にしおらしい態度でカノアへと体を密着させ始める。


「ちょ、ちょっと離れてくれ——」


 カノアはネムの予想外の行動に狼狽えながら一歩足を下げるが、ネムはそれに合わせるように一歩足を進める。


「私ね、街で貴方を見掛けた時からずっと気になっていたの。その後、わざわざ宿屋まで追いかけて行ったんだよ?」


 カノアが足を一歩後ろに下げるとネムが一歩踏み出してくる。

 二度三度その攻防を繰り返すと、次第にカノアの背後にはベッドが迫っていた。


「もしかして、宿屋でキリエが感じていた視線って言うのは——」


「そう、私」


 カノアのふくらはぎがベッドに当たると、ネムはそのままカノアをベッドへと押し倒す。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


「待てないわ。私……もう、我慢できないの」


 ネムはベッドに倒れたカノアに覆いかぶさるように自身も身を倒していく。そしてゆっくりとカノアの胸元に手を伸ばすと、カノアの来ていた服のボタンを上から一つ、二つと外していった。


「お、おい! どういうつもりだ——」


 力任せに押しのけることは可能だろうが、カノアはネムのその迷いのない行動に、虚を突かれたように受け身一辺倒になってしまう。

 やがてカノアの胸元が露わになると、ネムは少し涙ぐんだような声で言葉を零した。


「やっぱり……」


「……やっぱり?」


 その声色の変化に何か違和感を覚えたのか、カノアはネムの言葉にその真意を問い返す。


「このネックレス、アノスのテウルギアよね? どうしてあなたが持っているの?」


 ネムの問い掛けに一瞬理解が追い付かなかったものの、聞き馴染んだアノスの名に次第に脳が処理を開始する。


「……とりあえず、どいてくれないか?」


 カノアはひとまず自身の貞操が守られたことを理解すると、覆い被さっているネムに向かって避けるように告げたのだった。

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