第46話『大魔戦渦の遺物』
カノアは自身に隠れるようにしている少女とティアたちを交互に見るように視線を配る。
少し褐色掛かった肌にカノアと同じような黒色の髪。そして頭の上部分には、動物を想起させる少し短めの耳が真っ直ぐと立つように生えている。
その風貌から、カノアはその少女が自身たち人間とは異なる存在であることを、否が応でも受け入れざるを得なかった。
「カノア……その子——」
ティアが何か言い掛けると、少女がカノアの足に
「お母さんが、連れて行かれて……。お母さんを、助けて……」
少女は次第に肩で呼吸をするように息が荒くなっていく。
「おい、大丈夫か!?」
「……おかあ、さん……」
少女はそう言い残すと、カノアに体重を預けるようにして意識を失った。
「しっかりしろ!」
カノアは倒れそうになった少女を受け止めるように抱きかかえると、少女の意識に呼びかける。
だが、少女は苦しそうな表情を浮かべたまま意識が混濁しているようだった。
「無理もないさ。あんな縛られた状態で何日も運ばれていたんだ」
アイラはそう言いながら幌馬車の荷台の端まで歩み寄って来ると、腕だけを伸ばして少女の額や手首に手を当てて熱や脈を確認した。
「ひとまず安静にさせた方が良さそうだ。あんな状態じゃ、食事も睡眠も満足に与えられていなかっただろ」
アイラは静かにそう言うと、振り返ってその様子を黙って見ていた商人を睨み付ける。
「誰に頼まれて亜人なんか運んでいたんだ?」
アイラにひと睨みされると、商人は無責任にも言い訳を始めた。
「わ、私も人づてに頼まれただけなんだ! 商人仲間から荷物を無事にクサントス帝国まで運べば、貴族が金貨を数十枚は出してくれるって言われて、つい……」
アイラはその様子に、静かな怒りを見せるように商人との距離を一歩ずつ詰めていく。
「依頼人は?」
アイラに迫られて、商人は慌てて首を横に振る。
「それは私も知らない! キュアノス王国からクサントス帝国までの間を何人かの商人が指定された区間を交代しながら運んでいたんだ! 私も途中で他の商人から引き継いだだけだから、依頼人の名前までは……」
あまりにも無責任なその発言に、ついにアイラは我慢がならないと商人の胸ぐらを掴んで罵声を浴びせる。
「明らかにヤバイもん運ばされる時のやり方じゃねぇか!」
「か、金に目がくらんでしまったんだ! 許してくれ!」
商人は我が身を守る様に必死に言い訳を重ねる。
アイラもスラムに居た経験から、決して綺麗な仕事だけで生きていける程、世の中が平等なものだとは思っていない。
だが、それで「はい、そうですか」と納得出来るかはまた別の話だ。
アイラは葛藤の末に、冷静さを取り戻すように深く呼吸を行った。
「はぁ……。カノア。こいつどうするよ? 重りを付けて海にでも沈めちまうか? それともその子と同じように手足を縛って魔物が出る夜の森に放置してみるか?」
冷静さを取り戻したアイラは、いっそ怒りに身を任せて殴られていた方がマシだったと思えるような提案をしてくる。
「ほ、本当に知らなかったんだ! 勘弁してくれ!!」
商人が命乞いをするように必死に平謝りを繰り返すと、アイラは更に追い打ちを掛けるように冷たい視線をぶつけた。
「知らなかった、ねぇ……」
命を奪うまでは行かずとも、アイラなら多少のことまではやりかねない、とカノアは助け船を出すようにひとまずアイラに釘を刺す。
「物騒な話はその辺にしておくんだ」
カノアのその言葉を待っていたとアイラは、今度はティアの方に視線を向ける。
「ティア。ちょいとルイーザさんの推薦状を貸してくれないか?」
「え? うん、どうぞ?」
そう言われてティアはアイラの元へと歩み寄ると、ポケットから推薦状を出してアイラに渡す。
アイラはルイーザから預かったハグネイア騎士団の刻印が押された推薦状を受け取ると、その刻印が良く見えるように商人に見せる。
「この紋章、見たことはあるか? あのクサントス帝国の精鋭部隊、ハグネイア騎士団の紋章だ。海に沈めるかはさておき、あたしら帝国に喧嘩を売りたくないなら、今からは良く考えてから返事しろよ?」
アイラは先ほどよりもドスの利いた低めの声で商人に語り掛けた。
一度受け入れ難い話を持ち掛けて、その次に本題を持ち掛ける。これはその筋の人間が行う常套手段だが、スラム街でボスをやっていたアイラにとっては朝飯前の事だった。
「ひぃっ! ご、ご勘弁を!!」
だが商人は、アイラの少女とは思えない程の凄みに圧倒されて、命がいくつあっても足りないとその場から一目散に逃げ出した。
「あ、おい! ……ったく、この馬車どうすんだよ」
アイラであれば追い掛ければ普通に捕まえられるが、あの様子では本当に何も知ら無さそうだと、これ以上の情報は引き出せないことを悟って追及を控えた。
カノアはひとまず事態に収拾がついたところで、少しヒリついた空気を戻すようにいつもの感じでアイラに話し掛ける。
「やり過ぎだ。それに、いつからアイラはクサントス帝国の人間になったんだ?」
「ああ言えば口を割ると思ったんだけどな。ま、あの様子じゃ、あの商人は使い捨ての駒って感じだな」
アイラはつまらなそうにそう言い捨てたが、改めてカノアの方を振り向くと、何か良からぬことを思いついたとニヤリと笑う。
「——まぁ、逃げちまったんなら仕方ないよな」
カノアは何度か見たことのある、その悪ガキのような笑顔を見て溜息を吐いたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆
晴れ渡る空の下、広い平原を進むように幌馬車が揺れていた。
カノアは幌馬車の運転席に座って手綱を握っており、その視線の先では二頭の馬が悠々と歩いている。
幌馬車を操縦したことが無いカノアでも問題ない辺り、
「で、どうしてこうなっているんだ?」
カノアが後ろを振り返り、荷台に乗っているアイラに向かって言葉を投げかけた。
「良ーんだよ。この馬車もあの場に放っておくわけにいかないし、ずっと歩いて疲れてたから丁度良い拾いもんさ♪」
「これじゃ俺たちも盗賊と変わらないじゃないか……」
アイラが悪気は無いと笑うと、カノアは溜息を吐いて肩を落とす。
そしてアイラの横をチラッと見ると、膝を抱えて黙って座っているアイリと、その視線の先で眠っている亜人の少女を膝枕しているティアの様子が視界の端に映った。
「ティア」
「ん?」
カノアはひとまず沈黙を避けるようにティアに話し掛けた。
「聞きそびれてしまったが、亜人と言うのは——」
カノアがそう口にすると、ティアがその言葉を受け取って続きを話し始める。
「亜人って言うのはね、魔物の始まりの存在なの。例の人体実験で魔物が生み出されるよりも前、最初は魔素を繋ぎにして人間に動物の力を取り込もうとしていたの。その時生み出されたのが亜人。だけど、結局実験自体は上手く行かなくて、次第に動物に魔素だけを注入した魔物の製造へと実験が切り替わっていったらしいの」
ティアは、自身の膝に乗っていた亜人の少女の頭を優しく撫でながらそう語った。
「詳しいんだな」
「エルネストから教えてもらったの。それに
カノアは、ティアたちが
「その生まれた理由から、亜人に対しては差別意識を持っている人間も少なくないんだよ。戦争の為に好き勝手に軍事兵器として生み出しておきながら、本当にふざけた奴らが居たもんだ」
アイラも何か亜人について知識があるのか、口を挟むようにして言い捨てた。
二人の話しぶりを聞き、カノアは二人が少女の姿を見たときに驚いていた理由を概ね理解する。
「だから亜人は人と一緒に暮らすことは難しくて、その代わり亜人はイデア教会に行けば保護して貰えることになっているの。タラクサクムの街に着いたらまずはこの子の話を聞いてあげて、その後はイデア教会に連れて行くのが良いんじゃないかな?」
ティアは亜人の少女を慈しむように優しく撫でながらそう言った。しかし、カノアの頭の中にはアノスの言葉がよぎっていた。
「イデア教会か……」
あの日アノスが言い残した「イデア教会を探れ」という言葉。
もし想像していることが事実だとしたら、それは亜人を保護しているのではなく回収しているという言葉の方が当てはまってしまう、とカノアは頭の中でアノスの言葉を繰り返していた。
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