幕間『interlude -Love and Death-』

 何処でもない世界。

 何も無く、ただ白い空間が天と地の境目も分からないように広がっている世界。

 右も左も、上も下も、分からない。

 そんな空間を、二つの光が長い旅路を歩むように漂っていた。


 ——ねぇ。


 ——ん?


 ——あなたのこと、もっと聞かせて? 私の知らない、あなたのことを。


 ▽▲▽▲▽▲▽


「んーっ!!」


 私は目を覚ますと体を起こし、思いっきり背伸びをした。


「良かった。晴れてる♪」


 ベッドから降りて窓のカーテンを開けると私はそう言った。

 上機嫌なままパジャマから服を着替え、一階に降りて朝ご飯を作り始める。


「ふふん♪」


 今朝はお手製のパンとスープ。それに昨日貰った新鮮な野菜のサラダ。

 朝ご飯を手軽に済ませると、私はすぐに外出の準備を始めた。


「良し! バスケットは持ったし、手袋も。傘は……要らないよね♪」


 私は必要な荷物を確認すると、それらを持って家の外に向かう。


「んー、良い匂い!」


 キッチンから一つ扉を開け、そのまま廊下を進んでもう一つ扉開けた。そこには色取り取りの花たち。これは私が大切に扱っているお店の花だ。


「そう、何を隠そう私はお花屋さんなの!」


 って、誰も居ないのに、つい楽しくなって喋ってしまった。

 床や棚に置いていた花を傷つけないように、間を縫って歩く。

 今日はお店の方はお休みだから、シャッターは開けずに横の扉から外に出た。


「おや、おはようリアナちゃん。今日は、お店はお休みかい?」


 そう言って声を掛けてくれたのは、近くの果物屋のゼニアさんだ。


「おはようゼニアさん! そうなの、今日は大峡谷の辺りまでお花を摘みに行ってこようと思ってて♪」


「そうかいそうかい。綺麗なお花が入ったら、また買わせてもらうよ。けど、気を付けて行ってくるんだよ? 最近は夜じゃなくても魔物を見たって人が居るみたいだから」


「うん、ありがとう! 気を付けて行ってくるね!」


 私はこのエリュトリアの町が大好きだ。

 生まれてからずっとこの町で育って、もうちょっとで二十年が経つ。お父さんやお母さんを早くに亡くした私に、町の人たちはいつも優しくしてくれた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「んー、これも綺麗! みんな気に入ってくれるかなぁ♪」


 持って来たバスケットに丁寧にお花を摘んでいく。普段大峡谷の方まで来ることは無いから、この機会にもう少し奥の方まで行ってみることにした。

 そして少し開けた場所に出ると、私はその綺麗な景色に目を奪われた。


「うわぁ……凄い。これ何ていうお花かしら?」


 花を踏まないように気を付けて歩く。

 その場所には、花弁の先が裂けて細かくなっている、少しピンク色をした花が一面に咲き誇っていた。


「こんな場所があったなんて……」


 私は魅了されるようにその花に手を伸ばす。

 すると、「ガサッ」と近くの茂みが揺れた。


「誰!?」


 何かの気配を感じ取って私はそちらに注意を向ける。

 向こうも私の声に気付いたのか、を上げながらゆっくりと近づいて来た。


「グガアアア!!」


「魔物!? 夜じゃないのにどうして!?」


 それは見たことも無い魔物だった。大きくて黒いオオカミのような魔物。

 気が付いたときには目の前に開かれた大きな口。そこから伸びる二本の牙は、確実に私の命を奪おうとしていた。


「ガアッ!?」


 突如魔物が呻き声を上げると、何かに弾かれるように遠くに飛ばされて動かなくなった。


「え? 何が……」


 飛んで行った魔物を見て戸惑っていると、「カチャ」と甲冑の音が聞こえた。

 慌ててそちらを見ると一人の騎士様が剣を片手に立っていた。

 剣から滴り落ちる黒い血を見て、騎士様が魔物を退治してくれたことを遅れて理解する。


「あ、ありがとうございます!」


 慌てて私は立ち上がると、急いで頭を下げた。

 その騎士様の甲冑に刻まれている紋章には見覚えがあった。いや、私でなくても誰でも知っているクサントス帝国の紋章。

 エリュトリアのような小さな町に住んでいる私とは身分があまりにも違い過ぎる、本物の貴族。

 私は何かとてもまずいことをしてしまったのではないかと、次第に手に汗が滲んでいくのが分かった。


「あの! 申し訳ございませんでした! 命を救って頂きありがとうございました!!」


 謝罪なのかお礼なのか分からないような言葉を口にして、とにかく頭を下げた。

 だけど、騎士様は何も言わずただジッと私を見続けた。


「あの、何処かで会ったことが……」


 緊張に耐えられず、私はとんでもないことを口にしてしまった。


「え!?」


 しまった。騎士様がとても驚いた顔でこちらを見ている。


(帝国の騎士様が私みたいな田舎者と会ったことがあるかですって? ああ、私の人生は終わってしまった。きっとこのまま帝国に連れて帰られて処刑されるに違いない——)


「あぁ、いや、その。——怪我とかは、無いか?」


「え?」


 何故か騎士様は誤魔化すように笑っていた。


「え? ええ。あなたが助けてくださったので……」


「そ、そうか。それなら良かった!」


「?」


「じゃ、じゃあ、またな! また魔物が出る前に早く帰るんだぞ!」


 そう言い残すと、騎士様は急いでその場から走り出した。


「あ、あの! お名前は——って、行っちゃった……」


 何か焦っていたようにも見えた。でもどうして?

 一人残された私は、どうやら処刑にならずに済んだらしいことだけは理解出来た。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「いらっしゃ——て、リアナじゃない。どうしたの?」


 私が『紅い楽園』の扉を開くと、エレナが私の姿に気が付いた。


「お花を摘んで来たからお裾分けに来たの」


「あら、いつもありがとう♪ 何か飲んで行く?」


「……うん。じゃあお願いしよっかな」


「あら、珍しいのね? いつもはお花の手入れがって、すぐお店に帰っちゃうのに」


「ちょっと、ね」


 今は誰かと話したい気分だった。

 丁度今はお店にエレナ以外誰も居ない。カウンター席に座ると私は少しため息を吐いて気持ちを落ち着ける。

 綺麗な花を見つけて、魔物に襲われかけて、騎士様に助けて貰って。

 こんな田舎町に住む私にとって、今日は色んな事が起き過ぎだ。


「はい、どうぞ」


 そう言ってエレナはお酒が苦手な私の為に、ノンアルコールのジュースを出してくれた。


「ありがとう」


 私は目の前に出されたジュースを一口飲んで喉を潤す。


「あのね、エレナ。さっき——」


 ——ガチャ。


 私がエレナに話し掛けようとすると、お店の入り口の扉が開いた。

 ゆっくり話せると思ったのに残念。


「いらっしゃい! このお店は初めて?」


 エレナがお客様に声を掛けると、「カチャ」と甲冑の音がした。

 私はその聞き覚えのある音に改めて入り口の扉を見る。


「あ!」


「よ、よう! 奇遇だな!」


 そこに立っていたのはさっき大峡谷で会った騎士様だった。


「あら、お知り合い? リアナ、いつから帝国の騎士様とお知り合いになったのよ?」


「さっき大峡谷で魔物に襲われていたところを助けてくれたの」


「魔物!? まだ夜じゃないのに……」


 以前はこの辺りで魔物の話なんて聞いたことが無かった。それもお昼から魔物が出たと聞いて、エレナも信じられないと言った様子だった。


「けど、無事で良かったわ。騎士様ありがとう!」


「え? ああ、通りかかって良かったよ」


「じゃあ、騎士様もこっちに来て一緒に呑みましょ♪」


 そう言ってエレナは私の隣の席に騎士様を案内する。


「え、良いのか?」


「私の親友を助けてくれたお礼に、今日はサービスするわよ♪」


「そいつは嬉しいね! そんじゃお言葉に甘えてっと」


 騎士様が嬉しそうに私の隣の席に座った。

 どうしよう。緊張してうまく言葉が出てこないよ。


「騎士様は、お酒はお好き?」


「おうよ!」


「じゃあ、これも気に入ってくれるかしら♪」


 そう言ってエレナは後ろの棚から装飾の綺麗な瓶を手に取って、騎士様の前に置く。


「こいつは……。帝国でも見たことが無い酒だな」


「私特製のお酒よ♪」


「おお、手作りか! それは楽しみだ!」


「じゃあまずは乾杯しなくちゃね♪」


 エレナがそのお酒をグラスに注ごうとすると、騎士様は得意気に語った。


「っと、氷はいらないぜ?」


「え? どうして?」


 騎士様が急にそんなことを言い出すものだから、エレナはその言葉に驚いた。


「これ、魔女の花って呼ばれてる花を漬けて作る薬草酒なの。だから確かに氷を入れずにそのまま飲んだ方が香りが立つんだけど、どうして分かったの?」


「い、いやぁ俺ほどの酒呑みになると、何て言うか……。そう! 酒の声が聞こえるんだよ! 冷たくしない方が、香りが立って美味しいよぉってな!!」


「本当かしら? ふふっ♪」


 何か誤魔化すように騎士様がそう言うと、エレナは笑ってグラスに注いだ常温のお酒を騎士様に出した。

 初めての人とでもこんなに仲良く喋れるなんて、少しエレナが羨ましい。

 そんな二人のやり取りを黙って見ていた私にエレナが気付くと「ふふっ」と笑った。

 そして私の耳元に口を近付けると、騎士様に聞こえないように小さな声でしゃべりかけて来る。


「リアナ、そんなにずっと見てたらバレちゃうわよ♪」


「え!?」


 その時エレナに言われて気が付いた。私がずっと見ていたのは二人のやり取りではなく、騎士様の顔だったんだって。


「ちょ、ちょっと風に当たって来るね! 少し酔っちゃったみたい!」


 私は恥ずかしさのあまり、慌てて席を立ってお店の外に出た。


「あらあら、いったい何に酔ったんだか♪」


 エレナは私の席に置かれていた、アルコールの入っていないジュースを見て、そう笑っていた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「で、どうしたの? 今日は随分と機嫌が悪そうじゃない」


 それは騎士様と初めて会ったあの日から数か月ほどが過ぎた日の事だった。


「別に……」


 私は今日も『紅い楽園』でエレナに愚痴を聞いてもらっていた。


「アノス様でしょ?」


「え!? な、なんで!?」


 急にエレナが悪戯な笑顔を浮かべてそう言うから、私はびっくりして変な声を出してしまった。

 私たちは密会を繰り返すように何度も会っていたが、私はまだちゃんとお名前で呼んだことは無かった。


「ふふっ。何年一緒に居ると思ってるのよ」


「……うん。帝国の騎士様だから忙しいのは分かってるの。でも、最近全然会えてなくて……」


 頭では分かってる。身分も違うし、そもそも騎士様は私たちとは住んでいる国も違う。お忍びで月に何度かこの町に立ち寄ってくれているだけでも、本当はあり得ない事なのだ。

 でも何度も会って話をする内に、また会いたい、とそう思うようになっていた。


「たまには一杯呑んでみたら?」


 落ち込む私を見かねてエレナがそう言った。


「え、でも私お酒呑めない……」


 エレナは優しく笑うと、あの綺麗な装飾の瓶からお酒をグラスに少しだけ注いで私の前に出した。


「知らない味は、あなたを大人にしてくれるわよ?」


「これって……」


「良いの。あの人にツケておくから♪」


 一口なら大丈夫だよね。それに、あの人が好きなお酒の味を知りたい。


「んっ!?」


 私は勢いのままに一口分のお酒を呑み込んだ。すると喉やお腹の辺りが一気に熱くなって、口や鼻にほろ苦い薬草の香りが一気に広がった。


「う~!?」


 私は目が回りそうになって、そのままカウンターに突っ伏してしまった。


「ありゃりゃ……。リアナにはちょっと刺激が強過ぎたみたいね……」


 エレナの言う通りだ。お酒も恋も、私にはまだ少し苦かった。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 今日も顔馴染みのお客さんが沢山来てお花を買って行ってくれた。

 私は、私が見つけて来たお花で色んな人が笑顔になるのを見るのが好きだった。


「よし、全部片付いたかな?」


 日も暮れ始めたので、お店の外に出していた花は全部中にしまった。

 後は鍵を掛ければ私の一日は終わる——はずだった。


「あのー」


 突然誰かに声を掛けられて、私は振り向いた。


「あ、ごめんなさい、もう今日は店じまいで——って、どうしたんですか!?」


 それはアノス様だった。

 夕暮れに照らされていたからか少し顔が赤い。

 けどそれは、きっと夕暮れのせいじゃなくて、またどこかでお酒を呑んで来たのだと思うほどには、アノス様の人となりを分かり始めていた。


「……ちょっと、花が欲しくてよ」

 

 少し気恥ずかしそうに笑うアノス様の顔は、今までに見たことの無いものだった。

 顔が赤いのがお酒のせいじゃないと分かった時、勝手に分かった気になっていたんだと、胸の奥が少しチクっとした。


「そ、そうなんですか。でも全部片付けちゃって……」


 私は自分の気持ちを隠したかったからか、咄嗟に誤魔化してしまった。

 お花はただお店の中に入れただけだから、少し狭いけど中に入って貰えばお売りすることは出来る。

 でも——。


「誰かにあげるんですか?」


「え?」


 嫉妬していたんだと思う。私は自分でも少し冷たい言い方をしてしまったことを分かってた。

 でも、アノス様が誰かにあげるための花を売るなんて私には——


「そ、そうだな……。まぁ、そんなところだ」


 アノス様も何か隠すように、少し誤魔化すような言い方をした。

 綺麗な花だって、いつかは枯れてしまう時が来る。

 私は今がその時なんだって、自分の胸に秘めていた気持ちが少し、しおれていくのを感じた。


「どんな花を探しているんですか?」


 私はお花を片付けたお店の中にアノス様を案内する。

 中に入って貰うとゆっくりとシャッターを閉めた。それは私の抱いていた気持ちが外に出てしまわないように心も閉ざしたかったから。

 早くお売りして一人になりたい。そんな私の気持ちを引き裂くように、運命は牙をむく。


「えっと、名前は分からないんだが。花弁の先が裂けて細かくなっている、少しピンク色をした花、だったかな」


 その言葉を聞いて手が止まった。でも、バレないようにすぐに店の奥に行って、その花を手に取って戻って来た。

 これは、あの時初めてアノス様に出会った時の花。私にとっても、大切な思い出になった花。それを誰かにあげるために私に売らせるなんて、運命はどれだけ私の事が嫌いなんだろう。


「これ、ですか?」


「お! それだ! どうしても渡したい人が居るんだ。プレゼント用に包んでもらうことって出来るか?」


「ええ、分かりました」


 少し鼻の奥が湿ってきて、目頭が熱くなった気がした。

 アノス様に分からないように背中を向けて、綺麗に花を包んだ。

 もう少し。これを渡して気付かれない内にさっさと帰って貰おう。


「どうぞ」


 精一杯の笑顔を作って、私はそれを渡す。


「どうされたんですか?」


 アノス様はその花を手に取ると、ジッと見て何かを考えていた。

 そしてパッと顔を上げたかと、その花を私の方に差し出した。


「きゅ、急にこんなこと言われて困るかもしれないが、俺の恋人になって欲しい!!」


 アノス様はピンク色の花を私に向けながら、そう言って深々と頭を下げた。


「え……」


 少し沈黙が流れると、アノス様はゆっくりと顔を上げた。

 

「えっと、その。返事は——って、ええ!?」

 

 何を驚いているのだろうと思った。

 呆然と立ち尽くしていた私に、アノス様は慌てながら申し訳なさそうに身振り手振りを繰り返す。

 

「す、すまん! 泣かせるつもりなんか全然なくて!!」


 そう言われて、私は自分の目から温かいものが頬を伝っていることに気が付く。それからは自分の感情を抑えることが出来なかった。


「私、私……。っ。うっ」


 言葉が喉につっかえて、うまく出てこない。でも、感情だけは嘘みたいに溢れてくる。

 

「馬鹿! 馬鹿!」


 気が付いたら、私はアノス様の胸に飛び込んで抱きしめていた。


「……わりぃ。大事にするからよ」


 そう言って、私の頭をアノス様は優しく撫でてくれた。

 今まで聞いたどれとも違う、優しくて、甘くて、温かい声。


「それってお花の事? それとも——んっ!?」


 お返しに少し意地悪しようと思ったのに、唇を塞がれてしまった。

 アノス様の温かい吐息が私の顔に掛かると、私の顔も段々と熱くなっていくのが分かった。

 そしてアノス様はゆっくり顔を離すと、優しく微笑んでくれた。


「どっちもだ」


 初めての口づけは少し甘くて、お酒のように苦くはなかった。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「え!? 結婚!?」


 それは、私たちが出会ってから一年くらいが経った頃の話だ。

 いつも通り『紅い楽園』のカウンターで、エレナとアノス様と三人で話していた。


「私は勿論嬉しいけど、どうするの?」


「何がだ?」


「何がって、仮にもあなたはクサントス帝国の騎士でしょ? それに最近、近衛騎士団の団長にも推薦されたって言ってたじゃない。二人が幸せならって今まで黙っていたけど、結婚ともなると話は別よ。貴族がそんな好き勝手に結婚なんかして大丈夫なの?」


「はん! 俺の人生だ。俺が決めて何が悪い! ——って言いたいところだが、エレナの言うことも最もだ」


「じゃあどうするのよ?」


「……国には黙ってるつもりだ」


「はぁ!?」


 エレナが信じられないと机を叩いた。


「良いんだよ。俺たちが互いに夫婦だと認めていれば」


「あなた、そんなこと言ってリアナのこと都合の良い女にしようとしてないわよね?」


 エレナが詰め寄ると、アノス様が慌てふためく。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺は本当にリアナ一筋なんだ!」


 その様子を見て、エレナは少し意地悪が過ぎたと笑った。


「ふふっ。分かってるわよ。とりあえず、この先どうするかは三人で作戦会議しましょうか」


 エレナは楽しそうにそう言うと、お祝いにとあの装飾の綺麗なお酒を出してくれた。

 私はその少しだけ苦い味を、美味しいと感じるようになっていた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 あれから何年か経つと、私たちの間には子供が生まれていた。

 名前はルビー。本当に可愛くて、私たちの大切な宝物。


「すまない、リアナ。次はいつ戻って来られるか分からない」


「ええ、あの子と一緒に待ってるわ」


 最近、色んな国が魔物に襲われていた。クサントス帝国の周辺区域の町や村も軒並み襲われているらしく、アノス様はその対応に追われていた。


「エリュトロン王国ではまだ魔物の話はあまり聞いていないが、以前の事もある。気を付けるんだぞ」


「ええ、あなたも気を付けて」


 私たちは互いの無事を願って抱き合った。その温もりは、アノス様の居ない間も私の心を支えてくれた。

 だけど、やっぱり一人の夜は急な寂しさに襲われることもある。その日ルビーを寝かしつけた後、私はなかなか寝付けずにいた。


「あ……」


 ふとテーブルの上に置かれた綺麗な装飾の瓶を見つけると、私は慣れない手つきでグラスに少しだけ注いだ。


「ん……」

 

 香りと共にあの人との思い出が広がった。

 だけど、思い出した分寂しさも広がる。

 少しは慣れたと思ったこの味も、やっぱり私にはまだ苦かった。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 そしてあの日、私たちの町を大魔戦渦マギアシュトロームが襲った。


「ルビー! ルビー!!」


 私は叫び続けた。でも、どんなに叫んでも、ルビーの姿を見つけることが出来なかった。

 私は絶望した。幸せだった日々も、思い出の詰まった場所も。全て奪われてしまった。

 人は幸せになってはいけないの?

 人は幸せを願ってはいけないの?

 ただ、静かに暮らしたかっただけなのに。


「くくく。魂が良い色になってきましたね」


 そしてあの日、私の前にあの男が現れた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「ん……。ママ?」


「目が覚めた? ルビー」


 大魔戦渦マギアシュトロームが過ぎ去った日からどれくらい時間が経っただろうか。

 多くの人たちが亡くなり、生き残った人たちで助け合いながら、何とかその日を生きていた。

 だけど、その残った人たちも、日に日にその命を落としていく。その理由を私だけが知っていた。


「ママ……。お腹すいた」


 今、目の前に居る私の娘。もう絶対に、この子を離したりしない。

 ただ娘の安寧だけを願って、私は生きた。


「リアナ!!」


 懐かしい声が聞こえた。


「あなた……」


 どれくらい会えていなかっただろうか。

 その声が聞こえると私の目から熱いものが溢れ出た。まだ泣けるだけの感情が自分の中に残っていたことに私は驚いた。


「帰って来てくれて、ありがとう……」


「すまない……。大事にするって言ったのに、俺は……」


「良いのよ。あなたはあなたの求められることをしていたんでしょ? 愛するあなたが英雄だなんて、私みんなに自慢しちゃおうかしら」


「リアナ……」

 

 アノス様は私とルビーをしっかりと抱きしめてくれた。それが嬉しくて、私はまた涙が零れた。

 だけど、その涙もすぐに別れの涙に変わった。私以外の町の人はみんな居なくなり、エレナは最期まで私たちの心配をしてくれていたことを思い出す。


「ごめんね、エレナ。私もすぐにそっちに行くから……」


「ママ! ママ!!」


 ルビーごめんね。

 ママ、ちゃんとママを出来てたかな?

 もっと一緒に居たかったな。

 アノス様とも。ルビーとも。もっと一緒に。


「リアナ!!」


 二人の泣き叫ぶ顔が、私の最期に見た記憶だった——。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「ん……」


 私が目を覚ますと、見慣れない部屋だった。


「ここは……」


 いつか小さな頃に見せてもらった気がする、ギルドの二階の宿泊部屋。

 つまりここはエリュトリアの——。

 その時、部屋の扉がガチャリと開いた。


「え……?」


 私は目を疑った。少し大人びたその姿も、私の愛する人だとすぐに分かった。


「目、覚めたか?」


 懐かしい声。優しく包み込んでくれるようなその声に、私の心が揺れる。


「ここは……。それに私……死んだはず、よね?」


 確かこのギルドも大魔戦渦マギアシュトロームで壊れてしまったはず。

 それに窓から見える景色も、多くの家々に灯る明かりがここが町として機能していることを示していた。


「ルビーは!?」


 私の頭にふと最期に見た二人の顔が蘇った。そしてこの場に居ない、愛する娘の事を思い出すと咄嗟に叫んでしまった。


「大丈夫だ。下の階で寝てる」


「そう……」


「……あれから、随分大きくなったぞ」


 アノス様はそう言って私のことを優しく抱きしめてくれた。


「どういう、こと……?」


 私はその夜、アノス様から何があったのか聞いた。

 大魔戦渦マギアシュトロームの真実も、この町を滅ぼしたハロス病のことも。

 そして、あの秘密を抱えていた私は、それが嘘ではないことをすぐに理解した。


 △▼△▼△▼△


 ——ねぇ、あなた。


 ——ん?


 ——あなたはどうして私が生き返った時に驚かなかったの?


 ——んー。知ってたから、かな。


 ——私が生き返ることを?


 ——そうさ。それに——、


 ——私と出会う前から、私のことを知ってた?


 ——ははっ! 参ったな、流石リアナだ。俺の言いたい事をよく分ってる。だが、どうしてそう思ったんだ?


 ——んー。なんか、あの日会ったのが初めてじゃない気がしたの。


 ——そうか。それもまた、運命か。


 ——ねぇ?


 ——ん?


 ——あなたのこと、もっと聞かせて? 私の知らない、あなたのことを。


 ——そうだな。じゃあまずは、この世界じゃない別の世界のことから教えてやろう!


 ——ふふっ、何それ。でも、面白そうな話ね。


 行く宛は分からない。

 長い長い旅路は、まだ始まったばかり。

 二つの光は寄り添いながら、何処までも広がる白い世界を漂っていた。

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