第42話『戦いの傷跡』
荒野には雨が降り続いていた。
それはまるで、深く残された戦いの傷跡を洗い流しているように。
「アノスさん、俺は……」
カノアが旧ギルドの大広間で一人待っていると、奥に続く扉が軋んだ音を立てて開かれた。
カノアは顔を上げて扉の方を見ると、ティアとアイラと目が合った。
二人はカノアと目が合うと、哀愁を帯びた顔で首を横に振る。
「……もう少し、待ってみよ?」
ティアとアイラはカノアの元へと歩いてくると、同じテーブルに腰を下ろす。
「って言っても、誰か傍に居てやんねぇと、余計に塞ぎ込んじまうよな……」
アイラもどうしたものかと、悩ましげな表情だ。
カノアたちはゲブラーとの戦いを終え、昨夜ギルドに戻って来ていた。
アノスの事はルイーザたちに任せたが、ルビーは戻って来てすぐにアノスたちの部屋に閉じ籠った切り出て来なくなった。
それから丸一日が立っていた。
「あたしもさ、昔大切な人を亡くしたんだ。その人のお陰で今のあたしがある。だから、こういう時こそ誰かが傍に居て支えてやんねぇといけねぇんだよ。なのに、あたしは……」
アイラは悔しそうな顔で自身の無力さを滲ませる。
「ね、カノア? やっぱりカノアがもう一度声を掛けてみてくれない?」
「そう、だな……」
カノアも何度も声を掛けていた。だが、すすり泣く声だけが聞こえて来て、返事は一度も返って来なかった。
何処か上の空で返事をするカノアに、アイラが言葉を投げかける。
「……なぁ、カノア。あいつらはいったい何者なんだ? キュアノス王国を出る時も襲って来て、今回も……。それに、昨日のカノアのあの姿は何なんだよ? いったい何がどうなってやがんだ?」
アイラもあの場でカノアの変貌を遂げた姿を見ている。
髪は白く、背中には純白の翼。とても人間の姿とは思えないその風貌は、その場に居た人間たちの目を釘付けにした。
「あれは……。すまない、俺もはっきりとは分かっていないんだ」
「何だよそれ!? 今更隠し事する気かよ!!」
バンッと音を立てて、アイラが机を叩く。
だが、無理もない。短い期間とは言え、出会ってからここまで何度も戦いを共にした。
もはや他人行儀で居られるほど、軽薄な関係性では無いはずだ。
「アイラ、落ち着いて? カノアも多分本当に分かってない事なの」
ティアがアイラを落ち着かせるように優しくなだめる。そして、カノアの方を向いて諭すように語り掛ける。
「ね、カノア。アイラにも、分かる範囲で話してあげられないかな? その、研究所から逃げるときに私にも教えてくれた話とか。それに、私も聞きたいことが色々とあるし」
「……ああ、分かった」
そしてカノアはゆっくりと口を開く。
アマデウスと言う存在について、そして、この世界で起きているループについて。
敵が話していた情報を思い出しながら、パズルのピースを埋めていくように一つずつ繋ぎ合わせていく。
雨は降り続ける。主を失ったエリュトリアの町は、多くの涙に濡れていた。
◆◇◆◇◆◇◆
「パパ……。ママ……」
どれ程涙が流れても、その悲しみが消えることは無かった。
——俺が居なくなっても周りの人を頼りなさい。
ルビーはアノスたちの部屋に籠り、その行く宛の無い悲しみをただ繰り返す。それはまるで、リフレインし続ける音楽が悲しみを奏でるように。
——お前は一人じゃない、強く生きるんだ。
アノスが掛けてくれた最期の言葉。
ルビーは何度も思い出す。
その度に、悲しみが込み上げる。
もう、その言葉を掛けてくれる人は居ないのだと。
雨音は悲しみの調べ。ルビーの泣声が主旋律となって、この町に止むことの無い悲しみが降り続いていた。
◆◇◆◇◆◇◆
「なるほどな……」
ドロシーは神妙な面持ちでティアの話を聞いていた。
昨日もずっと大広間で待っていたが結局ルビーが部屋から出てくることは無く、この日ティアは報告も兼ねてドロシーの家を一人で訪れていた。
「そのゲブラーと名乗った者、そして黒いローブを着ていた連中。恐らくイデア教会の者と見て間違いないだろう」
「イデア教会!? どうして教会が!?」
ドロシーの言葉にティアは信じられないと声を上げる。
「まだ可能性の話だが、私も研究をしていてその中に奴らの痕跡を見つけた。以前、魔素が人の手で作られた可能性についても触れたと思うが、それにイデア教会が関与している可能性が非常に高い。だが、奴らが何の目的でそんなことをしているのかまでは、まだ掴めていない」
「でも、教会は各国に存在していて、どんな争いにも中立の立場のはず。この世界の人々の心の支えになってるはずの教会が、人体実験をしているなんて……」
「人体実験?」
ドロシーの問い掛けに、ティアは自身もその被害者であったことを思い出す。
「アマデウスって呼ばれてた。キュアノス王国で私によく似た子に会って、今回はルビーがそう呼ばれてたの」
「アマデウス……。神に愛された者、か」
「ドロシーさん、何か知ってるの?」
「この国に残されていた文献にもその言葉が出て来た。だが、奴らがそう言っていたのであれば、もしかすると私の、いや、あの研究書を残した魔女の仮説は正しいのかもしれない」
「魔女の仮説?」
「私の研究はその魔女から引き継いだものなんだ。だが、その魔女には会ったこともないし、分かっているのは名前がライカということだけだ。私は導かれるようにその研究に辿り着き、今もずっとその真実を追いかけている」
ドロシーは何か考え込むように小難しい顔で答えた。
「もし何か分かったらお前さんにも教えるよ。今は未だ、調べなければならないことが多過ぎる」
「うん、わかった」
「それで、お前さんたちはこの後どうするんだ? まだしばらく町には居るのか?」
「ううん、私たちはクサントス帝国に行くの。みんなとも合流しなきゃだし、それに……」
「それに?」
「止めなきゃいけないから」
ティアは強い意志を示すようにそう言った。
覚悟を決めた少女の顔。ドロシーはそれを見ると、部屋の奥から一つの杖を取ってきてティアに渡す。
「そう言うことなら、こいつを渡しておかないとな」
「これって……」
それは宝飾鮮やかな魔導師の短杖。いくつもの色の魔素石が持ち手の部分に埋め込まれ、短杖ながらもゲブラーが振るっていた杖にも劣らない程の煌びやかさだ。
「こいつの名前はアルバテル。完成したからには、いつまでも神具もどきと呼ぶわけにもいかないからな。それと、短杖にしておいたから持ち運びで不便することも無いだろう」
「ありがとう、ドロシーさん!」
ティアは短杖を受け取って服の内側に入れる。
そしてティアはドロシーに別れを告げると、旅立つ決意を新たにしたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆
翌日も雨は降り続いていた。
エリュトロン王城の大聖堂に、しんしんと降りしきる雨音が微かに響く。
「さぁ、皆の者。最期の別れだ」
ルイーザの強く芯の通った声は、雨音を一掃した。大聖堂の中に反響する声は、悲しみを振り払おうとするルイーザ自身の心そのものだったのかもしれない。
エリュトリアの町の人々やハグネイア騎士団の人間たちが、順番に棺に花を納めて祈りを奉げていく。
「さぁ、カノア殿」
ルイーザに声を掛けられると、カノアは自分の番が回ってきたことを理解する。
「アノスさん……」
棺の横に立つと、その安らかな顔に悲しみが込み上げてくる。
その悲しみに暮れる後ろ姿をティアたちも見守る。だが、この場にルビーの姿だけが無かった。
「よし、これで全員だな。では、後は我々でアノス殿のご遺体を——」
——バンッ!!
ルイーザが別れの儀を終わらせようとすると、締め切られていた大聖堂の扉が開いた。
「ルビー!」
カノアはその姿に声を上げた。
泣き腫らした顔をした少女が、真っ直ぐ棺の方に歩いてくる。一歩ずつ、ゆっくりと足を前に踏み出して。
その一歩はとても小さく、ルビーが幼い少女であることを改めて理解させられる。
「パパ……」
ルビーは棺の前に立つと微かな声でそう呼んだ。
「いつもお酒ばっかり呑んでて、いつも顔をべたべた引っ付けてきて。でも、ずっと分かってた。ママが居なくなってから、ずっと私の事を考えてくれてたこと」
ルビーの涙交じりの声が次第に震えを帯び始める。その声色を、多くの人々が固唾を呑んで見守った。
「……ごめん……なさい……。もっと、ありがとうって言っておけば良かった! もっと、大好きだよって言っておけば良かった!! 私、私……、うぇぇぇん!!」
ルビーは
ルイーザは何も言わず、そっと後ろからルビーを抱きしめる。ルイーザの目から涙が頬を伝うのも、その肩がルビーと一緒に静かに震えていたのも、カノアはただ黙って見ていることしか出来なかった。
(俺は——)
カノアは心の中で何度も自分自身に問い掛ける。
今、自分に出来ることは何なのか。少女の悲しみを少しでも癒すためには。
戦いが残した傷跡は、カノア自身にも、深く、深く、刻まれていた。
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