第17話『刺激的なモーニングコール』

 日が沈み、空に薄闇が広がり始めた頃。旧ギルドの扉が勢いよく開かれた。


「たっだいまぁ~!」


 アノスの声が聞こえると、エプロン姿のルビーが奥のキッチンの方から姿を現す。


「ちょっとパパ! ご飯作ってるのにどうしてお酒を呑んで帰って来るの!?」


「いや~、ちとこいつと遊んでたら盛り上がっちまってよう!」


 カノアの首に腕を掛け、半分担がれたような姿でアノスは笑う。


「もう! カノアが一緒ならちゃんと止めてよね!」


「すまないルビー。止められなかった……」


 幼い少女に怒られると、カノアは申し訳なさそうに謝った。


「あ、カノア。おかえり!」


 カノアたちの会話が聞こえたのか、奥の方からエプロン姿のティアが顔を覗かせる。


「今日はティアとルビーがご飯を作っているのか?」


「うん。アイラたちにはリアナさんのことをお願いしてるの」


(ということは、ひとまず全員無事か)


 前回カノアは『紅い楽園』を出た後、黒いローブの男を追いかけて町の外に一人で出て行った。

 そしてその後、ここに戻って来た時は惨劇が起きた後だった。


「二人とも、もうご飯は食べちゃった?」


「いや、リアナさんの所には行っていたが、食事はまだだ」


「俺も食べるぅ~♪」


 カノアに便乗するように、酔っぱらったアノスが挙手をしてへらへらと笑う。


「じゃあ二人の分も用意するね♪」


 そう言ってティアは奥のキッチンの方へと戻っていく。

 ひとまずカノアは、自分にもたれ掛かっているアノスを適当な椅子に座らせて一息ついた。


「パパ! もうすぐご飯が来るから、そこで寝ないでよね!」


「らいじょうぶらって~。テーブル冷たくてきもちいぃ~♪」


「もう!」


 アノスはテーブルに突っ伏すように顔を引っ付けると、怪しげな呂律で返事をする。


「ルビー。少しだけ夜風に当たって来るよ」


 カノアはルビーにそう告げると、入り口を出てそのすぐ横にあった適当な段差に腰を下ろす。


「昨日俺が町の外に出て行った後、何が起きたんだ? 敵の仕業であることは間違いないと思うが、目的は何だ? それにあの黒いローブの男は俺を外に連れ出すのが目的だったようにも思える。アポカリプス機関とやらとの関係もよく分らない——」


 カノアが状況を整理しながら独り言を呟いていると、入り口の扉が開いてルビーが外に出て来た。


「カノア。もしかして何かあったの?」


 カノアは返事に迷う。確かに前回死者が生き返っている件について隠し事をし、ルビーを不安にさせてしまった。

 だが今回は明確に敵の存在が見え隠れしている。

 喋ってしまうことでルビーも意図せず危険に巻き込んでしまうのではないか。そう思うと、カノアは黒いローブの男について言い出せなかった。


「この町の人が異常に増えていることについて考えていたんだ。ニコラスさんたちが生き返った結果、多くの命が救われた未来に書き換わっているんじゃないかと思っている」


「だからママ昨日よりも体調が悪そうに……」


 そう言ってルビーは、不安と悲しみが入り混じった表情で俯いた。


「今はアイラたちが見てくれているらしいが、大丈夫そうか?」


「分からない。……ママのことは、アイラお姉ちゃんたちにお願いしてたから」


「ルビーは一緒に居なかったのか?」


「……うん、ちょっと」


 何か後ろめたさを感じさせるように、ルビーは歯切れが悪い返事をする。

 カノアが少し黙ると、ルビーの方から先に口を開いた。


「実はね、今朝カノアに黙っていたことがあるの」


「何かあったのか?」


 ルビーは胸の内に秘めていた不安を吐き出すように、恐る恐る言葉を絞り出す。


「今朝、カノアが怖い夢を見たって言ってたでしょ? 実は私も昨日は嫌な夢を見た気がするの。パパが胸を剣で刺されるような——。それを思い出すと、パパやママと一緒に居るのが怖くて!」


 ルビーは悪夢に苛まれるように目を強く瞑る。

 その姿に、カノアは心臓を掴まれたような痛みが走った。


(まさか、のか!?)


 ルビーのその言葉は、前回この旧ギルドに帰って来た時にアノスが倒れていた状況と合致していた。


「ううん、ごめん。そんなことないわよね。さっきだってパパは元気だったし……。私も嫌な夢のせいで、どうかしちゃってるみたい」


 にわかに信じ難いと、カノアは上手く言葉が出てこない。

 何か伝えねばならない状況であることを頭では理解しているが、言葉が浮かんでは消えてを繰り返す。

 二人の間に僅かばかりの静寂が訪れていると、入り口の扉が開いて中からティアが出てきた。


「ご飯の準備できたよ?」


 カノアたちは、胸に抱えたわだかまりが消えないまま建物の中へと戻って行った。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 食事を済ませると、全員が各々の部屋へと戻った。

 それはカノアも例外ではなく、一人ベッドに横になり天井を見上げていた。


「前回と同様であれば、既に襲撃が行われた時間は過ぎていることになる。だが、ここまでは何もなかった。俺がここに居ると襲撃が起きないのか?」


 カノアは前回の記憶と今の状況を照らし合わせながら、その差異を整理していく。


「いや、油断は出来ない。考えたくは無いが、この建物の中に襲撃の犯人が居る可能性だって否定出来ないんだ」


 カノアはそう言いながら、この建物の中に居る人の顔を一人一人思い浮かべていく。

 だが今回はメラトリス村とは状況が違う。ティアたちは勿論のことだが、アノスたちについてもそれぞれに信頼を置けるような人たちであることをカノアは感じている。


「まさか誰か知らない人間が建物の何処かに潜んで居るのか?」


 あり得るかどうかはさておき、カノアは可能な限り起こり得るパターンを羅列していく。


「……今夜は、少し長くなるかもしれないな」


 そう言うとカノアはベッドから降りて部屋の入り口の方に足を進めると、部屋の明かりを消した。

 そしてベッドには戻らず、扉横の壁に背中を預けるようにして座った。


「何か動きがあればこれで分かるかもしれない。黙ってベッド寝ているより、少しは外の音も拾えるだろう」


 カノアの部屋は二階に上がって一番手前にあった。扉のすぐ近くに座っていれば、誰かが一階から上がって来た時に足音で分かる。

 自分で自分を納得させるようにそう呟くと、カノアは片膝を立てて両手で抱えた。


(静かだな……)


 静寂の漂う宵闇の中。

 人の気配は無い。

 聞き耳を立てて部屋の外に神経を集中させる。

 一刻、また一刻と時間は流れる。


 ——そして、カノアのまぶたは次第に閉じていった。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「カノア!?」


「うぐっ!?」


 部屋の入り口の扉が勢いよく開くと、横で座っていたカノアに目覚めの一撃をお見舞いした。

 片膝を立てていたので顔面への直撃は免れたが、モーニングコールとしては少々刺激的だ。


「え、カノア!? そんな場所で何やってるの!?」


 ティアは開けた扉に何かがぶつかったので部屋の中に足を踏み入れると、膝を押さえながら身悶えするカノアの姿があった。


「ご、ごめんね! 何度もノックしたけど返事が無かったから、何かあったんじゃないかって、つい……」


「い、いや。こんな場所で寝ていた俺が悪い……」


 カノアは痛みと格闘しながらも、ベッドではなく扉の横で寝ていたという気恥ずかしさを気取られないように平静を装った。

 だが窓の外から差し込む光に気が付くと、冷静さを欠いたようにティアの肩を掴んだ。


「ティア!」


「え!? な、何!?」


 急に肩を掴まれたので、ティアは驚きの声を上げた。


「今は朝か!?」


「そ、そうだけど、どうしたの?」


「昨日は何も無かったか!?」


 いったい何に焦っているのだろうとティアが困惑していると、開けっ放しだった扉からアノスが顔を覗かせる。


「お、朝からお楽しみ中か?」


「アノスさん!」


 その顔を見て安堵したと、カノアは掴んでいたティアの肩から手を放す。


「騒いでしまってすみません。ティアも、その、……すまない」


 第三者がこの状況を見ていれば、ベッドがあるにも関わらず壁にもたれかかって寝ていて、起きた途端に女の子に迫るという何とも奇妙な行動を取っているカノアの一部始終が晒されたわけだ。

 カノアは自身の行動を振り返ると、恥ずかしさが遅れるように込み上げてくる。


「なんだ? 稽古のし過ぎで頭でもおかしくなったか?」


 アノスは揶揄からかうように笑ったが、真面目に心配されるよりも幾分かマシだとカノアは苦笑いを浮かべる。

 膝の辺りにじんわりと残る痛みが、日付がループしていないことをカノアに告げていた。

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