第14話『テウルギア』

 その日、カノアは扉をノックする音で目を覚ました。


「ん……」


「カノア? 起きてる?」


 扉の向こうから幼い少女の声が聞こえてくる。


「ああ、今開ける——」


 カノアはそう答えてベッドから降りる。

 寝惚けた頭が次第にはっきりしてくると、走馬灯のように脳裏を惨劇が駆け巡る。


「うっ!?」


 込み上げてくるような気持ち悪さに、思わず口を抑えて膝をついた。


「カノア!? 大丈夫!?」


 カノアの呻くような声を聞き、ルビーが扉を開けて部屋の中に入って来た。


「すまない、大丈夫だ……」


 取り繕ったものの、カノアの脳裏には血溜まりの海にその身を沈めるアノスの姿がこびりついて離れない。


「本当に大丈夫? 凄く顔色が悪いわ……」


「少し、嫌な夢を見たんだ。すぐに良くなる」


「ほんと? ママも体調悪くなってるし、カノアまで悪くなったら私……」


 不安そうなルビーを安心させようとカノアは気丈に振舞う。

 だが、カノアは正気を保つだけで精いっぱいだった。


「アノスさんは、どうしている?」


 カノアは恐る恐るルビーに尋ねる。


「パパ? パパならママのところよ」


(ということはつまり……)


 アノスの生存。そしてカノア自身の記憶。

 それらはこの世界に再びループが訪れたことを告げていた。


(ループは断ち切られたんじゃなかったのか? まさかキュアノス王国の時のように、また誰かを犠牲にするような実験が始まって——)


 だが、世界がまたループしていなかった場合、カノアの命はついえていた。

 これがただの偶然なのか、はたまた新たなる運命への誘いなのか。

 カノアがそんなことを考えていると、ルビーが不安そうに寄り添う。


「ねぇ、カノア。やっぱり顔色が悪いわ。カノアも少しベッドで横になっていて?」


「心配かけてすまない。だが本当に嫌な夢を見ただけなんだ」


「嫌な夢……。そういえば、私も昨日は嫌な夢を見た気がするの。パパが誰かに襲われて——」


 カノアはルビーの言葉に、心臓を掴まれたような痛みが走る。


(まさか、のか!?)


「そんなことないわよね。今だってパパはママのところに一緒に居るのに。私も嫌な夢のせいで、どうかしちゃってるみたい」


 ルビーはそう言って、不安そうな笑顔を浮かべていた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 ルビーと共に大広間に降りると、前回同様多くの人が溢れていた。

 今回もティアが話し掛けてきたが、その内容は前回と変わらず、と言ったところだ。

 カノアはティアの話に耳を傾けながら、大広間を見渡す。

 

(これも昨日見た光景だ。ここまで多いと、仮に誰かが新たに生き返っていたとしても確認は無理か……)


「お。起きて来たか」


 時を同じくしてアノスが話し掛けてくる。


「今日はちょいと手が空いてるんだが、もし予定が無いなら稽古に——」


「パパ! カノアは今日体調が悪いの!」


 ルビーがアノスの提案を却下すると、カノアは前回この場にルビーが居なかったことを思い出す。


(行動を変えるか? いや、ひとまずは前回と同じ行動を取るべきか。それに、やはり慰霊碑に刻まれた名前がどうなっているのかも確認した方が良い気がする)


 カノアは前回同様アノスの提案を受け入れることを選択する。


「いや、大丈夫だ。体を動かせば少し気分転換になるかもしれない」


「でも……」


 心配してくれるルビーを安心させようと、カノアは拳を握り小指を立ててルビーにだけ見せる。


「無茶はしないさ」


 カノアの意図を汲み取り、ルビーは自分にだけ込められたメッセージに僅かに安堵の表情を見せる。


「うん、分かったわ」


 ルビーの許可も無事に下りたことで、カノアは再び稽古場に向かった。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「どうした? 今日はやけに動きが良いじゃねぇか」


 カノアは前回のアノスとの修行を思い出しながら体を動かす。

 アノスがどういう順番で何処を狙って木剣を振って来るのかを知っている。連撃ともなれば前回の動きからは変わってしまうものの、その初撃さえうまくさばいてしまえば追撃を恐れる必要は無い。


「いつの間にそんな勘が働くようになったんだ? だが、例えまぐれだったとしても、戦いにおける勘ってのは案外馬鹿にならねぇ。その調子で精進しろ」


 稽古はここまで、とアノスは木剣を下ろす。


「はぁ、はぁ。はい、ありがとうございました」


(まぐれではないが、実戦で通用する手段でもない。この場限りの付け焼刃だが、黙って攻撃を受け続けるのも不本意だからな)


 カノアも木剣を下ろすと、額を伝う汗を拭う。


「よし、じゃあ今日は褒美代わりに、特別なものを見せてやるよ」


「特別なもの?」


 アノスは今日の稽古の出来栄えに満足だと、カノアに賞賛を送る。アノスは首から胸の中に手を入れると、「こいつだ」と掛けていたネックレスを見せた。


「こいつの名前はテウルギア。人ならざる存在の力を借りて、持つ者の力を飛躍的に上げる、神具と呼ばれる代物だ」


「神具、ですか。ソフィアとは違うものなんですか?」


 カノアは神具という言葉を初めて耳にした。それがいったいどういうもので、何を可能とするものなのか、カノアは分からない。


「ああ、ソフィアとは全然違うものだな。どんなに真似しようとしても、人の手では作ることができない。一説によると、賢者アリスが人々に授けたものだとも言われていて、持つべき者の手中に必ず収まるような運命にあると言われている」


(また賢者か——)


 カノアは少し辟易するような気持ちで話を聞く。


「俺があの大魔戦渦マギアシュトロームから帝国を守れたのも、こいつのお陰さ」


 そう言うとアノスは持っていた木剣を両手で持って構える。


「我が魂に応えよ。悠久の彼方にその使命を遂げよ。偉大なる汝の名の下に、真実の力を解き放て!」


 アノスの声に反応するように、テウルギアが眩い輝きを放つ。そしてアノスが木剣を振るうと、切っ先から斬撃が飛翔するように放たれた。

 斬撃はそのままくうを切り裂くように進むと——古城を囲っていた城壁の一部を破壊した。


「やっべ……。また修理する場所が増えちまった……」


 力の加減を間違えたのか、アノスは苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。


「ま、最初から壊れてたことにするか!」


 稽古ではお手本となるような師匠だが、どうも日頃の言動は真似しない方が良い大人であると、カノアはその気持ちを心の中にしまう。


「そうだ、帰りにエレナのところに寄っても良いか?」


 その目的を知っているカノアは、特に拒否することもなくアノスと共に『紅い楽園』へと向かうのだった。

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