第13話『黒き接触』

「いよう、エレナ! 頼んでおいたものはあるか?」


 アノスは『紅い楽園』の扉を開くと景気の良い挨拶をする。

 店はまだ準備中だったこともあり、閑散とした店内にアノスの声が響いた。


「ええ、あるわよ。ちゃんとリアナに飲ませてあげてね?」


 そう言うとエレナは、後ろの戸棚から一本の小さな瓶をバーカウンターの上に置く。

 カノアたちはカウンターに並んで座ると、三人で会話を始めた。


「これは?」


「魔法薬だ。こう見えてエレナは凄腕の調合師なんだぜ? エレナに掛かれば、酒も薬もお手の物ってな!」


「一時的に症状を抑えるくらいしかできないから、ちゃんとした治療はニコラスたちにお願いしてね?」


「ああ、体が楽になるだけでも助かるってもんさ」


 アノスはそう言って慈愛を滲ませた表情を見せる。


「お酒を呑みに来たわけじゃなかったんですね」


 カノアは少し見直したとアノスに賞賛の気持ちを向けたのだが、それを聞いたアノスはその言葉を否定する。


「いやいや、それとこれとは話が別だ! ここまで来て呑まないわけにはいかないだろ!」


 見直した直後にこれである。

 カノアは、やっぱりアノスはアノスなのだと思い、ため息をついた。


「よし、今日はお前も一杯呑もうぜ!」


「いや、だから俺は未成年だと何度言えば……」


「んだよ! 歳なんかそこら辺でちゃっちゃと取ってくればいいだろ?」


「落ちている石を拾ってくるみたいな感覚で喋らないでもらえます?」


 カノアたちが馬鹿なやり取りをしていると、エレナはクスっと笑って後ろの戸棚からネームプレートのようなものが掛けられた、残りが少ない瓶とグラスをアノスの前に差し出す。


「私もそろそろお店開けるから、これ呑んだらさっさと帰ってね? グラスとかはそのままで良いから」


 そう言ってエレナはカノアの前にはジュースのようなものを出すと、店の奥に姿を消した。


 ——だが、数分後。


「大体! おめぇは物事を難しく考え過ぎなんだよ!! ……ひっく!」


 そこには割と出来上がったアノスの姿があった。


(一杯と言っておきながらこの人は……!)


 エレナが見ていないのを良いことに、勝手にテーブルの端に置いてあった酒に手を伸ばし呑み始めた。


「お前は賢いが、もっと発想を逆転させる必要があるんだよ。行き詰まった時は、物事をひっくり返して考えてみろ。世界そのものひっくり返すって感じでな! がははっ!」


 上機嫌で話すアノス。

 だが、その背後にスッと音もなくエレナが立ったことに気が付くと、カノアは血の気が引いて目を逸らした。


「世界の前に、あなたのことをひっくり返してあげようかしら?」


 満面の笑みでエレナはアノスの肩に手を置いた。

 その後、アノスが店を摘まみ出されたのは言うまでもないことだった。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 『紅い楽園』を出た後、アノスは一足先に旧ギルドへと帰って行った。

 本当はあの酔っ払いから目を離さない方が良いのだが、カノアはカノアで昼間アノスから聞いた『傲慢のソフィア』について考えたいことがあったため、一人散歩をしながら夕暮れの町に残っていた。


「事象を捻じ曲げる傲慢のソフィアか……」


 道の脇に設置されていたボロい椅子に腰を掛けて辺りを見回す。

 滅びたはずの町にいくつもの人影が行き交う様子は、まさに捻じ曲げられた事象そのものをカノアに知らしめていた。


「もし慰霊碑が傲慢のソフィアなのだとしたら、どうやってこの状況を戻す? いや、もしこのまま町が復興するのであれば戻す必要も無いのか? ……ダメだ。それではリアナさんの魂が削られて、必ずしも良い状況になるとは言えない。それにむやみやたらに歴史を書き換えてしまうのは、もはや死者に対する冒涜とも——」


 カノアが独り言を呟きながら次第に明るさを失っていく町を見渡していると、何かの気配に気が付く。


「あれは!!」


 カノアがそれに気が付くと、建物の隙間からじっとこちらを見ていた黒いローブの影がその身を隠した。


「待て!!」


 カノアはその黒いローブに当然見覚えがあった。

 やはり敵はこの町に潜んで居たと、確信めいたものを胸にひたすらにその影を追いかける。

 影はカノアが追ってきているのを時々確認するように振り返りながら町の外へと逃げていく。


「くそっ! 風の魔法さえ使えれば!」


 黒いローブの者が本気で逃げれば、体力の無いカノアからは恐らく簡単に逃げ切ることが出来るだろう。

 だが様子を見ながら逃げていることを考えると、その目的は逃げることではなく、カノアを誘い出すことにあるのかもしれない。

 その影は町の外に出て見晴らしの良い荒野まで逃げると、やがて足を止めた。


「はぁ、はぁ! どういうつもりだ!」


 黒いローブはくるりと振り返ると、周囲に人が居ないことを確認してカノアと対峙する。


「貴様がランダムウォーカーか。易々と誘いに乗るとは、自身の置かれている立場が分かっていないのではないか?」


 その声は男のものだった。

 体の芯を振るわせて来るような低く響くその声にカノアは相対する。


「ランダムウォーカー? 何だそれは!?」


「それを説明してやる必要は無い。今はただ、己の運命の行く末を考えろ」


 黒いローブの男はスッと手を伸ばすと、何やら呪文のようなものを唱えて攻撃を仕掛けてくる。


「ぐっ!?」


 カノアは間一髪のところでその攻撃を回避するも、咄嗟の攻撃に受け身を取ることが出来ず地面に転がる。

 だが黒いローブの男は追撃をしてくることなく、カノアが立ち上がるのを待っていた。


「いったい何が目的だ? お前は、いや、お前たちは何者なんだ!?」


「我々は幻星の守護者。この星の最後の希望を託された者たちだ」


「幻星の守護者……?」


 カノアはその言葉に聞き覚えがあった。

 キュアノス王国から脱出する際に、イヴレーア辺境伯が語っていた言葉。

 だが、この男がイヴレーア辺境伯と同じ組織の人間であるならば、カノアを攻撃してくる心当たりがない。


「その黒いローブ。お前たちはアポカリプス機関じゃないのか!?」


 その黒いローブはキュアノス王国の研究所でカリオスやケセド、それにホドと名乗った少女が着ていたものと同じものであった。

 カノアはその共通点に疑問を呈す。


「いずれ分かる。だが、今は未だ知るべき時ではない」


 男はそう言うと、再び呪文を唱える。

 辺りに風が吹き荒れると砂埃すなぼこりが舞い始めた。


「くっ!」


 強風の中、目を開けていることが困難になり、カノアは顔を隠すように両手で覆う。

 やがて風が収まると、黒いローブの男はその姿を消していた。


「幻星の守護者。いったい何者なんだ……」


 一人残された荒野の空は、気付けば夜の到来を告げていた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 カノアが町に戻ると、町からは人の影が消えてそれぞれの建物に明かりが灯っていた。


「奴らの目的は何だ? 今のこの町の状況とも関係があるのか?」


 カノアが状況を整理しながら旧ギルドに戻って来ると、他の建物とは違い何故か明かりが消えている。

 先に戻ったアノス、それにティアやアイラたちが居ることを考えると、明かりが消えていることには強い違和感があった。


「もうみんな寝てしまったのか? いや、だがいつもならまだ——」


 カノアは入り口の扉の前に立つと、ゆっくりと両手で開く。

 すると、扉の向こうから微かに漂ってくる臭いが鼻腔を刺激する。


「なんだこの臭いは!?」


 思わず鼻を押さえたくなるような、不快な

 カノアはその感覚に、メラトリス村での惨劇をフラッシュバックさせる。


「アノスさん!!」


 真っ暗な大広間に外から差し込む星明りが、床に倒れているアノスの体を照らしていた。

 カノアは駆け寄りその身体を抱き起こす。

 だがその身体からは既に温もりが消えており、その原因が胸に突き刺さる短剣と床を浸していた赤い血の海であることは明白だった。


「アノスさん!! アノスさん!!」


 何度呼びかけてもアノスが反応することは無かった。

 だが、カノアのその声に反応する声が一つ。


「ん……」


「ルビー!」


 テーブルの影に隠れるように倒れていたルビーの姿を見つけ、カノアは駆け寄る。

 ルビーはうなされており、半分気を失ったような状態だった。


「大丈夫か!? 一体何があった!?」


 カノアが問い掛けるも、ルビーからの返答は無い。

 突然の惨劇にカノアの胸が鼓動を強くしていく。


「誰がこんなことを——」


 カノアが恐怖と失意に包まれていると、一つの影が背後から迫る。

 そしてカノアがそれに気が付いたときは既に手遅れであった。

 その影は持っていた短剣でカノアの背中を背後から貫くと、強い鼓動を奏でていた心臓を正確に捉えた。


「がはっ!!」


 カノアは口から大量の血を吐き出すと、床に突っ伏して動かなくなる。


「ル……ビー……」


 倒れた視線の先で動かなくなっていたルビーに手を伸ばすが、その手はルビーに届く前に力を失う。

 そして間もなく、カノアの命は闇の中へと消えて行った。

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