第9話『少女の夢』

 外は暗闇が広がる真夜中。

 カノアは不思議な現象に襲われた後は、何事も無くエリュトリアの町まで戻って来たことをベッドの上で思い出していた。


「昼間のあれは何だったんだ……? リアナさんの事とも何か関係があるのだろうか……」


 カノアが物思いにふけっていると、部屋の外を誰かが歩く音がした。

 普段であれば皆が寝静まっているであろう時間。カノアは警戒しつつ扉の外の足音に意識を集中させる。

 自身の部屋からは遠ざかっていく音に、その音の持ち主の目的が自分では無いことを理解する。


 ——カチャ。


 カノアは出来る限りゆっくりとドアノブを回し、音を立てないように部屋の入り口の扉を開けていく。

 少し開いた扉の隙間から外を覗くと、アイラが上の階に続く階段の前に立っているのが見えた。


(アイラのやつ、こんな時間に何やっているんだ?)


 カノアは上の階にはアノスとリアナの寝室があるとしか聞いておらず、実際に上がったことは無い。

 だが、アイラは目的が上の階にあると言わんばかりに階段を上り始めた。

 そしてアイラの階段を上る足音が聞こえなくなってから、カノアはそっと自室を抜け出して、後を追うように階段を上っていく。


「アイラは居ない、か」


 階段を上ったところで、柱の陰に隠れるように廊下の先を見渡すカノア。

 しんと静まり返る三階はどの部屋の扉も開いてはおらず、しかしアイラの姿も無い。


「何処に行ったんだ?」


 ゆっくりと三階に足を踏み入れ、カノアが廊下を数歩進んだところで背後から誰かに口を押えられる。


「んぐっ!?」


 声を上げることは許されず、口元をしっかりと手で塞がれている。

 カノアは拘束を振り解こうと、自身の口元を押さえる手を掴んだところで、その手の持ち主が小声で話し掛けてくる。


「馬鹿、暴れんな! アノスさんたち起きちまうだろうが!」


 聞き馴染みのある声にカノアは次第に冷静さを取り戻す。

 カノアが落ち着いたところで、押さえられていた手が口元からゆっくりと離された。


「後ろからいきなり襲うとは、随分と悪趣味じゃないか?」


「こそこそ人の後を着けてくるのは悪趣味と言わないのか?」


 カノアはアイラと減らず口を交わすと、互いに目を合わせてうっすらと笑みを浮かべる。


「こっちだ。アノスさんたち寝てるだろうから、静かにな」


 アイラは廊下の先にあった更に上の階へと繋がる階段に足を進める。

 そしてカノアも誘導されるように、アイラに着いて行く。

 階段を上った先にあった扉をアイラが開けると、その先には星が瞬く夜空が広がっていた。


「昼間リアナさんに教えてもらったんだ。この辺りの夜は星が綺麗だってな」


 そう言いながらアイラは屋上をゆっくりと進む。

 続くようにカノアも足を踏み入れ、満天の星空をぐるりと見渡した。


「意外だったな。アイラは星が好きなのか?」


「特別好きってわけじゃないが、スラムみたいな狭い所に住んでると、こんな景色は見られないからな」


 そう言ってアイラは手すりに背中をもたれさせる。


「確かに、スラム街はごちゃごちゃしていたな」


「あいつら勝手に王都の方から資材盗んできて小屋とか建てまくるんだよ。知らない内に人も建物も増えて大変なんだぜ?」


 アイラはそう言って笑いながら、スラム街に思いをせる。


「あたしは今でこそスラムに住んでるが、元々は恵まれた環境で育ったんだ。文字の書き方や読み方もその時に教えてもらった。この世界の事も、まだ見たことが無い他の国の事もな」


 アイラの言葉に、カノアは初めてアイラと出会った時のことを思い出す。

 あの時からカノアはアイラの佇まいに気品を感じていた。きっと、元居た国では大切に育てられたのだろう。


「まぁ、大魔戦渦マギアシュトロームで全部無くなっちまったけどな」


 アイラはそう言って憂いを帯びた表情を見せた。


「あたしにはさ、夢があるんだ」


「夢?」


「あたしはこの世界がもっと平和になったら、自分が知ってることや文字の書き方や読み方なんかを子供たちに教えたいんだ。貴族の子供ならまだしも、恵まれない環境の子供たちはみんな何処かで希望を捨てちまう。けど、諦めんなって、頑張って生きれば願いは叶うって、そう言ってやりたいんだよ」


「良い夢だな」


「だろ?」


 そう言って嬉しそうに笑う顔は、カノアが見て来たアイラの笑顔の中でも一番純粋なものだった。


「アイラは不器用なところもあるが、面倒見は良いからな。きっと子供たちにも好かれる良い大人になるさ」


「あんまり褒めるな。照れるだろうが」


 正面から褒められることに慣れていないと、アイラは恥ずかしそうに手先まで隠した袖で口元を隠す。


「本当のことを言ったまでだ。俺も色々世話になっているし、君と出会えて本当に良かったと思っている」


 カノアは揶揄からかっているつもりは無いと、真剣な眼差しでアイラの目を見る。


「——ほんと、そういうところだぞ」


 真っすぐに目を見つめられたアイラは、口籠くちごもるように呟いて目を逸らす。


「何の話だ?」


 朴念仁であるカノアは、アイラの反応が何を意味しているかは理解出来ない。

 アイラもそれが分かっているからこそ、ハッキリと言い返せないのだ。

 アイラは顔をうつむけたまま、小声で「うるせー」と呟き、手をグーの形にしてカノアの肩に押し付ける。

 そしてアイラは顔を見られないようにサッと階段の方へ戻ると、屋上に残されたカノアに言葉を残す。


「あたしのことは良いから、ティアの事ちゃんと見てやれよな」


「ティア? 確かに最近ドロシーさんの所に行っていてあまり姿は見ていないが、朝も夜もご飯の時はいつも会っているだろ?」


 もはやわざとだと言っても過言ではないレベルに頓珍漢な発言をするカノアに、アイラは大きなため息をつく。


「はぁ……。ほんと、そういうところだぞ!」


 アイラは怒り気味にそう言うと、階段を降りて行ってしまった。

 残されたカノアはアイラの言っていた意味が分からず、少しの間物思いにふけっていた。

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