第8話『大魔戦渦の幻影』

 カノアが朝目覚めると、体中が悲鳴を上げていた。


「昨日はアノスさんに散々しごかれたからな……」


 運動不足のカノアにとって、昨日はかなりハードな一日となった。

 だが痛みを感じられるということは、日付がループしていない証でもある。

 カノアはゆっくりと体を動かしながらベッドから降りた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「いっただっきまーす!」


 全員が大広間に揃い、ルビーの元気の良い声に合わせて朝食が開始された。


(少し、元気になったみたいだな)


 カノアは心の中でそう安心すると、自身の朝食に口を付ける。


「そういえばカノア。朝食が終わったら頼みたいことがあるんだが」


 そう言ってきたのはアノスだった。


「何ですか?」


「いやー、実は昨日忘れてたことがあってな。俺の代わりにそのテーブルの上にあるもんを慰霊碑の祭壇に供えて来てくれないか?」


 アノスが隣のテーブルに目配せをすると、一本の瓶が置いてあった。


「パパ、あれは何?」


「供え物だよ。今日は俺の友達ダチの命日でな。あいつが好きだった酒なんだが、本当は昨日置いてくる予定が持って出るのを忘れちまってよ。今日は町の連中との会合があるから、代わりに頼めないか?」


 そう言ってアノスは苦笑いを浮かべる。


「ふぅん。パパってお友達居たんだ」


「ルビーちゃん!?」


 ルビーに鋭い言葉を投げかけられ、アノスは傷心した。


「うぅ……。パパだって友達くらい……」


 これくらいの冗談が言えるようになったのであれば、ひとまずルビーの心配は大丈夫であろう。

 カノアは口の中に入れていたパンを飲み込むと、絶賛傷心中のアノスに声を掛ける。


「あれを置いてくればいいんですね。その方の名前は?」


「名前? ルーカスってんだが、それがどうした?」


「名前が分からないと、供えたとき誰に向けて手を合わせれば良いか困るので」


「何だ、気が利くじゃねぇか」


 アノスはそう言って満足そうに笑う。

 カノアは朝食を済ませると、アノスから酒瓶を預かり一人で古城へと向かった。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 カノアは古城に着くと一呼吸入れた。


「足が重い……」


 昨日の特訓で体中が筋肉痛になっているカノアは、重く感じる足で大地を踏みしめるように歩いて来ていた。


「早いところ置いて帰って、今日はゆっくり休ませてもらおう……」


 そう言いながらカノアは城の正面扉を通り、大聖堂のある部屋へと向かう。


「あれ? 昨日出たときに閉め忘れただろうか?」


 大聖堂の部屋の扉が半開きになっているのを見つけ、カノアは言葉を漏らす。

 中を覗き込むように大聖堂に入ったが、中に人の気配は無い。


「やはり閉め忘れか。死者の眠る部屋を開けっ放しにしてしまったのは申し訳ないな」


 そう言いながらカノアは慰霊碑の祀られている祭壇へと足を進める。

 慰霊碑の前に立つと、カノアは預かって来た酒瓶を祭壇に供え、両手を合わせて目を瞑る。


「ルーカスさん。アノスさんからの預かり物です。どうか安らかに——」


 カノアが故人への供養を行おうとすると、それを遮るように頭の中に大量のイメージが流れ込んでくる


「っ!? 何だこれは!?」


 脳に直接イメージを流し込まれる感覚。

 沢山の人々が逃げ惑う姿。人々を追いかける魔物たち。そして、奪われていく命。

 カノアはその惨劇が行われている風景に見覚えがあることを思い出す。


「これは——エリュトリアの町!?」


 カノアは脳裏に浮かぶイメージに吸い込まれるように意識を失った。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「た、助けてくれー!!」


 カノアは知らない男の叫び声で意識が呼び起こされた。


「うっ……。いったい何が……」


 痛む頭を押さえながら目を開けると、目の前には惨劇が広がっていた。


「なんだこれは!?」


 死屍累々が広がる荒野の町エリュトリア。

 その町中、カノアの目の前で魔物が一人の男の命を奪おうとしている。

 男はを付けられ血を流しており、既に魔物の脅威を受けたことで腰が抜けて立てないようだ。男は、にじり寄って来る魔物にただただ怯えていた。


「くそっ! 何やってるんだ! 早く立て!!」


 カノアはその男を助けようと、急いで男に近付いて腕を掴んで立ち上がらせようとする。

 だが、カノアの手はその男の腕をすり抜けて掴めない。


「何で!? どうして掴めないんだ!!」


 何度か同じことを繰り返すが、その度にカノアの手は男の腕をすり抜ける。

 それどころか、男はカノアがそこに居ることにすら気が付いていないようだった。

 間もなく魔物は男の前に立ち塞がると、牙の生えた大口を開けて男の命を喰らおうとする。


「やめろー!!」


 カノアは無我夢中で魔物に向けて魔法を放つ。

 するとどうしたことか、魔物は体に風穴が空き、男の目の前で絶命した。


「助かったのか……?」


 怯えていた男はそう漏らすと、目の前で起きたことが信じられないといった様子で辺りを見回す。

 辺りに魔物が居ないことを理解すると、男は急いで立ち上がり一目散にその場を後にした。


「何だったんだ、今のは……」


 カノア自身も何が起きたのか分からず、目の前に転がる魔物の死体を見下ろしていると、今度は先ほどとは逆で、頭の中から情報を引き抜かれるような感覚に陥る。


「今度は何だ!?」


 少しずつ街並みが歪んでいき、視界もねじれていく。

 バランス感覚を失い、上下左右が分からないほどの気持ち悪さに包まれたところで、カノアは目を覚ました。


「何が起きたんだ……」


 カノアはまどろむ意識を次第に覚醒させていき、周囲を見渡して自分が慰霊碑の祭壇前で倒れていたことを理解する。


「酒が……無くなっている……?」


 それはカノアが祭壇に供えたはずの酒瓶ことだ。

 確かに先ほど置いたはずの酒瓶はそこから姿を消していた。

 だが、消えたのが酒瓶だけではないことにカノアが気付くのは、次の日になってからの事だった。

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