第6話『ノブレス・オブリージュ』
「ぐあっ!」
荒野に広がる青空にカノアの声が響いた。
「ぐっ……、はぁ、はぁ……。これくらいの、痛み……」
握っていた木剣は、地面に倒れるとともに飛ばされた。
カノアは起き上がろうとするが、痛みで上手く体に力が入らない。
近付いて来た足元を見上げると、アノスが木剣を片手に見下ろしていた。
「カノア、お前——」
アノスは静かにそう言うと、溜息をつくように言葉を零す。
「流石に弱過ぎないか……?」
アノスはカノアに稽古を付けようと木剣での模擬戦闘を教えていた。
だが、開始してから数分も経たない内にカノアは肩で息をし始めた。
最初こそ威勢よく打ってきたが、すぐにその手応えが軽くなっていき、軽く打ち返したところでカノアは地面に倒れた、というのが今の状況だ。
「運動は……はぁ、はぁ。苦手で……はぁ、はぁ」
キュアノス王国では途中から風魔法で誤魔化していたが、やはり自身の基礎体力だけで動くにはカノアは運動が苦手過ぎた。
「んー、流石にこれだと稽古以前の問題だぞ……」
アノスは木剣で肩をマッサージするように、二、三回トントンっとする。
「いったん休憩にするか」
「すみません……」
カノアの余りの体力の無さに、アノスは苦笑いを浮かべながら今後の方針について話し始める。
「とりあえず分かったことは、お前にソフィア無しでの肉弾戦は限りなく向いていない」
「そう、ですか……」
カノア自身分かっていたことだが、改めてそう言われると自信を無くす。
実はカノアはこの稽古の中でいくつか魔法を使おうとしていたが、キュアノス王国の時のように風魔法すら使うことは出来なかった。
風魔法で身体強化すればもう少しまともだったかもしれないが、素の状態でのカノアはこんなものである。
(やはり魔法無しでも戦える方法を身に着けないと、今の状態で敵に襲われたら一方的にやられるだけだ。しかし、どうしてまた魔法が使えなくなってしまったんだ——)
「お前の取り得と言ったら、そういうところなのかもな」
カノアが難しい顔で考えていると、アノスが話し掛けてきた。
「え?」
「今、色々と考えていただろ? お前はすぐに黙って難しそうな顔をしやがるから分かりやすい。だが、それだけ物事を真剣に考えてるってことでもある」
カノアは何か物事に行き当たると、黙ってその傾向と対策を推察し始める癖がある。
メラトリス村の中で襲撃について考えている時も、同じように考えて込んでしまったことでカリオスに付け入る隙を与えてしまったことを思い出した。
「肉弾戦は向いていないが、時間を稼ぎながら頭脳戦に持ち込めば勝機が見えてくる事もあるさ」
「しかし、敵が迫って来た時にそんな悠長な時間は——」
カノア自身も魔獣との戦いの中で己の弱点については痛いほど分からされているので、思わず反論を口にしてしまう。
「何の為の仲間だよ?」
「え?」
カノアの反論を真っ向から否定するように、アノスは言葉を続ける。
「一人で何でもかんでもやろうと思わなくていい。あの嬢ちゃんたちだって戦えるんだろ? お前がちゃんと戦況を見極めて、その間に嬢ちゃんたちがチャンスを広げて、最後はお前がきっちり決める。それで良いじゃねぇか」
「俺が、ですか?」
「ああそうだ。だが、その分お前が判断を誤れば、嬢ちゃんたちは危険に晒される。嬢ちゃんたちを敵の前に立たせる以上、お前の責任は重いぞ」
仲間を信じ頼ることの重要さも、メラトリス村での一件で痛いほど分からされたことの一つである。
少し魔獣と相対することが出来るようになったことで、カノアはまた一人で抱え込もうとしていたのだと気付かされた。
「仲間を守るってのにも色々と方法がある。だが、力の無いものが前に立つと、それだけで仲間が危険に晒されることもあるんだ。一人一人が力を最大限に発揮できる役割があって、それぞれの苦手なものを互いが補う。仲間ってのはそう言うもんだ。お前にとって、あの嬢ちゃんたちは一人で全員守ってやらなきゃいけない程弱いのか?」
「いえ、そんなことは無いです」
この世界における戦闘では、まだまだティアやアイラの方が強い。
ソフィア無しでの魔法発動や、ホドに教えてもらった空属性の魔法が無ければ、未だにカノアは満足に戦うことすら出来なかっただろう。
「仲間ってのは信じるところから始まるんだ。あの嬢ちゃんたちが仲間だってんなら、ちゃんと信じてやれ」
「はい」
自身を救ってくれたティア。そして、ここまで着いてきてくれたアイラ、アイリ。エルネストにしても、最終的には味方として共に戦ってくれたことを思い出す。
(もう一度、最初からやり直すつもりで、俺に出来ることを見直さないとな)
そう考えるカノアの言葉に待ったを掛けるように、頭の中で「クエー!」という鳴き声が聞こえた気がした。
「そうだな、お前もだ」
聞こえるはずの無いその声に、カノアは思わず
◆◇◆◇◆◇◆
「足を止めるな! 考えを止めるな! お前は常に戦況を見極め、最善を尽くせるように全てを出し切れ!」
日も傾き、青かった空が夕暮れに染まりつつある荒野で、アノスの声がこだまする。
「ま、今日はこんなところか」
アノスのその言葉に、カノアは息を切らしながら膝に手を着いた。
「はぁ、はぁ。あ、ありがとう……ござい……はぁ……ました……はぁ、はぁ」
「気持ちだけは認めてやるよ。だが、気持ちだけじゃ乗り越えられないことも多い。お前が仲間を守りたい、強くなりたいと願うなら、その望みを背負えるだけの男になれ」
「はい……」
息を切らしながらも律儀に返事はする。
カノアのひたむきさに、アノスはその気持ちだけは認めていた。
アノスは木剣を両手で持ち、自身の胸の前に掲げるようなポーズを取って言葉を唱える。
「多く与えられた者は、多く求められ。多く任された者は、さらに多く要求される。しかし、多く持つ者よ、その力に溺れることなかれ」
「それは?」
「俺が居た騎士団の心得だ。お前も俺の下で稽古を重ねるなら、この言葉をしっかりと胸に刻んでおけ」
「はい」
カノアはアノスの言葉を頭の中で反芻させる。
そして、あの時研究所でカリオスと戦っていた最中に聞こえて来た声を思い出す。
——大いなる力には、大いなる責任が伴う。
——お前自身のその言葉、ゆめゆめ忘れるな。
光と闇が自身の中で混ざり合うような不思議な感覚。
その後、意識が途切れる寸前に聞こえてきたあの言葉は、まるでこの先に待ち受ける運命を示唆しているようだった。
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