第12話『滅びの運命は再び廻る』

「だから! ウチのルビーちゃんは本当に良い子で——!!」


 カノアがこの話を聞くのは、食事が始まってから三回目のことだ。

 目を充血させながら、アノスは持っていた大きなグラスを空にする。


「ルビーちゃんのご飯はいつも美味しいなぁ——」


 ひとしきりルビーへの寵愛を口にしたかと思うと、アノスはそのまま突っ伏すように顔をテーブルに引っ付けた。


「もう! 寝るならちゃんとお部屋に戻ってからにしてよね!」


 最早手慣れたものだと、ルビーはアノスを叱責する。

 並べられた皿はほとんど空になっており、数時間ほど前に始まったささやかな宴がそろそろ終わりであることを告げていた。


「ありがとうルビー。どれも美味しかったよ」


「そ、そう!? 明日はもっと美味しいの作ってあげるから楽しみにしててよね♪」


 カノアに褒められ、ルビーはウキウキした様子で片付けを始める。

 ルビーが空になったお皿を数枚重ねて奥のキッチンに持って行ったところで、顔を突っ伏していたアノスが突然起き上がり、テーブル越しにカノアに迫る。


「——ウチの娘は良い子だろ~? でへへへ」


「起きたなら部屋に行ってください……。またルビーに叱られますよ?」


 急に目を覚ましたかと思うと、また惚気始めたアノスに、カノアは呆れながら言葉を口にした。

 だがアノスはカノアの言葉を無視して、酔っぱらいながら百面相のように顔と感情をコロコロと変える。


「お前にゃ、ウチの娘はやらんからな!」


「誰もそんな話をしていないでしょ」


「……本当に、俺なんかには勿体ない娘なんだ」


 今度は急にしおらしくなり、哀愁を漂わせながら空のグラスを持ち上げて、底に残っていた数滴の酒で唇を湿らせる。


「リアナが居なくなっちまってから、あの子は本当に色々と頑張ってくれてるんだ。町のことも、家のことも。文句は言っても、泣き言を言ったところを見たことがねぇ。リアナが居てくれたら、あの子にももっと自由に——」


「パパ! ママの話はしないでって言ったでしょ!!」


 ルビーの代わりとばかりにアノスが泣き言を言っていると、奥のキッチンからルビーが出てきた。

 そしてアノスが口にしていたことに激怒して、片付けも途中に二階にある自室へと行ってしまった。


「あー……、やっちまった……」


 アノスは髪の毛を掻きながら、カノアたちに申し訳なさそうに言葉を続ける。


「すまん、あの子の前ではリアナの話をしないって約束なんだ。……ちと、呑み過ぎちまったな」


 普段ふざけているアノスも、溺愛している娘に怒られ反省したのだろう。

 傍らに置いてあった水を一口飲むと、ゆっくりと語り始めた。


「あの子にはリアナは遠くに行っていると伝えてあるんだ。だが、あの子も大きくなった。もう気付いているんだろうな」


 全員が耳を傾ける中、ティアが代表して口を開く。


「その、リアナさんはどうして?」


「どうして、か。俺がリアナを死なせちまったようなもんなんだ」


 アノスの贖罪とも取れる言葉に空気が冷えた気がしたが、その場に居た全員が息を呑むように次の言葉を待った。


大魔戦渦マギアシュトロームが過ぎ去った後の話だ。リアナと結婚したんだが、俺は魔物の後始末で戦地を離れられず、帝国に戻ることもほとんど無く、色んな場所を駆け巡っていた。そんなある日、あいつが病気になっちまってな。だが、俺に心配を掛けまいとずっと一人で隠し続けて——。もっと早く気付いていれば、もっと傍に居てやれたらって何度後悔したことか」


 騎士団長としての責務を全うしていたアノスを誰も責めることは出来ない。だがアノスは、誰よりも己自身を責めていた。

 多くの民の命を守るため、愛するたった一人の女性の傍に居られなかったのだから。


「気付いたときにはもう手遅れでな。最期は傍に居てやりたいと思って騎士の地位を返上したんだ。身勝手な退役だったから国外追放されてもおかしくはなかった。だが皇帝の計らいで、追放ではなく失踪と言う形でまた国に戻って来られるように取り計らって貰えてな。その上、それまでの間は復興という名目で、リアナと一緒にこの国に住んで良いと」


「それで誰にも言わずこの国に来たのか?」


 アイラが『紅い楽園』で聞いた話を口にした。


「さてはルイーザだな? あいつ勝手に喋りやがって。ま、あいつにも色々迷惑掛けちまったからな」


 アノスは苦笑いを浮かべながら、グラスに残っていた水を飲み干す。


「明日起きたら、あの子にもちゃんと謝らなきゃな」


 そう言うとアノスは、しんみりとしてしまった場の空気を一掃するように立ち上がって背伸びをする。


「よし、残りは俺が片付けておくから、お前たちも部屋でゆっくり休んでくれ!」


 カノアたちは二階にある客間をそれぞれが借り、休むことになった。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 カノアたちが二階に上がると、一番奥の部屋の扉だけが閉まっていた。

 そこは先ほどまで一緒に食卓を囲んでいたルビーの部屋だ。

 カノアがその部屋を見ていると、アイラが話し掛けてくる。


「いくらあたしとアイリが可愛いからって、寝込み襲うんじゃねーぞ?」


「そんなことするわけがないだろ」


 そう言ってカノアが呆れ気味に溜息をつくと、アイラは更に揶揄うように言葉を続ける。


「あ、そっか。お前の好みは小さなお姫様だったな」


「冗談はよしてくれ」


「え、カノアってちっちゃい子が好きなの?」


「ティアも真に受けるな」


「えへへ♪」


 二人はリアナの話を聞いた後で心が沈まないように、明るく振舞ってくれているようにも思えた。


「へへっ。んじゃ、また明日な」


 アイラがそう言うと、アイリも後ろを着いていく。

 カノアがアイリの昼間の素っ気ない態度を思い出していると、アイリがチラッと見るように振り向いた。


「おやすみ」


「え? あ、ああ。おやすみ」


 アイリはそれだけ言うと、またくるりと反対を向き、アイラと一緒に空き部屋の一つに入って行った。


(嫌われたわけじゃなかったか)


 カノアが少し安心したような気持ちになっていると、ティアも空き部屋の一つへと歩いていく。


「じゃあ私はこっちだから。おやすみ、カノア」


「ああ、おやすみ」


 三人が部屋に入って行ったのを確認した後、カノアは気に掛けるようにもう一度ルビーの部屋に目を向けた。

 そして視線を外すと、残っていたいくつかの空き部屋の一つに足を進める。


「俺の部屋はこっちか」


 カノアは部屋に入ると、ゆっくりと扉を閉めた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 その日の朝は、部屋の扉がノックされる音で目が覚めた。


「カノア? 起きてる?」


 扉の向こうから幼い少女の声が聞こえて来る。

 その声は昨日の傍若無人なものとは違い、控えめで、か弱い声だった。


「もう、みんな起きてるわよ」


 元気が無さそうなルビーの声に、昨日の事を思い出しながらカノアは体を起こした。


「ああ、今行くよ」


「うん……」


 カノアはベッドから降り、部屋の扉へと向かう。

 扉を開けると、少し俯いたルビーがそこに立っていた。


(昨日の事を引きずっているのだろうか)


 カノアはそう思いつつ、ルビーと一緒に下の階に降り、昨日食事をしていた大広間へと向かう。

 ルビーが扉を開けると、みんなが気付き「おはよう」と声を掛けてくれた。

 何事も無い朝であれば、可憐な少女たちの笑顔から始まる一日と言うのは何とも素晴らしいことであっただろう。


「ああ、おはよう。えっと——」


 カノアはティアたちの顔を順番に見ていく中で、一人知らない女性が紛れていることに気が付く。


「そちらの方は?」


 カノアがその人物に対する疑問を投げかけると、アイラが笑いながら言葉を返してくる。


「あっはっはっ! カノア、寝ぼけてんのか?」


「いや、そういうつもりじゃ」


 予想していなかったアイラの反応に、カノアは困惑しながらティアに視線を向ける。

 そしてそれに気付いたティアも、クスクスと笑いながらカノアに返事をする。


「カノアってやっぱりお寝坊さんだね♪」


 メラトリス村の孤児院の朝、ティアからそう言われたことを思い出していると女性が口を開いた。


「ルビー、こちらにいらっしゃい」


「うん、


 ルビーのその言葉に、カノアの心臓が強い鼓動を鳴らす。


(ママ……。いや、しかしそれは——)


 カノアの心臓が次第に鼓動を速めていると、奥のキッチンからアノスが顔を覗かせる。


「リアナ! 塩が無くなっちまったんだが、この前買ったやつ何処に置いたっけ?」


「あらあら、上の戸棚に置いていたでしょ? ふふっ、やっぱり私も手伝おうかしら?」


「良いって! 今日は俺が飯を作るから、リアナはルビーと一緒に待っていてくれ!!」


 そう言ってアノスは再びキッチンへと戻る。

 カノアは、少女のように笑うその女性から目が離せなかった。

 それは、自身の目の前にあったのが、紛れもなく亡くなったはずのリアナの姿に他ならないからだった。




― 第二章序編 完 ―


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新たな町での出会いと、亡くなったはずのリアナの存在。

第二章では、引き寄せられるように訪れた町で多くの陰謀が渦巻きます。

果たして再び廻る滅びの運命はカノアたちに何をもたらすのか。

そして、その先に待ち受ける運命とは——。


次話より本編開始です。

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