第5話『大魔戦渦の爪痕と隠された秘密』

 エレナの語りに、アイラが質問を挟んだ。


「ここはエリュトロン王国って聞いたけど、王室が滅んだならもう国とは呼べない状態ってことか?」


 エレナは軽く頷いた。


「そうね。王室はもう存在しないし、少なくとも今は国と呼べる状態ではないわね」


「でもエレナさんたちはここで暮らしてるんだよな?」


「私は元々この国の生まれなの。一度クサントス帝国の方に移住したんだけど、やっぱり自分の生まれた国を取り戻したくて、ね。他にも同じような気持ちの人が沢山居たから、皆んなで集まってここに戻ってきたのよ」


「取り戻すって言っても、王室が滅んだのなら復興は難しいんじゃないのか?」


 アイラはエレナの話に質問を繰り返す。その様子を見てカノアは、アイラも以前自身の住んでいた国が滅んでしまったと言っていたことを思い出す。そして、ティアも恐らく同じ国の出身だと言っていたことも。


「キュアノス王国やクサントス帝国なんかもそうなんだけど、この世界には色を冠することを許された国がいくつかあるのはあなたも知っているわよね?」


 エレナの問い掛けにアイラが答える。


「そりゃまあ、な。キュアノス王国は青、クサントス帝国は黄色だ」


 アイラの返答を聞いて、カノアはそれがこの世界における周知の事実であることを理解する。


「ええそうね。そしてこのエリュトロン王国は赤。他の都市国家と比べても随分と小国なのに色を冠しているの。それが何故だか分かる?」


「それだけこの国には重要な何かがあったってことだろ?」


「その通り。ここは小国だけど、卓越した技術国家だったの。建築から武具の製造まで、他の国では真似出来ない程の発展をしていたわ」


「その技術を駆使して、作り上げたのがソフィアって話は知ってるぜ」


「あら、あなたよく知っているわね? 随分と昔の話だから文献にしか残っていないような話だったのだけど」


 アイラの言葉にエレナが驚いたように言葉を返した。


「昔ちと聞いたことがあっただけだよ」


 そう言うとアイラは軽く水を飲み、言葉数を減らすように頬杖をついた。


「色を冠しているほどの重要な国でも、大魔戦渦マギアシュトロームの影響は避けられなかったんですね」


 アイラの話を引き継ぐように、カノアが言葉を連ねた。


「そうね……。確かに大魔戦渦マギアシュトロームは国の大小に関わらず多くの国を巻き込んだわ。だけど、あの災厄は意図して起こされて、意図した国々を狙ったものだと私たちは思ってる」


「……人為的な魔物の存在ですか?」


 カノアのその言葉に、エレナはゆっくりと頷いた。

 カノアはキュアノス王国で魔物が人為的に生成されていた事実を知った。それなら大魔戦渦マギアシュトロームはキュアノス王国が引き起こしたものなのだろうか。

 そう考えるカノアの頭の中に、カリオスやケセドと呼ばれていた黒いローブの女の姿がチラつく。


(どうにも腑に落ちない。いくら魔物を生成していたからと言って、あの規模の研究施設で多くの国を滅ぼす程の魔物や魔獣を生み出せたのか?)

 

 魔法をまともに扱うことすら出来ないカノアでさえ、何度も挑む内に魔獣を倒せるまでに成長した。

 それを考慮すれば、熟練した魔導師が結束すれば対抗することも出来たのではないだろうか。

 気になる点は多かったが、カノアの思考を引き戻すようにエレナが言葉を繋げる。


「この国が狙われた理由は、古代のソフィアが眠っていたからだと言われているの」


「古代のソフィア?」


「文献にも載っていないような古い話なのだけど、元々この国が技術的な発展を遂げられた理由は賢者アリスのお陰だと言われているの」


 ティアからも聞いたことのある賢者の名前。かつては七属性の魔法を操り、そして人々が魔法を使えるようにソフィアを伝えたとされている。

 だとすれば、賢者アリスは最初にこの国に訪れてソフィアを広めたということだ。


「この国には、今の技術では作ることの出来ないソフィアを賢者アリスが残したとされていて、それがこの国が狙われた理由だと言われているの」


「そんなに凄いソフィアだったんですか?」


「それは分からないわ。実際にそんなソフィアを見たことがある人、誰も居ないもの」


「じゃあただの噂のせいでこの国は狙われたってことですか?」


「噂かどうかすら私たちには分からない。そのソフィアは王室の秘宝として保管されていたって話だから、私たちのような一般人とは無縁な物なの」


 頬杖をついていたアイラが、やるせなく呟くように言葉を漏らす。


「何処の国も理不尽な理由で滅ぼされたんだ。あたしたちの国だって――」


「……あなたの国も、そうなのね」


 同じ傷を抱える者同士として、アイラとエレナは沈痛な面持ちで口を噤んだ。


「古代のソフィアのことが知りたきゃ俺が教えてやるよ」


 何処から話を聞いていたのかは分からないが、バーカウンターの端に座っていた男が酒の入ったグラスを片手に歩いて来て、カノアの隣の椅子に腰を下ろす。


「ちょっと! あなた酔っているんだから、あまり――」


「まぁまぁ、エレナ。俺も話に混ぜてくれよ。一人で放っておかれたら寂しくて死んじまうぜ。うさぎみたいにな」


 男は頭の上に両手を立てて、うさぎの耳を真似しながらヘラヘラと笑う。

 その様子を見てエレナは深い溜息をついた。


「んで。さっき言っていた古代のソフィアだが、王室が隠して持っていたって話は本当だ。だが、王室はそれが世間に知られることを恐れたんだ。そして、ソフィアを奪われることより、国が滅ぶことの方を選んだのさ」


 男の言葉を聞いたアイラが、机を叩いて立ち上がった。


「そんなバカなことあるか! 国が滅んだら何にも残らねぇじゃねえか!」


 アイラの慟哭のような叫びが店内に響いた。

 だが男は驚いた様子もなく言葉を続ける。


「嬢ちゃん。随分とした熱の入りようだが、訳ありかい?」


「……別に、なんでもねぇよ」


 男の冷静な素振りに、ふんぞり返りながらアイラはゆっくりと腰を下ろす。


「んじゃ、話の続きだ。王室がそこまでして隠したかったソフィア。いったいどんな代物しろものだったと思う?」


「国を滅ぼしてでも奪いたかったとなると――」


 男の問いかけに、カノアは想像を膨らませる。

 だが男はカノアの返答を待たずして話を始めようとする――が。


「それはな――っと、酒が切れちまった。続きを聞きたけりゃ一杯奢ってくれねぇか?」


 男は空のグラスをカノアに見せてニヤリと笑う。

 酔っぱらいの話など真剣に聞いたら損をするというのは何処の世界も同じなのだと、カノアは古代のソフィアについての想像を止めた。


「いくら何でも、若い奴に酒をたかるとか大人として恥ずかしくないのかよ?」


 話に乗せられて憤慨してしまったことを反省するように、アイラは少し落ち着いたトーンで男をののしった。

 そしてそれに続くように、エレナも口を開く。


「そう思うでしょ? でも、この人この町で一番のろくでなしだから気にもしてないのよ、そんなこと」


「ろくでなしとはひでぇよ、エレナ。若いうちから楽しないように、大人としての教育をしてやってんだ。酒を呑むには金が要るし、情報だってタダじゃない。価値のあるもんを手に入れたいならちゃんと対価が必要だってな」


 そう言って男は空のグラスを揺らして、ほとんど溶けてしまった氷で音を鳴らす。

 アイラは再び頬杖をついて、男に軽蔑の眼差しを向ける。


「何てケチな野郎だ。あたしはこういう大人にはなりたくねぇな」


「え?」


 カノアはその言葉に、思わずアイラの方を振り返った。


「ん? なんだよ」


「いや、何でもない……」


 カノアは、スラム街でアイラと似たようなやり取りがあったことを思い出したが、何も言わずエレナの方を向いた。

 そしてポケットから数枚の硬貨を出すと、エレナの前に差し出す。


「これで足りますか?」


「お、気前良いじゃねぇか! んじゃ、とりあえず一杯注いでくれ。エ・レ・ナ」


 男は嬉しそうにグラスをエレナに向ける。

 そしてエレナが呆れつつお酒を注ぐと、嬉しそうに一口流し込んだ。


「ふぅ。人の金で呑む酒は一味違うね♪」


 男は酒で濡れた口元を手首で拭うと、話を元に戻す。


「そんでな。ソフィアってのは普通、指輪とかブレスレットのような身につける形をしてるだろ? 中には杖だったり、手袋や靴みたいな特別なものもあるが、この国が隠していたソフィアってのはそのどれにも当てはまらないんだ」


 男の顔が、ヘラヘラと笑っていたものから急に神妙なものへと変わったので、カノアたちもつられるように真剣に耳を傾ける。


「一体どんなものだったんですか?」


「それはな――」


 だが男の言葉を遮る様に、店の扉が勢いよく開かれた。

 そして蝶番ちょうつがいの軋む音すらかき消すように、開かれた扉が壁とぶつかり大きな衝撃音を響かせる。

 そして雪崩れ込むように、数名の武装した兵士たちが店の中へと押し寄せてきた。


「やばいぞカノア!」


 アイラは武装した兵士たちを見て、青ざめた顔でカノアに警告を促す。


「まさか追手か!?」


 カノアもアイラの言葉に焦りを覚えて席を立ち上がる。

 大峡谷の橋が落ちたことで安心していたが、キュアノス王国全土に包囲網を敷かれていたことを思い出すと、その後国を渡ってでも追いかけて来て不思議は無い。

 カノアが恐る恐る隣で座っている男を見ると、そこには不敵な笑みが浮かんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る