第3話『虎口を逃れて竜穴へ』


「ひとまずこれで何とかなるだろう」


「ありがとうございます!」


 ベッドで静かな寝息を立てるカノアを見て、ティアはホッと胸を撫でおろした。

 

「さて、自己紹介がまだだったな。私はドロシー。この街で魔法に関わる研究をしている、人呼んで深淵の魔女さ」


「私はティア。えっと、こっちが――」


「あたしがアイラ。こっちがアイリだ」


 ティアの探るような口調を察して、アイラが言葉のバトンを受け取る。


「ありがと。よく考えたら私たちもまだ出会ったばかりで、お互いの事ちゃんと話せてなかったね」


「……そう、だな」


 アイラはティアの少し申し訳なさそうな言葉に対し、あしらうように相槌を打った。

 そして話題を無理矢理変えるかのようにドロシーへと話を振る。


「しっかし、この時代にまだ魔女を名乗る奴がいるとはな」


「ほう? お前さん、魔女について知っておるのか」


「聞きかじった程度だけど、な」


「そうか。見た目に寄らず博識じゃないか」


「大きなお世話だ」


「では話はこれくらいにして、まずは部屋の掃除からやって貰おうかのう」


 ◆◇◆◇◆◇◆


 温もりを感じた。

 誰かが手を握ってくれているような温もりを。


「う……」


 わずかな声を漏らすと、カノアは少しずつ目を開いた。


「……アイリ?」


「ん」


「ここは……」


 カノアは目を開くと上体を起こし、辺りを見回した。

 何処かの部屋だということは分かったが、それ以上の情報は得られない。

 ベッドの傍で椅子に座っていたアイリに視線を戻すと、その違和感について問いかける。


「その恰好はなんだ?」


「お医者さん」


 そう答えたアイリは白衣のようなものを着ており、手に持っていた聴診器を嬉しそうに見せてきた。


「そ、そうか……。ところでここは、それにティアたちは――」


「もうやめろおおお!!!」


 カノアがもう一度部屋を見渡していると、部屋の向こうから怒鳴り声が聞こえてきた。


「なんだ!?」


 聞き覚えの無い若い女の怒号に、カノアはベッドから降りてその様子をそーっと確認しに行く。

 声のした隣の部屋を恐る恐る覗き込むと、部屋の中がめちゃくちゃに散乱している光景が目に入ってきた。


「お前はもう手伝わなくていい!!」


 その散乱した部屋の真ん中で泣き崩れている若い女と、その傍で壊れた何かの器材を手に持つアイラの姿。そして、それを部屋の隅っこで苦笑いを浮かべながら見ているティアの姿を確認したところでカノアは声を掛けた。


「何、やってるんだ?」


「カノア!」


 カノアの姿を確認したティアが、足の踏み場を確認しながらカノアの方へと歩み寄って来る。


「おはよ。もう大丈夫なの?」


「ああ、すまない。ここは?」


「ここはカノアが倒れた場所から一番近くにあったエリュトリアって街にあるドロシーさんって人のお家。街の人に事情を話して助けて貰ったの」


「そうだったのか。後で街の人にもお礼に行かないとな」


 カノアはそう言うと、床に突っ伏して泣き崩れているドロシーの傍へと歩み寄る。


「あの、助けていただいたみたいでお礼をと思ったのですが――。それどころじゃないみたいですね……」


「うう……。私の、研究が……」


 カノアの言葉が聞こえているのか、いないのか。

 ドロシーはただひたすらに泣きごとを漏らす。


「だ、大丈夫だって! これくらいあたしがささっと片付けて――」

 

 カノアの言葉に罪悪感を覚えたのか、アイラは慌てて持っていた器材を棚に置こうとする。

 だが、その瞬間――。ガッシャーーーン、と大きな音を立てて棚が後ろに倒れてしまった。


「うげ……」


 流石のアイラも取り返しのつかないことを悟ったのか、気まずそうにドロシーの方に視線を向ける。

 ドロシーは口をパクパクさせており、最早言葉を発することも困難なほどショックを受けているのが誰の目にも明らかだった。


「あのー……」


 アイラが苦笑いを浮かべながら気まずそうにドロシーに話し掛けようとしたところで、ティアのレフェリーストップが掛かった。


「お手伝いは私がやっておくから、アイラはカノアたちと街の方に行って、今夜泊めてもらえる場所を探してきて?」


「でもよぉ……」


「お願い、ね?」


 ティアはアイラの手を握り笑いかけていたが、その眼が決して笑っていなかったことにカノアは少しばかり恐怖を感じた。


「お、おう……。じゃあ、そうしよっかな……あはは」


 アイラも何か悟ったらしく、アイラはティアに手を引かれながらカノアの寝ていた部屋へとおとなしく連行されていった。

 部屋が散乱しているおおよその原因を察したカノアは頭に手を当て、この惨状を作ったその原因とこれから街に出掛けなければいけないことを憂いだのだった。

 

 ◆◇◆◇◆◇◆


「ティアもあのドロシーって人も、大袈裟だよな! あれくらいあたしが本気出せばすぐに元通りに――」


 アイラは街中を歩きながら、身振り手振りで必死に自身の行いを弁解していた。


「本気を出される前に俺の目が覚めて良かったよ」


 カノアは残されたティアと泣き崩れていたドロシーに同情しつつ、アイラとアイリと三人で歩いていた。すると、三人の姿に気付いた道端に居た男が近付いてくる。


「おー、大丈夫だったかい兄ちゃん?」


「あなたは?」


「このおっちゃんがさっきのとこを紹介してくれたんだ」


「そうだったんですか。ありがとうございました」


 カノアの律儀な姿勢に、男は謙遜を返す。


「てか、おっちゃん。魔女のことちゃんと教えといてくれよな! おかげで恥ずかしい目に合ったぞ」


「すまない。あの引き籠りは少しでも貸しを作ると、すぐに研究を手伝わせようとしてきやがるからな」


「引き籠り?」


「ああ、深淵の魔女とか何とか恰好付けているが、あいつはただの引き籠りだ。いったい何の研究をしてるんだってな」


「深淵ってそう意味かよ……。ちと、かっこいいと思ってたのによう」


「「え?」」


「え?」


 男とカノアが疑問を口にすると、そこに更に疑問を返すようにアイラが見返す。

 

「ま、まあ命助けて貰ったんだ。今回ばかりは少しくらい手伝ってやっても良いかもな」


 男は細かいことは聞かない方が良いと悟ったのか、すぐに話題を切り替えた。


「あなたにも何かお礼をしたいのですが」


 話を繋ぐようにカノアがそう申し出ると、男は「気にするな」と気前の良い態度を取ったが、何かを思い出したように一つ依頼を口にする。


「お礼ってんなら一つ頼まれ事をしてくれないか? この街にある『紅い楽園』って酒場に行って欲しいんだが」


「酒場ですか?」


「ああ、どうせ今日もあそこで酔い潰れているだろうからな」


「どう聞いても嫌な予感しかしないんですが?」


「心配することはねぇ。とりあえず行ってみてくれ。ラヴィスの紹介で来たって言えば、子供でも入れてくれるはずだ」


 カノアたちはラヴィスに挨拶を済ませると、街の中心部にある酒場へと向かった。

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