第73話『カーテンコールにはまだ早い』

「うおりゃあああ!!!」


 大峡谷に掛かる橋の終わり、エルネストが衛兵と取っ組み合いをしている。

 アイラはその衛兵にドロップキックをお見舞いした。

 衛兵が吹っ飛ぶと、アイラはティアを担いだまま華麗に着地を決める。


「お届けもんだ。受け取れ」


 そう言ってアイラは、泣きじゃくっているティアをエルネストに渡す。


「すまない、助かった。お前たちは……スラムの人間か?」


「……ちっ。あたしらのことはいい。そいつのこと、ちゃんと守ってやれ」


 アイラは苛立つように話をぶった切ると、踵を返し渡って来た橋の向こう側を振り返る。


「カノア! あたしらは無事だ! 早くお前も――」


 だがアイラが振り返った瞬間、橋が大きな音を立てて大峡谷の谷底へと崩れていく。


「全員橋の上から逃げろ!!」

 

 エルネストの怒号に敵味方関係なく、橋の上で戦闘をしていた者たちは橋の上から退避する。

 決して橋が老朽化していたわけでは無い。誰かの手によって故意に橋は破壊されたことを即座に理解する。


「嘘だろ……」


 アイラが愕然と橋の向こうに目をやると、アウァリが嬉しそうな笑顔をこちらに向けているのが見えた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 カノアは黒いローブを身に纏った少女の背中を見ていた。

 アイラを追いかけるように急接近してきたアウァリは、橋の手前で急に立ち止まったかと思うと逃げるアイラの背中を嬉しそうに眺めていた。

 警戒しつつカノアが声を掛けると、アイラが橋を渡りきったところで橋を固定していた建具を破壊したのだ。


「これで二人きりだね、カノア♡」


 アウァリは振り向くと、満面の笑みをカノアに向けた。


「……わざと逃がしたのか?」


「元々あの子たちに用は無いもん。それに、わざわざ私と二人きりになることを望んでくれるなんて、やっぱりカノア私のこと愛してくれてるんだね♡」


 アウァリが一歩一歩、踏みしめるようにゆっくりと近づいてくる。


(ティアたちはひとまず逃げられるだろう。これで俺の役目は――)


 カノアは目的を果たしたと、ほんの僅かな自己満足に浸る。

 だがそれは許されないと、遠くの方から風雲急を告げるかの如く奇声が響いて来た。


「――ェ!!!」


「何? 何の声? 魔物も魔獣も、もう全部殺したはずなんだけど?」


 アウァリも想定していない事態らしく、辺りを見回している。


「クエエエーー!!!」


「きゃっ!?」


 草木の間をすり抜けるように森の方から大峡谷へと白い塊が飛び出してきて、アウァリを突き飛ばした。


「いったぁ……。もう、何なの」


 大したダメージは負っていないであろうが、アウァリは尻もちを着いたまま腰の辺りをさすっている。

 飛び出してきたそれはカノアの目の前に立つと、誇らしげな顔を向けて来た。


「スノーラリア!?」


「クエッ!」


「クエッ? お前はあの時の!!」


 その独特な鳴き声は、旧知の友人にでも会ったかのように、カノアの記憶を呼び覚ます。

 スノーラリアは背中をカノアに見せると、目で何かを訴えかけてくる。


「乗れと言っているのか?」


「クエッ!!」


 言葉は通じずとも心が通じた気がした。

 カノアは急いでその背中に跨ると、出立の号令のようにスノーラリアに声を掛ける。


「今日こそはしっかりと頼むぞ!!」


「クエエエーー!!!」


 カノアの声に合わせてスノーラリアが一目散に駆け出す。

 突然の来訪者に呆気に取られていたアウァリは、未だ尻もちを着いたままなのが横目で確認出来た。

 一瞬にして生まれた隙を利用し、カノアはスノーラリアと共にその場を離脱した。


「――カノア! ――れ!!」


 スノーラリアは凄い勢いで一度森の方へと迂回すると、円を描くように加速しながら橋が落ちてしまった崖へと突進する。

 崖に近づくに連れて向こう岸にアイラの姿が見えて来た。


「この勢いなら向こう岸まで――」


 崖付近まで近づいたところで、向こう岸でアイラが何か叫んでいるような身振り手振りをしているのが見える。


「アイラ? 距離が遠くてよく聞こえない。何を言っているんだ?」


 アイラのその声はカノアに届くことなく、スノーラリアは崖ギリギリの地面を蹴って大きく飛んだ。


「クエエエーー!!!」


 そしてスノーラリアは背中に生えているを広げ、大空を舞う――ことは無かった。


「カノア! 止まれ!! スノーラリアは空を飛べないんだぞ!!」


「……は?」


 時すでに遅し。

 空中に身を晒したカノアとスノーラリアは、一瞬の静寂に響いたアイラの声を受け取る。

 スノーラリアは小さな翼をパタパタさせながら、重力に引き寄せられるように空中で徐々に速度を落としていく。


「クエ?」


「冗談だろ!?」


「クエエエーー!?」


「うあああ!!!」


 大峡谷の崖と崖の間。およそ中程まで進んだところで、カノアは重力に吸い寄せられるように谷底へと墜落していった。


「カノアァァァ!!」


 地獄の底のような真っ暗闇に吸い込まれていく最中、頭上の方からアイラの叫び声が響いて来た。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「嘘、だよな……?」


 アイラはよろけながら崖の方に歩いていく。

 確かめてしまったら事実が確定してしまう。まるでシュレーディンガーの猫を見るような恐ろしさを胸に抱き、アイラは崖に近付く。


「――グ・シエラ】!!」


「……へ?」


 谷底の方から何か声が聞こえて来た。

 アイラは意味が分からず、深淵を覗くかのように崖の下を覗き込む。


「クエエエーー!!!」


「おわっ!?」


 アイラは、崖下から眼前を掠めて大空へと舞い上がった白い塊を避けるように、尻もちを着いた。

 そして白い塊はそのまま地面まで急降下してくると、華麗に着地を決めた。


「はぁ、はぁ。死ぬかと思った……」


「クエ!」


 スノーラリアは何故か誇らしげな顔でひと鳴きした。

 カノアはスノーラリアの背中から降りると大きく溜息をつく。そして――


「飛べないならあんなことするな!!」


「クエ?」


 言葉は通じていないはずだが、二人は会話を弾ませている。


「ったく、ビビらせんじゃねーよ!! ……へへっ」


 腰が抜けて立てないと、アイラは地面に尻もちを着いたまま気の抜けたような笑いを零す。


「カノア!」


 そう言って抱きついて来たのはティアだった。

 無理矢理引き離された挙句、崖の下に落ちていく様を見せられて随分と恐怖に怯えていたのだろう。

 ティアは緊張の糸が切れたとばかりに、一気に溢れ出す感情のまま涙を流した。


「カノア、良かった。私、もうダメかと思っちゃって。っ……、うぅ……」


「そのセリフはやめてくれ、若干トラウマなんだ」


「え?」


 孤児院での苦い思い出が呼び覚まされると、カノアは自虐めいた発言でティアをなだめる。


「冗談だ。だが、またティアに助けられたな」


「え? 私は何も……」


「それにアイラにも」


「あたしも別に……」


 腰を抜かしたままアイラは顔を少し背ける。


「メグ・シエラは、その気になれば風に乗って空も飛べるかも、と教えてくれたのはティアだろ?」


「あ……」


「それに、この魔法を実際に見せてくれたのはアイラだ。二人のおかげで助かることが出来た」


「ん? あたし、お前の前でメグ・シエラ使ったことあったっけ?」


 アイラは座り直して胡坐をかき、不思議そうな顔を浮かべる。


「そう言えば、見たこと無かったかもな」


 カノアはそう言って自嘲するように笑った。


「何だそりゃ……」


「だが、これであいつはもう追って来られない。自分で橋を落としたのが仇になったな」


 カノアは遠目にアウァリの方を見る。

 姿は見えないが、どうやら追ってきている気配はない。あれだけ傍若無人な暴れ方をしていたので、よもや空も飛んでくるんじゃないかと心配していたが、それは杞憂のようだった。


「全員揃ったな。というか若干名増えているか? ――まぁ良い! お前ら、ずらかるぞ!」


 その場をまとめるようにエルネストが声を上げると、十字架スタブロスのメンバーと思われる数人の大人たちと、それに紛れるように男女の子供が一人ずつエルネストの元に集まって来る。


「立てるか?」


 カノアは腰が抜けて動けないアイラに手を伸ばすが、アイラは手を握るのがやっとのようだ。


「すまない、ティア。俺はこいつらと一緒にスノーラリアで移動するよ」


「分かった。また後でね」


 いつしか泣き止んでいたティアはエルネストたちと共にソフィアを使ってその場を離脱し始めた。

 カノアもその場を離脱するべく、自力で立ち上がれないアイラをお姫様のように抱きかかえる。


「ば、馬鹿! こんな風に抱えるな!」


 顔を真っ赤にして暴れるアイラを見て、元気になったのなら心配ないかとカノアは無言でスノーラリアの背中に乗せる。

 だがそれが気に食わなかったようで、アイラはカノアの頭にゲンコツを喰らわせるとそっぽを向いてしまった。

 カノアは何故殴られたのか分からないと、頭をさすりながらアイリに声を掛けた。


「アイリ。アイラが落ちないように後ろから支えてやってくれ」


「うん」


 スノーラリアはアイラとアイリを乗せると、ティアたちを追うようにその場から走り出す。

 カノアはもう一度大峡谷の向こう岸に目をやると、何も言わず踵を返し、その場を後にした。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 カノアたちが去ってからどれくらいの時間が経ったかは分からない。アウァリは草木をベッドにしたように星の瞬く夜天を仰いでいた。

 そんなアウァリを覗き込むように黒いローブを着た女が姿を現す。


「こんなところで何を寝ているのかしら?」


「逃げられちゃった」


 ケセドはため息をつき、アウァリに告げる。


「あなた、わざと逃がしたでしょ?」


「えへへ♡ バレちゃった♪」


 アウァリは起き上がると悪気もなく笑った。


「他の人間たちが追いかけられないように橋を落としたのもわざとかしら? 一体どういうつもり? あれは大事な素材だと言ったでしょ?」


「今はーの! それにカノアのことは誰にも渡さないんだから!! あなたにだってね!! ふん!!」


 分かりやすく拗ねた態度を見せるアウァリに、ケセドもお手上げのようだ。


「まったく。あなただってちゃんと完成していないのだから、勝手な行動は慎みなさい」


 そう言うとケセドは踵を返し、森の方へと姿を消していく。

 アウァリは、その森と反対にそびえる大峡谷の向こう側に視線を向けると独り呟いた。


「……今は良いんだもん。だって、私の中にあるティアの記憶が本当なら、。それまでは一緒に居させてあげるよ、ティア?」


 屈託のない笑みを浮かべ、アウァリは黒いローブに着いた草や土を振り払う。


「何をしているの? 置いていくわよ?」


「はーい♪」


 森の方から聞こえて来た声にアウァリは返事をすると、もう一度大峡谷の向こう側に話し掛けるように言葉を零す。


「必ず迎えに行くからね、カノア♡」


 アウァリは大峡谷に背中を向け、ケセドを追うように森の中へと消えて行った。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 ここはメラトリス村にある孤児院。

 夜も遅くに、玄関先でルカは一人空を見上げて座っていた。


「何をしておるんじゃ、ルカ」


「あ、村長さん」


 そんなルカの前に姿を現したのは、いつものように仙人のような白髭を蓄えた村長だった。


「もう遅いし早く家の中に入りなさい」


「けど、ティア姉ちゃんたちが帰ってこないんだ」


「ティアたちならこの国での用事が終わったから出発すると言っておったぞ?」


「えー! なんだよぉ、ティア姉ちゃん急に帰ってきて急に出ていくんだもんなぁ」


「きっとまた、会えるわい」


「ちぇー」


「ほっほっほっ。それじゃワシもまた散歩に出掛けるかのう」


「そうだ村長さん」


「なんじゃ?」


「ママ何処に行ったか知らない?」


 ルカのその言葉に、村長は無言のまま星の瞬く夜空を見上げる。


「……きっとまた、会えるわい」


 そう呟くと、村長は暫く夜天を見上げていた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 多くの草木がなぎ倒された大峡谷付近の森の中。

 負傷した衛兵や王国兵が撤退した後、イヴレーア辺境伯は一人佇んでいた。


「騒がしい夜になりましたね」


 一人の男が大木の陰から出てくるように姿を現す。


「商人くんか。ホド様の所はもう良いのかい?」


「ええ、大層喜んでおられましたよ。それにしても、随分と肩入れしておられましたね」


「当然さ。彼は唯一のランダムウォーカー。世界を縛っているという名の呪いを断ち切ってもらわないとね」


「それだけってわけじゃないでしょう?」


「同じことさ。この世界も向こうの世界も、あざなえる縄のように絡み合っている。この世界の呪いが解けない限り、愛する我が子も永遠の牢獄に囚われたままだ」


「彼にはその呪いを断ち切るだけの力があると?」


「むしろ彼にしかこの運命を断ち切ることは出来ないよ。だが皮肉にも、それこそが彼に与えられた運命というのだから、本当に残酷な話さ」


ですか。それは確かに残酷極まりない話で」


「それに、本当の戦いはここからさ。彼は辿り着かなくてはいけないのだから。リフレインの向こう側へ」


 △▼△▼△▼△


 あまり高く飛び過ぎてはダメだよ。


 ――どうして?


 高く飛ぶと太陽の熱で羽が溶けてしまうんだ。


 ――そうなんだ。


 低く飛び過ぎてもダメだよ。


 ――どうして?


 海の水しぶきを浴びて飛べなくなってしまうんだ。


 ――そうなんだ。


 決して忘れてはならないからね。


 背中の翼を広げると、少年は大空へと羽ばたいた。




― 第一章後編 完 ―


-------------------------------------------------------------


ここまでお読みいただきありがとうございました。

次話幕間にて、第一章は完結となります。

作品のフォロー並びに☆☆☆を頂けますと大変励みになりますので、よろしくお願いいたします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る