第68話『禁戒の民と幻星の守護者』
距離を詰めるようにイヴレーア辺境伯が歩み寄って来る。
「ふふっ、少しは気が引き締まったかい? 安心したまえ。私は以前伝えた通り、君たちの仲間で間違いない。一人でこの場に現れたのがその証拠さ」
イヴレーア辺境伯は、今カノアにどれほどの脅威が迫っているのかを警告するように諭した。
だが、イヴレーア辺境伯の素性を知らぬアイラは、未だ敵意を向け続ける。
「カノア、こいつの言ってることは本当か?」
「ああ、そのはずだ。それに本当に俺を捕まえに来たなら、言葉の通り他に衛兵を引き連れていてもおかしくは無い」
カノアの言葉にアイラも少しずつではあるが警戒を緩める。
だが、今度は逆にイヴレーア辺境伯の方がアイラに警戒心を向けた。
「ところでカノア君。私からも質問なのだが、そこのお嬢さんたちは本当にカノア君の仲間なのかい?」
イヴレーア辺境伯の問いかけに、カノアは一瞬肝が冷える。
敵だと思っていたママやエルネストは敵では無かった。そして、敵ではないと思っていたカリオスや村長は敵側の人間だった。
そんな状況が続いたからこそ、アイラが敵である可能性をカノアは一瞬でも考えてしまう。
だがそんなカノアの戸惑いを振り払うように、アイラはカノアに声を掛ける。
「あたしたちは仲間を裏切らないって言ったろ? こいつが何者かは知らないが、敵だってんならあたしたちは最後まで一緒に戦ってやるよ」
迷いはない、といった様子でアイラはイヴレーア辺境伯に敵対の姿勢を取る。
「ふむ、良い答えだ。アイラ、と言ったか。では君に一つ質問をしよう」
「……何だよ」
「どうして君はそこまでカノア君に拘る?」
「……あたしは世界から捨てられた人間だ。生まれた国で生きることすら許されなかった。スラムってのはそんな奴らが色んなとこから集まって出来ていて、あたしらは世界から切り離されて生きている。だけどカノアは同じ人間として接してくれて、それにあたしらの仇を打ってくれたんだ。裏切れるわけがないさ」
「仇?」
「お前ら貴族が王都で何やってるか知らねぇけどな、魔物はあたしたちの仲間の命を沢山奪ったんだ! カノアはその研究施設をぶっ叩いてくれた!! 感謝してもしきれるかよ!!」
アイラの慟哭のような叫びが夜の静かな森にこだまする。
「沢山の命、か。それはスラムの人間たちのことかい?」
「スラムのやつも何人かやられたさ。森の中でも、街の中でもな。だけど、それだけじゃねぇ! あたしは禁戒の民なんだ! それがどういう意味か、貴族のお前なら分かるだろ!!」
アイラの言葉にイヴレーア辺境伯の表情が僅かに強張る。
「なるほど……。そういうことか」
イヴレーア辺境伯はそう呟くと、程無くしてアイラに対する警戒を解いた。
だがアイラは反比例するように益々警戒心を高め、今にもイヴレーア辺境伯に襲い掛かりそうな程の姿勢を見せる。
「カノア、こいつはあたしがぶっ飛ばす。その間にお前は大峡谷を目指せ」
そんなアイラに対して、イヴレーア辺境伯は諭すように話し掛けた。
「いや、その必要はないさ」
「あ? どういう意味だ」
「試すような真似をしてすまなかった。君が王国の内通者である可能性を考えていたんだが、どうやら杞憂だったようだ」
イヴレーア辺境伯は先ほどまでと打って変わって、柔和な表情でカノアたちに視線を配る。
「どういうことですか?」
「今は王国全域にカノア君を捉えるための包囲網が敷かれている。僅かでも怪しい可能性があれば排除しなくてはいけなかったんだ」
手の内を明かすようにイヴレーア辺境伯は語る。だが、言葉だけでは信用できないと、アイラはまだ警戒を解くことなく身構え続ける。
「そういうあんたこそ、敵じゃないって証拠はあんのかよ。貴族何て真っ先に疑うべき人間じゃねぇか」
「最もな指摘だ。だが、私はこの国の貴族であると同時に幻星の守護者でもある。君が禁戒の民ならば、どういうことか分かるだろう?」
イヴレーア辺境伯のその言葉に、虚を突かれたようにアイラは表情を変えた。
「……なるほどな。あんたも同じ穴のムジナだったってわけか」
「そういうことだね」
「だがそんなのは言ったもん勝ちって話だ。あんたが幻星の守護者だって証拠を――」
いつしか話題の中心がカノアの捕獲から、アイラとイヴレーア辺境伯の舌戦へと置き換わっていたことに対し、当の本人であるカノアが口を挟む。
「アイラ、すまないが俺にも説明をしてもらえないだろうか? 禁戒の民? 幻星の守護者? さっきから言っていることが――」
カノアのその発言もまた、イヴレーア辺境伯の言葉によって遮られた。
「カノア君。すまないが、君を待っていると言った男の名前を彼女に教えてあげてくれないかい? 僕が幻星の守護者である証拠はそれで十分伝わるはずさ」
含みを持たせるような言い回しに、アイラは訝しむ。
「カノアを待ってる男? そんなやつの名前を聞いて何になるんだ?」
「その男もまた、幻星の守護者なんだ」
イヴレーア辺境伯の余裕綽々な態度に、アイラは渋々と言った様子でカノアに問いかける。
「ならカノア。あたしに教えてくれ。その男って言うのは――」
カノアは会話の内容に理解が追い付かず困惑しているものの、話を先に進めるためにアイラに待ち人の名を告げた。
「エルネストという男だ」
その名を聞き、アイラは驚愕の表情を浮かべる。
「エルネスト!? じゃあ、まさか……、いや、そんなはずは!!」
アイラは狼狽えるように視線を右往左往させている。
イヴレーア辺境伯は何かが伝わったことを確信し、再び語り掛ける。
「分かったかい? 僕とエルネストは内通しているんだ。そして――」
だがイヴレーア辺境伯の言葉を最後まで待たずして、アイラはカノアに詰め寄った。
「カノア!!」
アイラはカノアに詰め寄ると、縋りつくようにしてカノアの服を掴む。
「エルネストの他に、もう一人仲間が居たりしないか?」
アイラは顔を伏せ、カノアに問いかける。
だが、カノアの服を掴むその手は力強く握られていた。
「もう一人? 確か大峡谷の方に何人か仲間を待機させていると聞いているが――」
「違う! 女だ。あたしと同じくらいの年で、銀髪の!!」
アイラは顔を上げると、取り乱すようにカノアに訴えかけた。
「落ち着いてくれ。銀髪の子なら確かに居る。ティアという子だ。本名は確か、ティリクシア――」
その時アイラは目を見開き、唇を震わせた。
「……本当に、ティリクシアって名前なんだな……?」
「そう聞いているが、どうしたんだ?」
アイラは暫く黙ると、再び顔を俯かせる。
「……事情が変わった。あたしも、あんたの仲間の所へ、連れて行け……」
「どうしたって言うんだ。さっきから様子がおかしいぞ?」
「良いから!! ……良いから、あたしも連れて行け」
込み上げる感情を抑えきれないと、アイラはカノアの胸に顔を埋めて震えた。
その様子を見ていたイヴレーア辺境伯が辺りを見回し、突如表情を曇らせる。
「少し、しゃべり過ぎたようだ」
イヴレーア辺境伯は何かに気付いたように辺りを見回すと、カノアたちの傍に寄り、背中を預けるように臨戦態勢を取った。
「イヴレーア辺境伯?」
「囲まれている……。上手くやっていたつもりだったが、まさか私まで監視されているとはね」
そう呟くイヴレーア辺境伯の額には、うっすらと汗が滲んでいた。
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