第60話『あなたに神の御加護があらんことを #1』

「揺れが収まりましたな」


 長く続く廊下の途中で、グリマルディは落ち着いた様子で呟いた。


「一体何が起きたのかしら」


「た、大変です! ケセド様!!」


 白衣を着た研究員が慌てた様子でケセドの所にやって来た。


「何があったの?」


「わかりません。ですが、カリオス様が……」


「カリオスが? まさか、あの子たちにやられたの?」


「はい……。それと、大変申し上げにくいのですが、例の少女も牢を抜け出し合流しているとのことでして……」


「……何処の誰かは知らないけれど、私たちを出し抜くとはやってくれるじゃない」


 研究員の言葉を聞き、ケセドが静かに怒りを露わにする。


「グリマルディ、私は一旦戻るわ。あなたは黒髪の子たちを追いかけて」


「仰せのままに」


 頭を下げケセドが去っていくのを見守ると、グリマルディは踵を返し元来た道を再び歩き始める。

 グリマルディの目尻には、うっすらとシワが浮かんでいた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「くそがああ!! 痛ぇ、痛えええよおおお!!!」


 全身に大怪我を負い、満身創痍となったカリオスが断末魔のような叫び声をあげている。

 崩落したこの部屋にカノアたちの姿はもう見当たらない。

 

「あのクソガキども、次会ったら必ず殺す! どんなに足掻いても、鍵が完成しない限り明日は来ない! この痛み、何倍にもして返しやるぞ、ひひっ!」


 カノアたちが去った方を睨みつけ、カリオスは恨みを漏らす。

 だが、そんなカリオスの言葉を否定するように誰かが声を掛けてくる。


「残念だけど、それは出来ないよ」


「誰だ!?」


 カリオスが振り返ると、その声の主であるが立っていた。


「あら? ボクのこと分からないのかな?」


「あなたが、何故ここに……」


 カリオスは少女の顔を見るなり、血の気が引いたように大人しくなる。


「困っているみたいだから助けに来たのさ」


「そ、そうでしたか……。有難き幸せ……」


 体中の痛みを堪えながらカリオスは平伏する。

 だが少女はそんなカリオスに冷たい視線を送った。


「何を勘違いしているんだい?」


「は?」


「ボクが助けに来たのは君じゃなくて、カノア君だよ?」


「そ、それはどういう……。まさかあの素材を牢から出したのも!?」


「正解♪ さすが君は察しが良いね」


「何故そんなことを!!」


「彼の名前はミカド・カノア。これだけ教えれば君なら分かるよね?」


「ミカド!? そ、そんな! あり得ない、あり得ない!!」


 カリオスは痛みを忘れたかのように取り乱す。


「あり得ないことはないさ。君も見たんだろう? 彼が=の力を持っているのを」


「そんな……。だからあいつは日本のことを……」


「彼はボクら、いやこの世界にとってのランダムウォーカーなんだ。まだまだやって貰わないといけないことがある」


「し、しかしどうやってこの世界に!?」


 少女は不敵な笑みを浮かべる。


「ベルカとストレルカ」


「まさか!? 我々を裏切る気なのですか!!」


「裏切る? 人聞きの悪いことを言わないでよ。ボクの主はずっと一人だけさ」


「こ、このことはケセド様に報告させていただきますよ。例えあなたであっても裏切るとなれば相当の報いを……」


「ふ、ふふふ。あっはっはっ!」


「何がおかしいのですか!」


「どうやって報告するんだい? 君はもうすぐ死ぬのにさ」


 少女の問いかけに、カリオスは窮鼠のごとく身を強張らせる。


「例えこの場で死んだとしても、まだ鍵が完成していない内は今日のループも終わらないはず。次の周回でケセド様に――」


「まだ気付いていないのかい? そのループはさっきカノア君が断ち切ってしまったよ?」


「……は? 馬鹿な!? そんなこと出来るわけが!」


「彼はミカドなんだよ? 出来るさ。いや、むしろ彼にしか出来ないことだね」


「そ、そんな……」


「この世界線は既にループから抜けている。鍵が完成していなくても今日がループすることは無くなったんだ。つまり、君は今日死ぬともう生き返ることは無い」


 そう言うと少女はカリオスに向けて手を伸ばす。


「お、お助けを!!」


「残念♪ なら君のボスにお願いするんだね」


 そう少女が呟くと、程無くしてカリオスの魂は永劫の彼方へと消えて行った。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「ん……」


「カノア!?」


「ようやくお目覚めか」


 カノアが目を覚ますと揺さぶられる感覚が全身を伝わってくる。

 少しずつ意識を取り戻すと、エルネストが自分を担いで走っていることを理解した。


「ここは……」


 未だぼやけた意識で辺りを見回すと、研究所に侵入する時に利用した長く続く地下水路であることが分かる。


「目覚ましたんなら、さっさと降りろ」


 エルネストは立ち止まるとカノアを地面に降ろす。


「とりあえずお前のお陰で奴らの研究所も半壊状態だ。ざまぁみろってんだ」


 カノアは力の入らない体を倒れないようにと、何とかバランスを保とうとする。

 その様子を見て、ティアが駆け寄り体を支えた。


「ありがとう」


「ううん。大丈夫?」


 献身的に支えるティアにカノアは礼を伝える。


「これからどうするんだ?」


 カノアがエルネストに問い掛けた。


「俺たちの素性が王国側にバレた以上村には戻れねぇ。それに村長が裏切り者だったとあれば尚更な……」


「きっと何かの間違いだよ。村長さんが私たちの敵だなんて……」


 そう言うとティアもエルネストも沈痛な面持ちで俯く。


「ぐ……」


 次第にはっきりしてくる意識と同時に、カノアは頭に一定のリズムを刻むような痛みを認識し始める。


「カノア、大丈夫?」


「すまない、頭が酷く痛くて……」


「カノア……。ねぇ、カノア。さっきのあれは何だったの? それにその髪の毛……」


「髪の毛?」


 カノアは頭を抑えていた指の間から、自分の真っ白な髪の毛を視界に捉える。

 服装は研究所に乗り込んだ時のものだったが、髪の毛だけは白く様変わりしていることを理解する。


「これは、どうして……」


「覚えてねぇのかよ」


 エルネストが落ち着いた声でカノアに言葉を投げる。


「カリオスと対峙して、何処からか声が聞こえてきて、それから……」


「声? そういえば森で初めて会った時もそんなこと言ってたね?」


「そうだ、あの声は森で……、それに孤児院が襲われた時も」


「孤児院が襲われたの!? 早く戻らなきゃ!!」


「待ってくれティア。この世界では孤児院は襲われていない」


「どういうこと? 襲われたのに襲われてないの?」


 カノアが一周前のループでエルネストに殺されてしまったため、ティアは辺境伯の屋敷で聞くはずだったカノアがループしているという話を知らない。


「詳しいことは落ち着いてから話すよ。だが村長が敵であることに変わりは無い。やはりエルネストの言う通り、村に戻るのは危険だ」


「そんな……」


(だが、あの違和感は何だ? それに村長の去り際のあれも――)


 思考を遮るように、天井の一部が崩れて水路の中に落下した。

 カノアの引き起こした地震の影響で、地下水路は天井や壁など至る所にヒビが入っていた。


「ひとまずここから逃げるぞ。研究所や魔物に関する情報は手に入った。一度他の奴らと合流して体制を立て直す。どうするかはそれからだ」


「カノア走れる?」


「ああ、大丈夫だ」


 頭は酷く痛むが、体は少し力が入れられるようになっていた。

 ティアがカノアから手を放すと、三人は出口を目指して走り始めた。

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