第28話『運命を断ち切る者 #2』

「他の人たちは!? 誰か生きている人は!?」


 近くに生存者が居ないか視線を動かしながら足に力を込める。だが周囲は既に息絶えたと思われる村人の屍が散見されるばかり。

 そして僅か数メートルほど移動しただけで、逃げるカノアの背中を魔物たちは捕らえた。


「ぐあああ!!」


 背中を強靭な爪で引き裂かれ、脇腹の辺りに鋭利な牙が食い込む。街道で襲われた時の光景がフラッシュバックしてくる。カノアは成す術もなく、地面に倒れ込んだ。

 魔物たちは、と、微塵も息を切らさずにカノアの元を離れる。


 ――何を間違えた、何を見逃していた。


 絶望が頭の中に反響する。


 ――どうして、村の中に魔物が。


 右の腰の辺りは真っ赤に染まり、次第に痛さは熱さに変わっていく。

 その熱さは、腎臓の辺りから喉元まで順番に焦がすようにせり上がってくる。

 やがて喉元を過ぎると息苦しさが赤い塊となって口から溢れ出る。

 

 ――どうして、こんなことになった。


 カノアは今日一日の行動を懺悔するかのように一つずつ思い出す。

 僅かな希望を手繰り寄せるように、出来るだけ正確に、一つずつ。


「おーい、大丈夫かー!!」

 

 少し離れたところから、聞き覚えのある村の男の声が響いてくる。


 ――この声は。


 男の声に合わせ、獣の群れは音も立てず闇夜に姿をくらませた。


 ――こっちに来るな。


 カノアはそう言いかけて、もはや言葉を発することも困難になっていることに気が付いた。

 次第に足音が大きくなり、手に持った小さな松明で照らされたカリオスの顔がぼんやりと見えてくる。

 

「うっ、何だこの匂いは!?」


 カリオスは周囲を包む焦げた匂いのせいで、漂う血の匂いに気が付くのが僅かに遅れたようだ。

 やがて暗がりの中に無数の紅い眼が浮かび上がり、自分を見ていることにも気が付いた。

 

「ひえっ! ま、魔物!?」


 カリオスは手に持っていた松明を落とし、腰が抜けたようにその場に座り込む。

 地面に転がり落ちた松明は近くにあった血だまりを焦がしながら消火され、その明るさを失った。

 辺りが暗いのは夜のせいだけではなく、恐らく魔物と戦ったであろう村人の血だまりが地面を赤黒く染めていたことも原因だった。

 やがて暗闇の中からカリオスの叫び声が聞こえたかと思うと、骨の砕ける音と肉の裂ける音が聞こえてきた。

 

 ――カリオスさん……。俺が、声を出せていれば……。


 カノアの心に悔しさが込み上げてくる。仲間が、村人が、そして友人が、ただ殺されるのを傍観するしか出来なかった自分自身の弱さに苛立ちすら覚える。


「やはりこうなってしまいましたか。……仕方ないですね」

 

 地面に倒れ込むカノアの元に、暗闇の中から一人の男がゆっくりと姿を現した。


 ――誰だ。


 朦朧とする意識の中、男の顔だけでも見なくてはとカノアは視線を上げる。

 男の顔は白いうさぎのような仮面で隠れており、その仮面にはピエロのような模様が描かれていた。

 そして傍らには首の辺りを鎖のようなもので繋がれた人間を連れている。

 平原で会った女のように黒いローブを着ており、頭からフードを被っていて顔は見えない。だが首元辺りから伸びている鎖を男が持っているのを見る限り、奴隷のようにも見える。


 ――顔さえ見られたら……。


 ただ思考を巡らせるしか出来ないカノアは男の言葉を聞き洩らさないように耳を傾ける。


「今夜はおとなしく孤児院で過ごしていれば、死なずに済んだものを」


 これだけの惨劇を目の当たりにして、男はまるでカノアたちに非があると言わんばかりに言葉を紡ぐ。


 ――この声は、老人……?


 ハッキリとした口調ではあるが、よくよく聞くと少ししゃがれた声から、それが老人のものであると察した。

 口ぶりからして、この老人はカノアが孤児院から脱走しようとしていたことを知っていたようにも聞こえる。つまり、この老人がカノアたちの行動を抑止するために、この惨劇を招いたとも受け取れた。


 ――だが、納得がいかない。

 

 カノアは残されたわずかな時間の中で、過去の記憶を出来る限り思い起こす。思い出せば思い出すほど、やはり納得出来ない。

 何故なら、


 ――俺を殺すのは、目の前で死んでいるママのはずなんだ。

 

 孤児院の子供たちや村の人たちも死んでいる。そんなことは起こってはいけない、あってはいけないことなのだ。

 

「さて、私は引き上げるとします。さようなら、カノア君」


 老人は周囲に転がる死体を一覧すると、ため息をつき踵を返す。


「……やはり、シナリオ通りとは行きませんか」


 ――シナリオ? 何のことだ。


 カノアは少しずつ闇に紛れていくその背中に向かって手を伸ばそうとするが、指先一つ動かすことが出来ないことで、自身に残された時間の短さに改めて気付く。

 そして去っていく男は握っていた鎖を軽く引っ張ると、繋がれていたもう一人の人間がカノアに向かって手を伸ばしながら声を漏らした。


「カノ……ア。カノ、ア……」


 確かにその声ははっきりとそう言った。紛れもなく、少女の声で。

 薄れていく意識の中、カノアはその少女に視線を向ける。

 そして頭から被った黒いフードの奥から、はっきりと翡翠の瞳が自分を見ていることにも気が付いた。


 ――ティ……ア……。


 カノアはひどく呪った。

 去っていく老人を、この惨劇を、この運命を。そして、こんなシナリオを綴った神を。


 ――ふざけるな。


 心の底から憎悪が湧き出るように込み上げてくる。それはこの世のもの全てを呪ってしまいそうなほどに。


『――神様を殺してほしいの』

 

 この世界に来る前に聞いた最後の言葉が頭の中に響く。

 

 ――必ずお前のところに辿り着いてやる。そして――

 

「お前のことを殺してやる」

 

 最後の灯が燃え上がるように憎しみを吐き出した後、カノアは宵闇の中に意識を手放した。

 カノアは、何度目かの死を迎えた。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 何もない空間をただ意識だけが漂っている気がした。

 何処からか少女の声が聞こえて来る。


『だって、信用してもらいたいなら、隠し事してちゃダメでしょ?』


 ……ああ、その通りだった。

 誰も信用せず、誰にも頼らず、一人で突っ走った結果がこれだ。

 ティアでもエルネストでもママでも、誰か一人にでも相談していればこの結末は回避出来たかもしれない。

 俺は、あまりにも愚かだった。


 ――汝、何を欲するか。


 この声はあの時の……。


 ――汝、力を欲するか。


 ……何も要らない。


 ――其の真意を答えよ。


 魔法という力に溺れ、ループという力に溺れ、みんなを疑い傷付けて。

 俺は自惚れていたんだ。力は強さではなく、その在り方にこそ真価を問われる。

 俺はそれを正しく理解していなかった。それでは、どんな力を持ってもそれを正しく扱うことは出来ない。


 ――資格を持つ者よ。


 資格?


 ――汝は既に資格を得た。


 何の話だ?

 

 ――運命を断ち切り、世界の理を覆すのだ。


 さっきから何を言っているんだ?

 お前は誰なんだ?

 

 ――行くが良い。境界の担い手、神門ミカドの子よ。


 その言葉を最後に、俺は意識を手放した。




― 第一章前編 完 ―


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本話にて第一章は折り返しです。

後編では、襲撃の犯人は誰なのか、そして主人公・カノアを取り巻く様々な「謎」に迫っていきます。どうぞお楽しみください。

作品のフォロー並びに☆☆☆を頂けますと大変励みになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。


※次回、第一章幕間となります。

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