第25話『死に至る病 #2』
「ここもダメか」
カノアはティアを孤児院から連れ出した後、村の中を隈なく回っていた。
だが何処に向かっても必ずどこかで村人と出会う。過疎区画に行けば魔獣と出くわす可能性があり、住民の多い区画は人目を避けられない。
「ねぇ、カノア。そろそろ何をしてるのか教えて欲しいんだけど」
「すまない。時間が無いんだ。事情は後で必ず話す」
「カノア……」
カノアは先ほどよりも苛立ちが募っていた。
だがそれも仕方無かった。何故ならば、村人の目を避けるように村の中を進むと、必ず旧噴水広場に向かってしまうのだ。
人の少ないところを選んで歩いているのだから、最終的に過疎区画に向かってしまうのは当然とも言えるが、カノアには何か見えない力によって導かれているようにも感じられていた。
「カノア、ここって……」
ティアにとっては、本来一人で来るはずだった旧噴水広場。
「もしかして、私が不安になってることを分かって連れて来てくれたの? でも、どうしてここを知ってるの?」
不安を拭うためなどと、そんな優しい理由であればどれ程良かっただろうとカノアは天を仰ぐ。
そしてそんなカノアを嘲笑うように咆哮が轟いた。
「何!? 何の声!?」
「結局、あれを何とかするしかないのか」
牛頭人身の魔獣が、斧を片手にゆっくりと近づいて来ていた。
◇◆◇◆◇◆◇
次に目が覚めた時は孤児院のベッドの上だった。
カノアは部屋の中を見渡し、子供たちが部屋の外に走っていくのが見える。
子供たちがどんな声を出していたか、目が覚めた時どんな顔で自分を見ていたのか。そんなことにすら、脳が反応しなくなっていた。
流れる時間と同じように、ただただ全ての事象が過ぎ去っていくだけ。
ようやく上体を起こし、窓の外を眺める。
「俺には、どうすることも出来ないのか――」
己の無力さが悔しい。抗うことも、逃げることも、全てが無駄に思えるほどの喪失感だけが心を包み込んでいく。
だがそんな喪失感さえも、少女の一声で強制的に取り払われる。
「カノア……」
振り返ると、部屋の入口には佇むティアの姿。
喪失感すらゆっくりと味わうことが出来ない。
立ち向かっては打ち砕かれ、逃げては追い込まれる。
手に掴んだものが、砂のように指を擦り抜けて落ちていく。
それでもまだ足りないと、強制的に現実に引き戻される。
それはまるで、命ではなく魂そのものを削り取るように。
「あの、カノア。昨日は、その……」
ティアの言葉を遮るようにカノアはベッドから降りる。
「ティア、すまない。俺のせいで」
「カノア?」
カノアはティアにゆっくりと歩み寄る。
だが、自分の体が自分の物ではないように伸ばす足がおぼつかない。
ふらふらと自分に歩み寄ってくるカノアを見かねて、ティアの方から迎えに行く。
「カノア、大丈夫? そんなに怪我が酷いならゆっくり休んでて?」
カノアの体を優しく抱き止めると、ティアはベッドの方に連れ戻そうとする。
「いや、大丈夫だ。まだ立ち上がれる。まだ、歩ける。今すぐ外に行こう」
「どうしたの、カノア? 顔色もすっごく悪いし、寝てなきゃダメだよ?」
「寝ている暇なんか無いんだ。こうしている時間すら惜しい」
生気を失ったように外を眺めていたかと思えば、今度は鬼気迫るような雰囲気を漂わせている。
ティアはそんなカノアの様子に異常さを感じながらも、寄り添うように村の中を着いて歩いた。
いや、異常さを感じていたからこそ、一人にしておくのは危険だと思ったのかもしれない。
◇◆◇◆◇◆◇
あれからどれ程の時が流れただろうか。
いや、正確には同じ日の同じ朝を同じ部屋で迎えていることから、世界の時は流れてなどいない。
目が覚めてはその意識が途絶えるまでを、何度も繰り返した。
何度も。何度も。
光の差し込まない暗闇を歩くように、道標の無い時間をあてもなく彷徨うように。
もう憎しみも湧いてこなかった。
ただ少し、歩き疲れた。
◇◆◇◆◇◆◇
「――カノア。ねえ、カノア?」
ふと、自分を呼ぶ声にカノアは意識を取り戻す。
それが自分の名前だったのかさえ忘れてしまいそうなほど、長い時を過ごした気がする。
「朝からずっとおかしいよ? もう夕方だし、体調が悪いならそろそろ部屋に戻ろ?」
ただでさえ人気の無い旧噴水広場は、夜に向かうに連れその静けさを増していく。
幾度となく繰り返した輪廻の中で少しずつ生きながらえる時間も伸びていたが、それでも今日という日を夜まで過ごせたことは一度も無かった。
「なあ、ティア」
「何?」
「ティアはこの世界が好きか?」
「え? うん、そうだね。辛いことも多いけど、それでもみんなが居るから。お父さんやお母さんと過ごした時間も、みんなと過ごした時間もこの世界の大切な思い出。勿論カノアと出会えたことも、ね。だから私はこの世界のことが好きだよ?」
「そうか……」
「本当にどうしたの? 私、ちゃんと話聞くから。何かあったなら教えて?」
「俺はもう……」
咆哮が轟く。
それは連鎖する絶望が再び始まったことを知らせる合図のように。
「何!? 何の声!?」
咆哮に続き、微かな地響き。
それが次第に大きくなることで、何かが近づいて来ていることが分かる。
「どうして村の中に魔獣が居るの!?」
やがてその咆哮の主が姿を現すと、ティアはいつものごとく驚愕する。
いつものように魔獣が走ってきて、いつものように斧を振り上げ、いつものように殺される。
この旧噴水広場に来た時点で、カノアは既に全てを諦めていた。
「俺はもう、立ち上がることが出来ないんだ」
「何言ってるのカノア! 早く逃げて、ここは私が食い止めるから!」
それが叶わないことをカノアは一番良く理解している。
何度も目にした光景。自分が死ぬのが先か、ティアが死ぬのが先か。いずれにしてもこの場から少しでも逃げられたことは一度も無い。
「カノア! 早く立ち上がって!」
「もういいんだ。また次、頑張るから――」
幾度となく繰り返された惨劇よって、カノアは体ではなく心が殺されていた。
――愚かな。
それは自分で自分に言い聞かせた言葉だったのだろうか。
殺されてしまった心を蔑む声が、確かに聞こえた気がした。
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