第20話『十五日、夜、邂逅 #2』
空はその暗さを雄大に広げ、夜の訪れを知らしめている。
カノアが目を覚ましたのは、そんな暗がりの中。
膝に乗っていた黒猫はいつしか居なくなっていた。
「……少し休むだけのつもりだったのに、最悪だ」
カノアが寝ていたのは三十分にも満たないが、丁度日が落ち始めていた境目の時間ということもあり、目が覚めた時には世界が様変わりしているようにも感じられた。
「そうだ、ネックレス! ……は、ちゃんとあるか。これを無くしていたら戻るに戻れないところだった」
カノアは自身の手の中にしっかりと握られていたネックレスを見て安堵するが、視点が上手く合わず未だ寝ぼけ眼であると感じた。
「早く村に戻らないと」
幸いここは村からもさほど離れておらず、急いで帰ればさほど時間は掛からない。
「これが例の街道だったとしたら、襲われていてもおかしくなかったな」
街道で襲われた時刻はもう一時間程遅くはあったが、夕闇の最中で目を覚ましたカノアにその違いは判断できない。
村への帰路を急ぐため立ち上がろうとするが、体がふらつき体勢を崩す。
「っと。まだ頭がぼやけているな」
倒れそうになったカノアは、もう一度立ち上がろうとするが、またしてもふらつき上手く立ち上がれない。
「なんだ? 体が上手く動かない?」
ふらついて上手く立ち上がれず、カノアは木にもたれ掛かる。
「あらあら。ようやくお目覚めかしら」
その声はカノアの頭上から聞こえてきた。
カノアは上を向こうとするが、首から先が痺れるような感覚がして上手く動かせない。
「うふふ。上手く体が動かせないでしょう」
カノアが視線を上向けることが出来ない中、その声はカノア頭上から地上へと降りてくる。
その声は何処かで聞いたことのある女の声だったが、カノアは頭が痺れてはっきりと思い出すことが出来ない。
「あなた、なかなか一人になってくれないから困っていたの。さっきの子猫には感謝しないとね」
カノアは木の上から降りてきたその声の主に視線を合わせる。
黒いローブのようなもので全身が覆われており、顔はおろか骨格や体格もはっきりとは分からない。
「うふふ。何か必死に考えているようだけど無駄よ。逃げられると困るから、あなたには少し魔法を掛けさせてもらっているわ」
女はカノアにゆっくりと近づく。
カノアは女の顔を見ようとするが、頭が痺れているせいか視点が定まらない。
「それに万が一ここから逃げたとしても、山にも街道にもあの子たちを待機させているから、逃げ場所は無いわよ」
カノアが少し離れた山中に目を向けると、所々に紅い光が小さく浮かび上がっているのが見える。
「あの子たち、玩具で遊ぶのが大好きなの。この意味が分かるかしら?」
(例の襲撃のことか……。せめて顔だけでも見られたら――)
カノアはようやく近づけた犯人の手掛かりを何か一つでも得ようと画策する。
だがやはり、この女の言う通り何らかの魔法によって阻害されているらしく、上手く頭が回らない。
「さて、そろそろ本題に移るとしましょう。あなたは何者かしら?」
何者か。それは自分がこの世界の人間ではないことを分かった上での発言だろうか。
だが何者かと聞いている時点で、詳細を知らないと言っているのと大差ない。
「おしゃべりはあまり好きじゃないのかしら? それとも、もう喋ることも出来なくなった? いずれにしても意味の無いことよ。しゃべらなくても、教えてもらうことが出来るの。それが私の力」
女は何か特別な力を持っていると言わんばかりに、余裕を宣言する。
「何処かの国のスパイかしら? それともただの迷い人? いずれにしても、邪魔になるならその命をいただかなくてはいけないわ」
女はローブの間から手を伸ばす。
カノアの顔の前で手を広げると、語り掛けてくる。
「さぁ、【あなたの記憶を私に見せて】」
その言葉と共に、女の手のひらが光る。
何かが体を侵食する感覚。何かが全身を這うように蝕んでいく。
痛みなどは無い。だが、体の自由を奪われるような感覚。視覚も聴覚もうまく機能せず、指先一つに至るまで、体中が支配される。
「あら、意外と耐えるのね」
その言葉すらカノアの耳には届いていない。
だが、女は手を緩めることなく、カノアの全てを支配し続ける。
「こんな子初めてだわ。何処から紛れ込んだのかしら?」
女は更に支配を強めるべく手に力を込める。そして、それに呼応するように光が増していく。
「これ以上は壊れちゃうかしら? 勿体ないけど、素材としては使えなくなるわね。とても魅力的な個体なのに、残念だわ」
宵闇の空を散らすかのごとく、光が大きくなる。
「本当に、残念……」
女がそう呟くと、辺りはまばゆい光に包まれた。
◆◇◆◇◆◇◆
意識が朦朧とする。
今、自分は何処に居るのだろうか。
暑さも寒さも感じず、周りが明るいのか暗いのかさえも分からない。
そこは音だけが存在する世界。
――声も出ない。指も動かせない。体中がいうことを聞かない。
だが、誰かが傍に居る気配だけは感じる。
瞼を開けて確認しようとするが、完全には開かない。
わずかばかりに開かれた視界から草が生い茂る平原であることと、誰かの手が自分に向かって伸ばされていることだけが分かった。
その手はぼんやりと光を放っており、視界は遮られている。
――顔を、顔を見せてくれ。
せめて何か一つ。
次の周回に情報を持ち込むことが出来れば、希望が掴める。
そんな思いを嘲笑うかのように、カノアの耳に聞き覚えのある声が届く。
「おやすみなさい、カノア」
それは孤児院で毎日聞いていた声。
毎日美味しいご飯を作ってくれた。
カノアを優しく迎え入れてくれた、あの人の声。
――そう、だったのか。
カノアの意識は、深い闇の中に消えていった。
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