第58話『ダモクレスの盟約 #1』

 血の匂いが空気と混ざり合って辺りに充満している。

 カノアたちは床のところどころを血だまりで赤黒く染め上げた部屋でカリオスと視線を交錯させている。


「お前ひとりで勝てると思っているのか?」


「なめるなよ、ザコ共が」


 エルネストの勝気な発言に、カリオスも負けじと舌戦を繰り広げる。

 カリオスは不敵な笑みを浮かべると、服の内側から先ほど研究員たちを魔物へと変貌させた試験管を取り出す。


「ティア気を付けろ。あれを浴びたら俺たちも魔物にされちまうぞ」


 エルネストがティアに警戒を促す。

 だが、カリオスはその発言を聞いて鼻で笑った。


「ひひっ、誰がお前らなんぞに使うか」


 売り言葉に買い言葉。エルネストは皮肉の一つでも、とカリオスを挑発する。


「まさかてめぇ自身が魔獣にでもなって戦うつもりかよ」


「ああ、そのまさかだよ」


 カリオスが一層不敵な笑みを浮かべる。


「あ? 魔獣になったら元に戻れなくなるんじゃねぇのかよ?」


「そこに転がっている出来損ないどもと一緒にするなよ」


 そう言うとカリオスは試験管の蓋を外し、中身を一気に飲み干す。

 先ほどの研究員同様、次第に体が肥大化していき、徐々に体も赤黒く変色していく。


「こいつ、マジでやりやがった」


 呆気に取られているエルネストに変貌を遂げたカリオスが語り掛けてくる。


「随分と良い顔で驚いてくれるじゃないか」


「な!?」


 異形の姿となっても尚、カリオスは勝ち誇った声で見下すような態度を示す。


「こいつは傑作だ。まさか俺が自暴自棄になってこの姿になったとでも思ったのか? 俺は魔物、いや魔獣になっても自我を保てるのさ」


 カリオスは両足を曲げて力を込めると、エルネストに鋭い視線を伸ばす。


「さぁ、楽しもうぜ!!」


 曲げていた足を一気に延ばし一気に距離を詰めてくる。


「この野郎!」


 間一髪のところでエルネストは体を横転させ、受け身を取る。

 まだ体に蓄積されているダメージで本調子が出せないエルネストは、躱すだけで精いっぱいのようだ。


「【ミク・アネモス】!」


 ティアがカリオスの着地に合わせて風魔法を見舞う。

 だがカリオスは避けるまでもないとその攻撃を体で受け止める。


「下級魔法なんぞで傷を付けられると思うなよ?」


 カリオスは標的をティアに変え襲い掛かって来る。

 ティアは正面から一気に距離を詰められ、身動きが取れずに体が硬直したまま立ち尽くす。


「ティア!」


 間一髪のところでカノアがティアを抱きかかえてカリオスの攻撃から逃れようとする。

 自身に風魔法の恩恵を受けていなかったらここまで素早くは動けなかったはずだ。

 だが、カリオスの攻撃はわずかながらにカノアの背中を捉え、その鋭利な爪で皮膚を切り裂いた。


「ぐあ!!」


「カノア!」


 ティアに怪我は無かったものの、カノアは決して軽くは無い傷を負う。

 カリオスはその様子に僅かに苛立ちを見せる。


「おいおい、危うく殺すところだったじゃないか。お前は生け捕りにするって話を聞いていなかったのか?」


 痛みを堪えながら立ち上がると、カノアは自身を生け捕りするという今までの襲撃とは異なる扱いについて疑問を呈す。


「どうして今回は生け捕りなんだ? 襲撃して来たときは何度も俺を殺したじゃないか。まさか、記憶を引き継いでまた繰り返されるのを恐れているのか?」


「繰り返しを恐れている? 何を勘違いしているのか分からないが、お前が生きようが死のうが今日はまた繰り返されるぞ?」


「俺が生きていても……?」


 カリオスから告げられた一つの事実。

 それはカノアの生死がこの世界のループとは無関係であること。


「まさかお前、自分の死がループのトリガーになっているとでも思っていたのか? こいつは傑作だ! お前の死なんて関係ない。この世界は、目的が果たされるまで同じ日を繰り返すんだよ!」


「そんな……」


 カノアは鋭利な刃物を喉元に突き付けられたように、ただその事実を受け入れるしかなった。


「その驚き様からして、お前は本当に関係者じゃないみたいだな。だがそれなら何故記憶を引き継げている? まぁ、本当にお前は希少なだけの素材なのかもな、ひひっ」


(関係者、素材……。そして、こいつは日本のことを知っていた。この世界はいったい何なんだ? そしてこいつらの目的は――)


「何ぼさっとしてやがる。殺さないと言っただけで、攻撃しないとは言ってないぞ!」


 カリオスはそう言うと、カノアに向けて口から火球を発射する。


「カノア!!」


 今まで肉弾戦を主にしてきたカノアは、魔法を防ぐ術を知らない。

 自身に向けられた脅威にただただ身を晒すも、今度はティアがカノアを守るように立ちはだかると、両手を伸ばし魔法を弾いた。


「ちっ、魔法障壁か。小賢しい」


「助かった。ありがとう、ティア」


 そう言うとティアはカノアの方少し振り返り、ニコっと笑う。


「お母さんのお守りは少しなら魔法を弾いてくれるの」


「魔法を弾く……。そうか、それのおかげで、平原で襲われた時助かることが出来たのか」


 カノアは平原で襲われた時何故死なずに済んだのか、その理由を知った。


「そいつは……。そうか、そうだったなお前は――」


「やめて!」


 カリオスが何か言い掛けると、ティアがそれを遮るように声を荒げる。


「ティア?」


 急変したティアの態度に、カノアも何か異変を感じ取る。


「ん? ああそうか、その様子だと教えていないのか! カノア、お前実は信用されていないんじゃないのか?」


 何かを察したカリオスが嘲笑う。

 だがティアはそれも否定するようにただ声を上げ続ける。


「違う! カノアのことは信用してる!」


「じゃあどうしてお前はお前自身のことを隠している? 隠し事なんかしていて信用してもらえるとでも思っているのか?」


「それは……」


 何かを問い詰めるようにカリオスはティアを責め立てる。

 ティアは何も言い返せず、泣きそうな顔で次の言葉を探すように視線を右往左往させている。


「信用するさ」


 カノアはティアの前に立ち、カリオスの視線を自分に向ける。


「……カノア」


「ひひっ、その女の正体を知っても同じことが言えるかな?」


 カリオスは、自分は何かを知っているとでも言いたげな表情で、カノアを皮肉った。

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