第56話『反撃の交響曲 #1』
白一色だった床。今ではその大部分に赤黒い血だまりと魔物の残骸が散乱している。
そんな部屋でカノアとエルネストは目の前の魔物と対峙していた。
「何とか救う方法は無いのか!?」
カノアは己の身の危険を感じつつも、目の前の元は人間だった魔物を救う方法を模索している。
「そんなこと言っている余裕はねぇ!! やらなきゃこっちが先に死んじまうぞ!!」
「あっはっは! そいつの言う通りだよ、カノア。その姿になったらもう人間に戻ることは無理だ。さっさと殺してやった方がまだ優しいってもんだ」
「てめぇは黙っていろ! こいつを殺したら次はお前の番だ!!」
煽るように外野から皮肉を投げかけるカリオスにエルネストは常に殺気立っていた。
「やはり、戦うしかないのか……」
カノアが半ば諦めかけた時、カリオスが入って来た扉から黒いローブの女がゆっくりと姿を現した。
「何を遊んでいるの? カリオス」
「ケセド様!」
「あら、あの素材もダメだったの? やっぱりなかなか良い素材は見つからないわね」
ケセドが残念そうにため息をつくと、魔物にされた女がケセドへと標的を切り替えて襲い掛かった。
「ギャアアアアァァァ!!!」
肥大化した巨体を物ともせぬその速さにカノアたちはまともに反応することさえ出来なかったが、ケセドはゆっくりと片手を上げると何やら呪文のようなものを唱え、襲い掛かって来た魔物を消し去った。
「騒がしいわね」
ケセドは何事も無かったかのように上げていた片手をローブの中にしまった。
「ちっ、胸糞悪いぜ」
エルネストは目の前で魔物にされてしまった女に対し、何も出来なかった自分自身に罪の意識を感じているようにも見えた。
「ケセド様。そこの二人はなかなか使えるかと。片方は例の
カリオスは左手を胸の辺りに当て、右手を後ろに回して軽く頭を下げると、まるで自分の手柄を報告するように自慢げに答えた。
「あらそうなの? 平原で会った時は邪魔が入って最後まで確認出来なかったけど、そんなに素敵な素材ならあの時無理してでも連れて帰っておくべきだったわ」
(こいつが平原の……。やはり俺を襲ったのはママじゃなかった)
カノアは平原での記憶を掘り起こした。襲撃の犯人がママでは無かったことに少し安堵したが、一連の襲撃犯と平原の襲撃犯がやはり繋がっていたことで感じていた危険は一層増す。
「さっきから人のことを素材だなんだと、てめぇら調子に乗るんじゃねぇぞ!」
エルネストは激高をそのままぶつけるような形で力任せに魔法を放った。
だが、ケセドは先ほどの魔物に対する姿勢と同じように、軽く手を上げるとエルネストの魔法をかき消した。
「な!?」
「今お話ししているの。あなた、少し静かにしていてくださる?」
「魔法がダメってんなら、こいつでどうだ!」
エルネストは腰に携えていた拳銃を素早く引き抜くとケセド目掛けて一発の銃弾を撃ち込む。
銃弾がケセドの被っていたフードの端を僅かに捉えると、エルネストはニヤリと僅かに笑みを浮かべた。
「へへっ、やっぱりてめぇでもこいつは防げねぇみてぇだな」
得意気に語るエルネストに、ケセドは声色を変えて静かに殺気を放つ。
「どうしてあなたがそんなものを持っているのか気になるけど、邪魔になりそうだからさっさと殺してしまおうかしら」
そう言ってケセドが再び呪文を呟くと、見えない何かが飛来し、エルネストは後方に吹き飛ばされた。
「エルネスト!!」
「ぐっ、なんだ今の攻撃は……。何も、見えなかった……」
「あら、随分と頑丈ね。でもいつまで耐えられるかしら?」
追撃を加えようと、ケセドはエルネストに向かって真っすぐと手を伸ばす。
ダメージがデカいのか、エルネストはその場に倒れ込んだまま動けないようだ。
「ケセド様」
その老人の声は、ケセドの背後から聞こえて来た。
カノアとエルネストがそちらに視線を向けると、にわかに信じがたい光景が目に飛び込んでくる。
「な!?」
そこには、メラトリス村の村長が立っていた。
カノアたちは衝撃のあまり言葉を失うが、当の本人は何食わぬ顔でケセドと会話を進める。
「グリマルディ、どうしてここに? もしかしてこの子たちを誘い込んだのはあなたかしら?」
「ええ、誘うのは白いウサギの役目でございますから」
「よくやってくれたわ」
「けっ、これ見よがしに手柄をアピールかよ。気に食わねぇ」
カリオスはグリマルディに対し、威嚇するように言い放つ。
やっとの思いでカノアは言葉を振り絞り、グリマルディと呼ばれた村長に言葉をぶつける。
「どうして村長が!」
「どうして、か。求めるばかりでは、答えは得られんよ」
グリマルディは冷たい視線をカノアに送る。
カノアは何かを見透かされたような気持ちで、ただその視線を受け取るしかなかった。
「さて、じゃあそろそろ話も終わらせようかしら」
そう言うと、ケセドがゆっくりとカノアに向けて足を進めてくる。
一歩ずつ。地面を踏みしめるように。
だがまるで、その状況に待ったを掛けるように、白衣を着た研究員らしき男が二人ほど部屋に入って来る。
「大変ですケセド様! 例の素材が逃げ出しました!」
「なっ!?」
その言葉を聞き、カリオスが驚嘆の声を上げる。
「見張りはどうしたの?」
「それが、見張りをしていた警備兵たちは全員殺されておりまして……」
研究員の男たちの言葉を聞き、ケセドがカノアたちの方を向く。
「まさか貴方たち、他にもお仲間を連れて来ていたの?」
カノアたちに心当たりは無かったが、ケセドの言葉から今の状況は想定外の事らしい。
思い通りに事が進んでいないことを知ったエルネストが、上体だけを起こして皮肉を投げかける。
「何を言っているか知らねぇが、良いザマだ」
体を起こせるほどにはダメージが緩和されたように見えるが、エルネストはまだ立ち上がれるほどには回復しきれていないようだ。
そんなカノアたちの状況を察し、カリオスがケセドに提言する。
「ケセド様、ここは自分にお任せください」
「……そうね。頼んだわカリオス。グリマルディ、あなたは私と一緒に来なさい」
「仰せのままに」
「それとカリオス。その黒髪の子だけは生かして捕らえなさい」
「はい、承知しました」
「それじゃ、また会いましょう」
ケセドたちは自分たちの段取りだけを端的に話すとその場を去ろうとする。
「待て!」
矢継ぎ早に展開される状況にただ呆然と見ているしか無かったカノアは、今の状況だけではなく、自身が何故この世界に来てしまったのか、この世界はいったい何なのかを聞かねばと、去っていくケセドたちを呼び止める。
だがケセドはその言葉に反応することなくその場を去っていく。
「俺が相手してやるってんだから楽しもうぜ?」
そしてそれ以上の発言を許さないと、カリオスがカノアの前を遮るように相対した。
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