第50話『信用してもらいたいなら #1』

 子供たちが階下に降りる声が聞こえてくる。

 カノアが目を覚ますと見知った天井が広がっていた。


「……くそっ!」


 仰向けのまま拳を握り布団に振り下ろす。

 カノアは苛立ちを隠せず、握った拳に力を入れ続けた。


「考えが甘かった。俺以外にもループしている奴が居るなんて、簡単に想像の出来る話だった」

 

 握っていた拳を解くように、ゆっくりと力を緩める。ようやく布団から起き上がると、ふらふらと窓辺に歩み寄る。

 心を落ち着かせながら、窓の外を眺めた。


「カリオス……。今度こそお前を捕まえて襲撃の目的を――」


 カノアは何かに思考を遮られるように、言葉を止めた。

 視線を窓の外から部屋の中へと移し、何かがいつもと違うことに気が付く。


「おかしい、いつもならティアが――」


 胸騒ぎがしたカノアは急いで一階に降りてダイニングへ向かう。

 そして、そこもカノアの想像していた光景とは違った。


「どうしてここに?」


 ダイニングの奥のキッチンに目をやると、ママが子供たちの食べた朝食の後片付けをしていた。


「あら、おはようございます♪ カノア」


「お、おはようございます……」


「どうしたんですか? 顔色が優れないようですが」


 ママの心配そうな顔を見て、思わず顔を逸らす。


「いえ、あの……」


 いつもであれば自分の寝ていた部屋で出会うはずのティアの姿が見えない。そして、こちらもいつもであれば王都へ向かっていて孤児院では会うことのなかったママの姿。

 二人が入れ替わるようにして目の前に現れ、カノアは狐につままれた心境だった。


「今日は十六日で合っていますか?」


「ええ、合っていますけど」


(日付は変わっていない……。なら何故二人の行動がこんなにも変わっている?)


 カノアは頭の中で情報を整理しようとしたが、あまりにも異なる光景に結論どころか仮説すら羅列出来ない。

 少しでも情報を集めるように、目の前で不思議そうに自分を見ていたママに疑問をぶつける。


「あの、ママは王都に行っているはずじゃ」


「王都ですか? んー、今日は雨が降りそうなのでやめちゃいました♪」


 にこやかな笑顔でママはそう告げた。

 だがそのにこやかな笑顔とは裏腹に、カノアの心中は穏やかでは無い。


(どういうことだ? やはりカリオスに会ったせいでまた流れが書き換わってしまったのか?)


 前回は今までと比べても確かに衝撃の大きい一日となった。そして自分以外にもループを記憶している人間がいることも確認出来た。

 果たしてそれがこの異なる事象を招いた核心的な出来事だったのか。

 カノアは未だ憶測でしか現状を予想出来ないことに焦りが募る。

 まず確認出来ることからと言った心境で、いつも周回と異なる点がどう異なっているのかを改めて整理する。


「あの、ティアを見かけませんでしたか?」


「イヴレーア辺境伯のところじゃないですか?」


「辺境伯の?」


「今朝辺境伯のお屋敷から使いの方が訪ねてきて、エルネストから伝えたいことがあるからティアに来て欲しいと」


(確か今までの流れだとエルネストは朝から一人で屋敷に向かっているはず。伝えることがあるならどうして一緒に向かわなかったんだ?)


「あの、屋敷の使いの人というとアンナさんですか?」


「アンナさん? いいえ、そういえば見たことない方だったような……」


「どんな人でした?」


「男性で、何か黒いローブのようなものを着ていたかしら?」


 カノアの脳裏に一人の男の姿が浮かぶ。

 途端、心臓を握られたような痛みを感じる。


(ティアを連れ出したのは間違いなくカリオスだ! 俺がティアやエルネストと話をする前に先手を!)


 カノアと同じくループを経験しているものであればこの程度の事象干渉は容易い。

 だが、今まで自身の正体を偽って接触してきたカリオスが直接行動に打って出たという事実は、最早一刻の猶予も無いことをカノアに感じさせた。


「ありがとうございます! 少し出掛けてきます!」


 ティアが孤児院を出てからどれ位の時間が経っているかは分からないが、カノアはとにかく慌てるようにして玄関に向かった。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「カリオスのやつ、最早手段を選ぶ気は無いということか?」


 玄関で靴を履きながら、カノアは今の状況を整理する。

 今までは魔物や魔獣を使ってその様子を監視していたであろうカリオス。前回のルカ誘拐もカノアやティアが居ないのを見計らっての犯行だった。

 だが、今回に至っては一日の始まりから自分自身でティアに接触してきた。


「ティア……。無事で居てくれ――」


 カリオスの目的は分からないが、ティアが危険な状況であることは想像に容易い。

 そんな想像をしながら靴を履いていたので、カノアは背後から自分に近付く気配にすら気付けなかった。

 その人物はカノアの背後に音も立てずに近付くと、ゆっくりと両手を広げてカノアのことを思いっきり――抱きしめた。


「えいっ♪」


「な、ママ!? いきなり何を――」


「カノア。少し慌てていませんか?」


 それは荒んでいるカノアの心を包み込むような優しい声だった。


「ママ、カノアのことは良く分かりませんが、きっと大丈夫です。あなたは賢い子です。しっかりと前を向いて歩けば、それだけで大丈夫です。ママが保証します♪」


 その温もりはカノアの全身に染み渡るように広がった。

 呼吸も浅く、脳まで酸素が十分に行き届いていなかったのだろう。その温もりに身を委ねているうちに、少しずつ全身を血が巡る感覚がカノアを平常心へと導いていく。


「……ありがとうございます。少し、落ち着きました」


「はい♪」


 カノアのその言葉を聞き、ママはゆっくりと腕を解く。

 背中にまだ人肌の優しい温もりを感じつつ、カノアは立ち上がった。

 そのまま玄関のドアハンドルを開けようと視線を向けたが、カノアは一度振り返りママの方を向く。

 ママの顔を見ていると今までのことが思い出される。孤児院の襲撃があるまで、自分はこの人のことを疑ってしまっていたのだとカノアは改めて後悔をした。


「あの……、いってきます」


「はい、いってらっしゃい♪」


 ママは満面の笑みでカノアを送り出した。

 カノアはその笑顔を心に刻み、玄関の扉を閉めた。

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