第26話『葬送の彼方』
牛頭人身の怪物が咆哮を轟かせ、その巨体を苦にもせずカノアに迫る。
死を受け入れることに慣れてしまっていたカノアは、ただただ魔獣を見据えていた。
「カノア、お願いだから立ち上がって! 早く逃げないと殺されちゃう!」
普通であれば、命惜しさにすぐさま逃げるのが正しいだろう。
だが逃げることも、立ち向かうことさえもカノアは何度も試した。
その結果、またこの場面を迎えているということが全てを物語っている。
「愚か、か」
何処からか聞こえた気がしたその言葉は、今のカノアを表すのに最適な表現だった。
たとえやり直すことが出来るとしても、今その時点で立ち上がれない者に「次」という選択肢は訪れない。
「カノア、危ない!」
魔獣が地面をえぐるように斧を振り上げると、その後の展開を予期したようにティアはカノアを抱きかかえて地面を転がる
「っ!!」
それから僅かに遅れて轟音と共に衝撃が地面を伝った。
先ほどまでカノアが座っていた噴水の端は、魔獣が吹き飛ばした地面の礫が当たった衝撃で砕け散る。人体にまともに当たっていれば、甚大な被害は免れない程の威力。
「いったぁ……。カノア、大丈夫?」
ティアは直撃しなかったものの、わずかにかすった肩の部分は衣服が裂け流血している。
「どうして助けるんだ? 俺にはもう、何の価値も無いんだ」
カノアの問いにティアは声を荒げる。
「そんなことないよ! カノアが何を悩んでるのか分からないけど、今日だって何かを求めてずっと歩き続けてた。森の中で会った時も、街道で魔物に襲われた時も、カノアはずっと立ち止まらなかった。それはどうして? カノアの中で諦められないことがあったからじゃないの!?」
ティアはいつも何処か抜けていて、いつも笑っていて、でも自分の信念は持っていて。そして、誰かのために一生懸命になれる少女だった。
その少女が自分のことを想い、涙を流した。
「私は諦めない。私がカノアを守るから!」
ティアは涙を拭うと、ふらふらと立ち上がる。
何十回という絶望の輪廻に身を投じる内に、カノアはいつしか守る側から守られる側になっていたことに気が付く。
どんなに苦しい状況でも、どんなに辛い状況でも、ティアは決してカノアを見捨てなかったことを思い出す。
幾度となく繰り返された今日を、ずっとそばで寄り添ってくれていたのは紛れもなく彼女の優しさであり、強さだった。
そして今回も自らの命が尽きるその瞬間まで、ティアは立ち向かい続ける姿勢を崩さない。
「俺は……何を守りたかったんだ」
カノアは地面に倒れたまま空を見上げる。
その間も、ティアは怪物の気を引きながら逃げ続けている。だが、ソフィアを持たないティアはただの少女に過ぎない。
次第に動きは鈍り、傷が増えていく。
「俺は……」
見上げた空は薄暗くなっており、夜の訪れを告げていた。
「きゃっ!」
カノアの傍にティアが飛ばされてくる。
その肉体は既に限界を迎えており、もうまともに立ち上がる事すら叶わない。それでも、歯を食いしばって、ティアは立ち上がろうとする。
「ティア、もうやめてくれ。俺を置いて行けばいい。君だけでも逃げるんだ」
「私は逃げたりしない。誰かを見捨てたりしない。守られるだけの人生はもう嫌なの!」
強い言葉がカノアの胸を貫く。
自分が守ろうとしていた少女は、守らなければならない程か弱い存在では無かった。
少し先の結末を知ってしまったことで、全知の神にでもなった気がしていたのだろうか。
来たる結末に抗えないと悟り、逃げることも立ち向かうことも当の昔に諦めていた。
本気で立ち上がる気も無いのに、形だけの救済を取り繕って、頑張ったふりをしていた。
本当の強さを持った少女の姿に、己の弱さを知った。
「俺は……」
――ドクン。
目の前で立ち上がる傷だらけの少女の姿に、胸が強い鼓動を打った。
それは自分でも制御出来ないほど、次第に強く、早く。
「カノア、みんなに知らせて。早く村の外に逃げてって」
だが、そんなティアの願いに終止符を打つように、魔獣は更なる追撃の姿勢を見せる。
「この魔獣は私が――」
相対する魔獣は、その言葉ごとティアの事を叩き潰そうとする。
だがそれは思いもよらぬ形で阻止された。
「……カノア? カノア!?」
ティアと魔獣の間に割って入るように、ふらふらっとカノアがその身を晒す。
当然のごとく魔獣は標的を自身から最も近いカノアへと切り替える。
持っていた斧を大きく振りかぶると、カノア目掛けて振り下ろした。
「カノア! ダメ、逃げて!!」
ティアの願いも空しく、その斧は振り下ろされた。間違いなく振り下ろされたはずなのに、何故か。カノアはその斧を傷一つなく受け止めている。
「……カノ、ア?」
ティアは信じられない光景に戸惑いの声を零す。
「ぐ、があああ!!!」
カノアは突如獣のような咆哮をあげる。
魔獣は何かを感じ取ったかのように、もう一度斧を振り上げ、今度は両手で握り先ほど以上の力を込めて振り下ろした。
「カノア!!」
ティアはその身を案じ渾身の声を上げるが、カノアはその場を一歩も動くことなく振り下ろされた斧の直撃を喰らう。
カノアの立っていた地面が沈み、その衝撃が周囲の地面へと伝わるように地割れを起こしていく。
「きゃっ!」
痛みに耐え辛うじて立っていただけのティアは、その衝撃に耐えられずその場に座り込む。
衝撃から遅れるように砂ぼこりが吹き荒れ、周囲の視界も奪われる。
「カノア……!」
強い風圧と共に打ち付けるように飛来する小石から身を守るべく、ティアは顔を両手で覆う。
吹き荒れる砂ぼこりの向こうから魔獣の咆哮が一層大きく響き渡った。その後、舞っていた砂ぼこりを吹き飛ばすように更に強い風が吹き、周囲の視界が開ける。
「ん……」
強い風と砂ぼこりの中、呼吸すらままならなかったティアは探るように息を吸った。
そして閉じていた目を開けると、魔獣の姿は無く、沈んだ地面にカノアが倒れているのが見えた。
周囲に魔獣の気配が無いことを察すると、ティアは痛みを堪えながら慌てて立ち上がり、カノアの元へと歩み寄る。
「何、これ……?」
ティアはその身を案じてカノアに近付いたものの、その手前で足を止めた。
それは倒れているカノアの背中に、白い翼が生えているのを見つけたからだった。
「これは何? 魔物なんかじゃない、よね……。この国は一体何を作ろうとしてるの!? カノアはいったい……」
魔獣との遭遇から一時間程。薄闇の空は次第にその黒さを増していた。
◆◇◆◇◆◇◆
「あり得ない! 何なんだあいつは!? ただのガキじゃないのか!?」
旧噴水広場から立ち去る声は憎しみを纏っていた。
その憎しみの根源は、村の過疎区画を離れるとやがて居住区画の奥へと近付いていく。
「……計画変更だ」
血に飢えた渇きを潤すように、その憎しみはツギハギの建物の前で立ち止まった。
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