第21話『汝がバラ色の頬』

「おっきろー!」


 無防備な体に衝撃が走る。

 子供というのは時に残酷で、いとも簡単にえげつないことをやってのけるのだ。


「うぐっ!? ……どいてくれないか」


 最悪の目覚めだった。

 カノアが生まれてから十七年。このような起こされ方をした記憶は――。


「カノア起きたー!」


 そう叫びながら数名の子供たちが部屋から走って出ていく。。


「……また、やり直しか」


 痛みを覚えた腰の辺りをさすりつつ、まだはっきりとしない頭で部屋を見渡しながら、この孤児院に来てから何度も経験した朝の記憶と重ね合わせる。


「あの声は……。どうして」


 意識が途切れる前の、最後の記憶を呼び起こす。

 最後に聞こえたあの声が、耳の奥にこびりついて離れない。

 悔しさに感情が支配され、無念さに思考が淘汰され、受け入れ難い現実に、未練が増していく。

 カノアは自分でも気が付かない程、悲痛に顔を歪めていた。


「カノア……」


 カノアは名前を呼ばれ、はっとして部屋の入口を見る。

 そこには今にも泣き出そうな顔で自分を見つめているティアの姿があった。


「ごめん、私がもっと早く迎えに行ってれば!」


 ティアは涙を流しながらカノアに駆け寄り、ベッドに座っているカノアを優しく抱きしめた。


「違う! ……違うんだ。君のせいじゃない」


 カノアは抱きしめるティアの腕をそっと解き、顔を見られないように下を向く。


「すまない、ティア。今は少し、一人にさせてくれ……。頼む」


 カノアの懇願とも取れるその言葉からは、心に抱える悲痛な思いが伝わってくる。


「ごめんね」


 ティアは震えた声で謝り、足早に部屋を出て行った。

 

「すまない。だが、覚悟は決まった」


 そう呟くと、カノアはベッドから降り、ズタズタに引き裂かれた心を落ち着かせるように身だしなみを整えた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 カノアは部屋を出て一階へと降りる。

 ダイニングへは向かわず、そのまま玄関へと足を運ぶ。


「まずは逃げるためのルートの確認だ。誰にも見られず、行き先も分からないように村を出る。問題はその後。王都の方にはママが居て、辺境伯の屋敷にはエルネストが居る。改めて考えてみれば、どちらの道を進んでも誰かに待ち伏せされていた状況だったのか」


 カノアは靴を履きながら、小さな声で独り言を呟いている。

 カノアは限られた条件の中で、最も確実にティアを連れて逃げる方法を模索していた。

 

「……カノア」


 名前を呼ばれてカノアは肝が冷える。

 今の話を誰かに聞かれていたら全てが水泡に帰す。

 周りに聞こえるような声ではしゃべっていなかったはずだと思い、カノアは恐る恐る声のした方を振り返る。


「……どうしたんだ、ティア」


 振り向いた先にはティアが立っていた。

 ティアは何を話せば良いのか分からないといった様子で、おどおどしている。


「え、えっとね、ママが朝ごはん作ってくれてて、今は王都に行ってるんだけど……。エ、エルネストはイヴレーア辺境伯のところで! それから、えっと、えっと……」


 それを見かねたカノアは履きかけていた靴を一度脱ぎ、ティアの方に歩み寄る。


「ティア、君のことは必ず俺が救う。今はただ、信じていてくれ」


 カノアはティアの目をまっすぐ見つめる


「え? え!? きゅ、急にどうしたの!?」


 カノアはそれ以上何も言うことなく、靴を履き直して外に出て行く。

 突然のことで何を言われたのか分からないティア。それとは裏腹に、ティアを守るためならどんな手を使ってでも計画を成し遂げるという覚悟を強くするカノア。

 カノアの心は、酷く落ち着いていた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 ティアを連れて村から脱出するのは、ママが王都から帰ってくるまでの間に実行しなければならない。

 計画をクリアするための条件は、村から出る時に誰にも見られないこと。そして、その後も誰にも見つからず遠くへ行くこと。


「確か以前再生屋の他のメンバーについて聞いたとき、辺境伯の屋敷の向こうに国境があると言っていたな。そしてそこにはメンバーが待機しているとも。だとすれば国境に向かうのは避けたほうが良い。そうなると王都方面へ行くか、平原を突っ切って道なき道を行くか」


 王都にはママが居て、平原の先は何処に通じているかカノアは知らない。


「仮に王都に行っても通行証が無いので門前払いか。それにママとばったり出くわす可能性を考えたら、一度平原の何処かに身を隠し、ママが王都から帰ってくる時間を見計らってその後王都方面に……」


 カノアは顎に手を当て、ぶつぶつと独り言を言いながら歩いている。

 そして、いつもの村の入口へ向かう角を曲がったところで、カノアはいつもの男のことを思い出し咄嗟に身をかわす。


「おっと、大丈夫かい?」


 足がもつれて倒れそうになったカノアを、いつもの男が支える。

 

「すみません、少し考え事をしていて」


「おや? 昨日魔物に襲われたって聞いたけど、もう怪我は大丈夫なのかい?」


「ええ。……孤児院のママに看病してもらったので、だいぶ良くなりました」


 ママのことを口にするのを少し躊躇う。

 だがこの村の誰が敵か分からない以上、変な態度を取って悟られてはいけない。

 出来るだけいつもと同じような口調を心掛ける。


 カノアはカリオスとの会話を終え、いつも通り村の入り口へと向かい、村長と商人が会話しているのが見えたところで立ち止まる。


「こっちもやはりいつも通りか。だが今回は悠長に手伝いをしている時間は無い。少しでも早くこの村を抜け出さないと」


 カノアは村長たちが居る入口の外までは行かず、気付かれない位置で踵を返した。


「考えてみれば、これだけの壁に囲まれていて、出入り口が一つと言うのは流石にあり得ないよな。壁伝いに歩いて行けば、もしかしたら人目に付かず抜け出せる場所を見つけられるかもしれない」


 村の正面にある入り口を使って抜け出すとなれば人目に付く可能性は高くなる。

 他に出られる場所を探したほうが賢明なのは間違いない。


「抜け出せる場所を探すのは良いが、壁伝いにずっと歩いて探すのは流石に目立つか。ひとまず目立たないように、人気の少ない場所を探してみよう」


 カノアは適当に散歩をしているふりをして、村の中を散策し始めた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 村の中に少し寂れた区画があった。

 そこには手付かずのまま放置されている寂れた家屋がポツポツと見受けられる。

 以前人が住んでいた形跡があるが、今は誰も住んでいない区画のようだ。


「この辺りなら人気は少ないが、逆に潜伏するのにも打ってつけの場所だ。監視されている可能性を考えると、この静けさも罠のように思えてくるな」


 疑心暗鬼になれば本来気にする必要のないことまで気になり始める。

 カノアはこの数日でまさにそういった心境に陥っていた。


「この辺りに抜け出せる場所は無いだろうか。仮に無かったとしても、これだけ人が居なければ風のソフィアで一気に飛び越えるのも可能か。それに見つかったとしても、ループを利用して何度も挑戦は出来る。いや、その度にティアが危険に晒されることを考えると失敗を前提に動くのは……」


 カノアは自問自答をするように、村から抜け出すための作戦を練っては破棄し、練っては破棄しを繰り返す。

 もう少し作戦に活かせそうな場所は無いかと寂れた路地を進むと、少し開けた場所に出た。


「ここは……」


 村の中の過疎区画にあった小さな広場。中心には乾いてしまった小さな噴水がある。

 寂れてしまってはいるが、その懐古的な風景は人の心を癒すには打ってつけの場所とも言えるだろう。

 だからこそ、ティアはそこに居たのかもしれない。


「ティア?」


「え、カノア? 何でここに?」


 日はまだまだ高く昇っている昼日中。

 噴水に腰を掛け、青空を見つめていた少女に、カノアはゆっくりと歩み寄る。

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