第19話『十五日、夜、邂逅 #1』

 カノアが黒猫を追いかけ、村を出て行ってからおよそ数時間。

 孤児院ではティアがカノアの帰りを待っていた。


「大丈夫かなぁ」


「そんなに心配なら迎えに行けばいいじゃん」


 ルカは弟のニカに哺乳瓶でミルクをあげながらティアに言葉を返す。


「んー。心配って言うか、何かカノアって放っておけないのよね。何でだろ?」


「何でだろって……」


 二人が会話をしていると、ダイニングの入口の扉がガチャリと開く。


「ただいま~。お薬だけ買って帰ってくる予定だったんですけど、ついお買い物もしていて遅くなっちゃいました~」


 どうやらママが王都から帰ってきたらしい。

 ティアとルカがママにおかえりと告げると、ティアはママが買って帰ってきた荷物の片づけを一緒になって手伝い始めた。


「あらあら~。ティアどうしたんですか? 顔にお悩み中って書いてありますよ?」


「え!? うそ、どこどこ?」


「本当に書いてあるわけないじゃん。ティア姉ちゃんの顔見たら誰だって悩んでるの分かるよ」


 ルカは呆れ気味に、ママの言っていることを翻訳する。


「そっか、えへへ……。実は今日のお昼ごろから、カノアが散歩に出掛けたっきり戻ってこないの。そろそろ日も暮れるし、昨日の怪我のこともあるからちょっと心配で」


「あらあら? カノアならさっき見かけましたよ?」


「え! 何処で!?」


「え~っと。村から少し離れたところで、黒猫さんと遊んでいましたよ?」


「あっはっは! ティア姉ちゃん心配して損したな! けどあの朴念仁のカノアが猫好きとは、意外な一面もあるんだな」


 ルカは先ほどまで深刻そうにしていたティアに向けて、盛大に笑いを飛ばす。

 ティアも、まさかカノアが猫と遊んでいて帰りが遅くなっているとは思っていなかったので、次第に心配より可笑しさの方が勝ち始める。


「そっか、えへへ。カノアが元気そうなら良かった。朝起きた時も、出掛ける時も、何か思い詰めた様子だったから」


 二人の笑いに釣られて、ルカの腕の中でニカも笑顔を零している。


「けどそろそろ夜になるし、やっぱり迎えに行ってこようかな」


 そんなティアの考えを妨げるように、ママが口を開く。


「ティア。もう少し一人のままにしてください」


「え?」


 ママはニコっと笑い、買ってきた野菜や果物をキッチンの棚に仕分けを始めた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 ここは村から歩いて二十分ほど離れた山沿いの平原。

 黒猫を追いかけて、カノアは見慣れぬ場所まで足を運ぶことになっていた。


「はぁっ、はぁっ。俺はあまり運動が得意じゃないんだ。よくもこんなに走らせてくれたな」


 カノアは平原にいくつか生えている背の低い木の一本を見上げて、そう話しかける。

 見上げた先にはネックレスを咥えた黒猫が幹から伸びる枝の一つでその身を休ませていた。


「さあ、そいつを返してくれ。それが無いと村に帰れないんだ」


 言葉が通じていないであろう相手にカノアは必死に話しかける。

 黒猫は木の上からジッとカノアを見つめている。逃げる様子ではないが、かといって降りてくる様子でもない。


「……もしかしてお前、降りられなくなっているのか?」


 カノアの推察は当たっていた。

 黒猫はカノアに追いかけられた勢いで木を駆け登ったが、登った後にその高さに気付き降りられなくなっていた。


「はぁ……。勘弁してくれ。これだけ走った後に木まで登らせる気か? 俺はそんなお人好しじゃないぞ」


 もう日も暮れ始めている。

 村の入口の門が閉まるまでにはまだ時間があるが、誰にも村の外に出ることを告げていないので、あまり遅いと締め出される可能性がある。

 カノアはその可能性が頭をチラついており、逸る気持ちを抑えきれずにいた。


「くそっ! そこを動くなよ!」


 カノアは早々に自身の前言を撤回し、木を登り始める。

 

「もう少し。くっ!」


 改めて近くで見ると、黒猫はまだ子猫であることが分かった。

 カノアの伸ばした片手でも、軽く持ち上げられそうなほどに体は小さい。胸の辺りには白いワンポイントの模様があり、それがまた愛らしさを際立たせている。

 黒猫は立ち上がると、カノアが伸ばした手に近付く。


「さぁ、こっちに来るんだ」


 木の枝をそろりそろりと歩いてカノアの手に近づく黒猫。

 カノアの指先が黒猫に触れるか触れないかくらいの距離になった時、黒猫はその指先をかわし、腕を踏みつけ、カノアの右手から背中までを順番に踏みつけるようにして、木の下へと降りて行く。


「なっ!? お前――」


 黒猫が急なスピードで自分を踏みつけて降りたので、カノアはバランスを崩す。

 落ちないように木の幹を掴もうとするが、その手は空を切り地面へと落ちる。

 高さが無かったことが幸いして大事には至らなかったが、上手く受け身を取ることが出来ず全身を強打した。


「っ!!」


 全身に走った衝撃で一時的に呼吸が上手くできない。


「……っ。……はあっ、……はあっ……」


 少しずつ痛みが引き、呼吸もそれに伴い整える。

 すぅーっと息を吸い、ゆっくりと吐く。それを数回。


「こんなので死んで時間が戻されるとか、冗談じゃないぞ……」


 カノアは痛む体をゆっくりと起こす。

 先ほどまで自分が登っていた木に背中を預けるように座り、痛みが引くまで安静にしようとする。

 そんなカノアに、またしてもそろりそろりと小さな黒い影が近づいてくる。


「……なんだ。追いかけると逃げるのに、やめた途端に近付いてくるのか」


 黒猫は、座っているカノアの膝に乗っかるとそのまま喉を鳴らして甘えてくる。


「はあ……。これは返してもらうからな」


 カノアは膝に乗ってきた黒猫を撫でながら、咥えていたネックレスを返してもらう。


「少し、休んでいくか」


 膝から退く気が無い黒猫を見て観念したのか、カノアは暫く黒猫を撫でていた。

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