第13話『それでも朝はやってくる』
カノアと人影との距離は五十メートル程。そこに人が居る可能性を考慮して歩いていなければ、この夜空の下ではまだ気付けなかったであろう距離だ。
「さあ、お前の姿を見せてもらうぞ」
緊張は一気に高まり、カノアは心の中で臨戦態勢を取る。あくまでも今回はまだ敵襲と決まったわけでは無いので、あくまでも心の中だけで。
だがこんな時間にこの場所で、全く関係ない人間に遭遇する可能性を考えると、前回と同じく敵襲であると思って損はない。
次第に人影との距離は近づくが、前回よりも前に足が進まない。しかし、警戒していることに勘付かれたら正体を明かす前に逃げられる可能性もある。あくまでも気が付いていない素振り、かつ警戒を怠らずに、一歩ずつ。
自分に近付くその影が、前回の記憶と何か異なっている気がしてカノアは違和感を覚える。
その時、草原が風に吹かれてざわめく音に紛れ、何かが近づいてきていることに気が付いた。
それが人なのか或いは何かの動物なのか。本来であれば、わずかな星明りだけが頼りの夜にそれを判断するのは無理なことだが、カノアはそれが何かを瞬時に理解することが出来た。いや、周囲が暗闇だからこそ、判断出来たのかもしれない。
「マズイ!」
暗い草原の中、紅く光る幾つもの眼が勢いよくカノアに向かってきている。それは以前カノアが森の中で見た光景と酷似していた。
十中八九助からないことを悟ったカノアは、本来の目的である謎の人影の方に向かって走り始めた。
この魔物たちがあの人影の指示によるものであれば、尚更野放しにするわけにはいかない。
「せめて顔だけでも見せてもらうぞ!」
魔物たちは凄い勢いでカノアに迫りくる。
カノアが人影に追い付くのが先か、魔物がカノアに追い付くのが先か。風のソフィアを上手く扱うことが出来ればすぐにこの距離を詰められるのに、とカノアは残念な気持ちを抱きながら街道を駆ける。
しかし、後少しのところでカノアは魔物に捕まった。
体に激痛が走る。手、足、背中。次第に痛みを感じる箇所が多くなる。
身を守るため、手に持っていた手提げ袋を放り出し防御姿勢を取るが、魔物たちの鋭い攻撃を素手で防いでも傷が増える一方だった。
「くそっ、結局何も情報を掴めないままか!」
ヒット&アウェイで攻撃してくる魔物たち。一匹が噛みつき離れる。それと入れ替わるようにして次の魔物が爪を立てて切り裂いてくる。
連携の取れた攻撃に、森の中での襲撃のことが思い出される。
「……どうせ死ぬなら試してみるか」
カノアは襲撃の記憶と共に、自身がそれをどうやって退けたのかも思い出す。
前回この夜空の下で試した時、闇魔法を上手く発動することが出来なかった。だがカノアはあれからいくつかのパターンを考え、他に必要な条件が無いかを考え直していた。
宵闇の森での出来事。天と地の境目も分からないほどの漆黒の世界。会話。
もし力を得るためには代償が必要ならば。
死ぬ度に過去に戻れる人間が、自分の死と引き換えに力を手に入れることが出来たならば。
無限の命と、繰り返される力の増幅。そんな反則が許されるだろうか。
カノアは体の中から力が沸き上がるイメージをする。それも純粋な力ではなく、黒く濁った力。あの時感じた運命に対する憎しみ、恨み、妬み、怒り。
記憶を呼び覚ますように感情を駆り立てる。それに呼応するように、カノアは黒き情動が次第に体を支配していくのが分かった。
辺りの暗闇を支配するように、自身の中に満ちる負の感情を操るように。やがて意識が闇に溶けて混ざり始める。
あの時と同じ感覚。全てを破壊し、蹂躙し、混沌の淵へと叩き落す。
――全てのものヲ道連レに、地獄ノ門ヲこジ開ケる。
心と思考が侵食されるように支配され、自身の体に闇が満ちていく感覚。
だが以前のような暗闇が何かを飲み込むような感覚だけではなく、自分の手から溢れる黒い何かが筋繊維を断つ感覚があった。沢山束ねた細いゴムチューブを鋭利な刃物で切断するような、切り離れた瞬間プツッと弾けるような感触が断続的に手に伝わってくる。
快感とも呼べるその感触に、先ほどまで感じていた痛みすら心地良く思えてくる。
そして、断末魔とも呼べる獣の咆哮は続き、次第にその数も減っていく。
「カノア!」
暗闇の向こうから自身を呼ぶ声が聞こえた。
――邪魔をするな。
カノアは自身の意識を遮るように聞こえるその声が煩わしくて仕方がない。
暗闇の向こうから聞こえてくる声は、カノアの意識を深淵から引きずり上げる。
「カノア! しっかりして! カノア!!」
――知っている声だった。必死に何かを叫んでいる。何故?
――知っている顔だった。目から涙が零れている。何故?
――知っている温もりだった。体を強く抱きしめられる。何故?
――俺は君を知っている。君は――。
「……ティア」
「カノア! 私が分かる!? お願い、しっかりして!!」
気が付くと魔物や人影は居なくなっていた。星明りの夜に少女の声だけが響き渡る。
「絶対に死なせないから! すぐに村まで連れて行くから!!」
ティアはカノアの指から風のソフィアを外し、自分の指にそれを着ける。
近くに手提げ袋が落ちているのを見つけると、ティアはそれを拾った。
「ごめんね、私が行かなかったからこんなことに……」
ティアはそう呟くと、血に染まったカノアのことを背負い走り始めた。
大丈夫だから、大丈夫だからと何度も口にしながら。
◆◇◆◇◆◇◆
通り抜ける風が気持ち良い。まどろむ意識の中、カノアは目を開けた。
「……ティア」
それが最初に口から出た言葉だった。
「カノア!? もうすぐ村に着くから! もうすぐママのところに着くから!」
ティアはカノアの意識が再び暗闇の中に放り出されないように必死に呼びかける。
どうしてそんなに必死に叫ぶんだ。どうして君はそんなに泣いているんだ。カノアは心の中で言葉を繰り返す。
未だカノアの意識は暗闇の中にあるのかもしれない。はっきりとしない頭でティアの声だけを聞いていた。
◆◇◆◇◆◇◆
「ママ! お願い! カノアのこと助けて!」
ティアは村に戻ると、目もくれず孤児院に駆け込んだ。
その様子にママや周りの子供たちは目を丸くして驚き、中には泣き出す子供もいた。
「何があったんですか!? 急いでお二階の部屋に!!」
ティアはカノアを背負ったままカノアが寝泊まりしている部屋に運び込み、ベッドに寝かせる。
「カノア大丈夫だよね? 大丈夫だよね!?」
「大丈夫、ママが必ず助けます。ティアはお着替えとタオルとお湯を準備してください!」
ティアは部屋を後にすると、来客用に準備してある男性用の着替えを取りに行った。
部屋に残ったママは何か呪文のような言葉を呟き、カノアへと手を伸ばす。
ママの伸ばした手のひらは、カノアの傷口を照らすように光っていた。
◆◇◆◇◆◇◆
カノアが運び込まれてから数時間後、その部屋にママたちの姿は無かった。
ベッドに横たわるカノアは運び込まれた時から衣服が変わっており、血で汚れていた手足も綺麗になっていた。
寝息を立て、安堵するように眠り続ける中、部屋の扉がガチャリと音を立てて開かれる。
扉の隙間から差し込む光を遮るようにして、無精髭を生やした大柄な男が部屋の中に入ってくる。
「あれで死んでないとは驚いたぜ。ソフィアも満足に使えないこいつが、魔物に襲われて一体どうやって生き延びたんだ?」
エルネストは寝ているカノアに近付くと、腰に携えた拳銃にそっと手を触れた。
◆◇◆◇◆◇◆
「おっきろー!」
無防備な体に衝撃が走る。
子供というのは時に残酷で、いとも簡単にえげつないことをやってのけるのだ。
「うぐっ!? ……どいてくれないか」
最悪の目覚めだった。
カノアは生まれてから十七年。このような起こされ方をした記憶は一度たりとも――。
その瞬間、記憶が呼び起こされる。この光景、この感覚。既に何度も味わっているはずだと記憶が訴えてくる。
「カノア起きたー!」
そう叫びながら数名の子供たちが部屋から走って出ていく。
カノアはベッドから体を起こし、痛む頭を押さえながら言葉を零した。
「今日は、何日だ」
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