第10話『D.S.n』
カノアは辺境伯の屋敷が見えると、小走りに小高い丘を駆け上がる。
普通に歩いたときよりは早く着いたが、空は薄暗くなっていた。
煌びやかな装飾が美しい門の前に立つと、端にある宝石を触る。
「確かティアはこれを触っていたな。……すみません、お昼にご挨拶させて頂いたカノアです。どなたかいらっしゃいますか?」
何の反応も無い。
「嫌な予感はしていたが、やはりこれもソフィアの仕組みで動くものだよな。もっと早く気付くべきだった」
辺りも薄暗くなってきている最中、貴族の屋敷の前で一人立ち尽くしているのは何とも不審極まりない。かといって勝手に門を乗り越えて入るのは、同時に人としての一線も超えてしまうので選択肢としては論外だ。
どうしたものかとママから預かった荷物を握りしめ、カノアは策を練っていた。
「あの、どうかされましたか?」
ふいに後ろから声を掛けられたので、カノアは慌てて振り返る。傍目から見れば余計に怪しい挙動だったが、声を掛けてきたその人物は微動だにせず言葉を続ける。
「お昼にいらっしゃっていたカノア様ですね。ヘロスト様に何か御用でしょうか? それとも何かお忘れになられましたか?」
昼間案内してくれていたメイドだった。
貴族を爵位で呼んでいないということは、辺境伯とは近しい間柄なのだろうか。
彼女が辺境伯からアンナと呼ばれていたことを思い出し、ひとまず見知った顔に出会えたことでカノアは安堵した。
「メラトリス村の孤児院のママから荷物を預かってきました。来月行われるシノミディア祭で子供たちが着る予定の衣装だそうです。デザインなど問題無いか確認してほしいとのことでした」
そう伝えてカノアは持っていた手提げ袋をアンナに手渡す。
「夜分にご足労頂き、感謝いたします。確かに衣装は受け取りました。辺りも暗くなってきておりますし、本日は泊まっていかれますか?」
「いえ、今日は村に帰らせていただきます。ご飯を準備してもらっていますので」
「左様でございますか。お気を付けてお帰り下さいませ」
アンナは頭を下げると、カノアが屋敷を後にするのを見送っていた。
◆◇◆◇◆◇◆
辺りは日が落ち、すっかり暗くなっていた。
田舎の街道だけあって街灯などは当然のように設置されていない。僅かに降り注ぐ星明りと、一本道だったのが救いだった。
「やはり風の魔法だけでも早めに使えるようにならないと、この世界では移動に困るな」
夕飯までには戻ると約束をしていたので、戻ったらティアにもママにも小言を言われるだろうとカノアは少し億劫な気持ちになった。だが、今はあの孤児院が自分の帰る場所だと思うと、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
「日本に居た頃は、家に戻るのも楽しいことでは無かったからな」
時間に換算すれば、ほぼ数日前は日本に居たはずだが、かつての記憶は遠い昔のことのように思えてきていた。
「そういえば、帰る前にもう一つ試しておかないと」
カノアは辺りが暗くなっていることを確認し、森の中で闇魔法を使った時のことを思い出す。あの時は操られていたような感覚ではあったが、記憶はうっすらと残っていた。
今までは昼の明るい時に色々魔法を試したが、実際にカノアが魔法を使ったと言えるのはあの夜での事だけ。
討伐作戦も夜になると魔物が活発なるからという話だったことを思い出し、自分がティアの言う通り魔物の類ならこの時間に魔法が使えるという可能性を考えていた。
「あの時は気が付くと真っ暗な空間に居て、それから何か声が聞こえてきた。その声と対話していく内に次第に体の内側から何か黒い感情が沸き上がって……」
一つ一つを丁寧に思い出していく。あの時の流れや感情の動き、出来るだけ詳細に。
だがはっきりとした現象は何も見受けられず、少し夜と混ざったような感覚だけが残った。
「……やはり上手くいかないか。俺が魔物である可能性が下がったという意味では良かったのだが、結局こっちの魔法もまだ上手く使えないな」
カノアは再びぼんやりと街道を歩き始めた。
暫く歩くと辺りを駆け抜ける風が草原のざわめきを大きくした。この世界でも夜は冷えるのだと肌寒さを感じた時、進路の先に人影があるのが見えた。
「こんな時間でも出歩く人は居るんだな。まぁ他人のことは言えないが」
一本道である街道を村の方から来たということは、知っている人間の可能性がある。
その時カノアは頭の中にティアの顔が思い浮かび、まさか帰りが遅いから迎えに来たのでは、といった考えが頭をチラついた。
次第に人影とカノアの距離が近くなる。
カノアは急に近づいては相手を驚かせてしまうので、少しゆっくり目に歩く。
やがて暗闇でも顔が分かりそうなほどカノアとの距離が近づいたとき、それがティアと同じくらいの背丈の少女であることが分かった。
「まさか本当にティアか?」
カノアはどう言い訳をしようか考えていたが、いざその場面になると余計なことは言わず素直に謝罪をするのが良いだろうという結論に達した。
まさか本当に迎えに来るとは思っていなかったので、申し訳なさよりも気恥ずかしさの方が勝った故の照れ隠しだったのかもしれない。
それもあってか、カノアは対面するよりも先に少し視線を逸らしてしまった。
視線がその人影から外れた刹那、背中から胸の辺りを何かが突き抜けたような激痛が走る。
その直後、口から大量の血を吐き出し、言葉を発する間もなくカノアは地面に倒れ込んだ。
自分の身に何が起きたのかも分からず倒れているカノアに、少女が歩み寄ってくる。
「……えへ……へ♪」
近づいてきた足元から上に視線を動かすと、暗闇の中に浮かぶ翡翠の瞳がこちらを見ていた。
◇◆◇◆◇◆◇
「おっきろー!」
カノアの無防備な体に衝撃が走る。
子供というのは時に残酷で、いとも簡単にえげつないことをやってのけるのだ。
「うぐっ!? ……どいてくれないか」
最悪の目覚めだった。
カノアは生まれてから十七年。このような起こされ方をした記憶は一度たりとも無かった。
一度たりとも――。
「カノア起きたー!」
そう叫びながら数名の子供たちが部屋から走って出ていく。
カノアは辺りを見回し、ここが孤児院の一室であることを理解する。
「いつの間に帰ってきていたんだ?」
カノアは昨夜のことを思い出そうとすると、体を弾丸で貫かれたような感覚が呼び起こされた。
「っ!?」
カノアは自身の体を触り、外傷などが無いことを確かめる。
「……気のせいか?」
ベッドから立ち上がり、以前と同じように体が動くことを確かめる。
「怪我は無い、か。変な夢を見た気がする」
人生においてデジャヴというのはしばしば経験があるものだ。だがいつ同じようなことが起こったのか、はたまた起きていないことなのかを確認する方法がある。
カノアは部屋を出て階段を降り、ティアと会話をする。
「あ、おはよーカノア! 昨日は楽しかったね!」
「おはよう、ティア」
奥のダイニングの方から子供たちの騒ぐ声が聞こえている。
「みんな朝から元気だな」
「朝? もうお昼前だよ? カノアお寝坊さんだね。えへへ」
またしてもそんな時間まで寝ていたのだろうか。
いつ帰ってきたかすら覚えていないが、夕飯を食べた記憶も無い。帰ってきてすぐに寝てしまった可能性を考え、カノアは恐る恐るティアに問いかける。
「ティア、昨日のことなんだが――」
「すっごく楽しかったね。カノアの歓迎会」
「……歓迎会? いや、まさかそんなことは」
カノアはティアと出会った時のことを思い出す。
あの時もティアはおかしな反応を示していた。
あの時も今も、夢やデジャヴの類では無いのだとしたら――。
それを確かめるために、カノアはティアに問い掛ける。
「ティア、今日は何日だ?」
「えーっと、今日は十四日だよ」
七ノ月の十四日。
翡翠の瞳が不思議そうにこちらを見つめていた。
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