第7話『十四日、朝、晴れ』
「これって覚えて役に立つんですか?」
「ええ、どんなことでも積み重ねたことが結果に繋がります」
「そうなんですか。でも面白くないです」
「はっはっはっ。坊ちゃんは正直ですな」
白髪頭に燕尾服。その洗練された佇まいは、幼いながらに憧れていた。
「それでは再開しますかな」
カノアは壁一面の大きな鏡の前に立ち、自分の目を見つめた。
▼△▼△▼△▼
「おっきろー!」
カノアの無防備な体に衝撃が走る。
子供というのは時に残酷で、いとも簡単にえげつないことをやってのけるのだ。
「うぐっ!? ……どいてくれないか」
最悪の目覚めだった。
カノアは生まれてから十七年。このような起こされ方をした記憶は一度たりとも無かった。
ぼやけた頭で辺りを見回し、ここが孤児院の一室であることを思い出す。
「カノア起きたー!」
そう叫びながら数名の子供たちが部屋から走って出ていく。
「……明日からは早めに起きよう」
カノアは髪の毛を触り、寝ぐせが無いか確かめる。少し右側の毛が跳ねている気がした。
部屋を見渡し鏡が無いか探してみたが、そのようなものは置いていないみたいだった。
「鏡か。懐かしい夢だったな」
カノアの世話役をしていたその人は城井さんといった。いつも優しく、しかし妥協は許さず。その人のおかげでカノアは幼い頃から自分を律することが出来るようになっていた。
そんなこともあり、多少のことでは動揺しない自信がカノアにはあったのだが、この世界に来てから色んな事に振り回され過ぎてその自信も揺らぎかけていた。
「さっき夢で見た記憶も、作られたものだったりしてな」
カノアは少し自虐のようなことを呟いた。
ベッドから出ると少しステップを踏んでみる。幼い日の記憶を辿り、その感覚を呼び覚ますように一歩ずつ。
ふと窓の外を見ると、日が高く昇っているのが分かった。
「今は何時だ……。時計、は無いか」
部屋を見渡し時刻が分かるものが無いか探すが、鏡同様そのようなものは置いてなかった。だが壁を見ると、カレンダーのようなものが掛かっているのが目に入った。
「これはカレンダー、か? ……ダメだ、何が書いてあるか分からない」
構成を見る限り、日本に居た頃と同じく七曜が繰り返され日付を刻んでいるらしい。
日付を数えると、今月は全部で三十日まであることが分かる。だが、使われている文字が分からないので、それ以上の情報を得ることは出来なかった。
カノアは両手を上げ、少し背を伸ばし、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながら、体を整える。体に残る気怠さが昨晩の出来事を思い出させた。
「昨日は歓迎会とやらで散々騒がれたんだった。随分と寝ていた気がするが、一体何時間寝ていたんだ」
カノアは部屋を出て一階へ続く階段の前に立ち、寝ぼけて階段を踏み外さないようにゆっくりと足を下ろし始める。
一階に降りるとそこにはティアが居た。
「あ、おはよーカノア! 昨日は楽しかったね!」
「おはよう、ティア」
奥のダイニングの方から子供たちの騒ぐ声が聞こえている。
「みんな朝から元気だな。いつもこんな感じなのか?」
「朝? もうすぐお昼だよ? カノアお寝坊さんだね。えへへ」
疲れがあったとはいえ、流石に気が緩み過ぎているとカノアは反省した。
「すまない、今日は辺境伯のところへ行く約束があったのに。すぐに準備する」
「ゆっくりで大丈夫だよ。元々お昼過ぎに出る予定だったから」
「そういえば今日は何日になるんだ?」
「えーっと、今日は十四日だよ」
ティアの言葉から日付感覚はやはり日本と似ていることが分かった。何か今の状況を理解する糸口になれば良いのだが。
「ありがとう。出発出来るように着替えてくるよ」
「あ、先にご飯食べちゃって。カノアが起きたら食べられるようにってママが準備してくれてるから」
カノアはこの孤児院に居心地の良さを感じたが、だからこそ気を緩め過ぎないように気を付けなくてはいけないと思った。
未だこの世界のことはほとんど分かっていないが、日本へ戻る手段が分かればここに長居することも無いのだから。
ティアとの会話を終えると、カノアはダイニングへ向かい食事を済ませた。
◆◇◆◇◆◇◆
身支度を整えた後、カノアとティアは村の入口まで出てきていた。
「よーし。食後の運動にたくさん歩かないとね!」
村の入口からまっすぐ伸びる街道を前に、ティアは気合十分と言った様子だ。
「随分と先が見えないが、何処まで続いているんだ?」
村の前の街道は二股に分かれていた。
どちらの街道も、目を凝らしても果てが見えぬほど続いている。
「んー。ずっとかな? 左の道をまっすぐ行くと辺境伯のところに着いて、右の道をまっすぐ行くと王都に着くの」
「ずっと……。どれだけ歩けばいいんだ」
カノアがこの村に来るときは森の中から出てきてそのまま草原を横断していた。だが、今度は舗装された街道だったので多少は歩きやすいはずだ。
「文句を言っても仕方が無い、か。頑張って歩くよ」
「カノア、いい子いい子」
「そういうのは孤児院の子供にしてやってくれ」
ティアが孤児院の子供をあやす様に褒めてくるので、カノアは体が少しこそばゆい気がした。
「えへへ。じゃあ出発しよっか。あ、ちなみに王都は行っても通行証が無いと入れないからね」
「一人で王都に向かうことも無いだろう。ひとまず、どの道がどこに繋がっているかだけ覚えておくよ」
「そうだね。辺境伯のところへはソフィアを使えばささっと行けちゃうけど、せっかくだしゆっくり歩いてもいい?」
「ああ、構わない」
森の中を駆けていたことを思い出すと、ソフィアを使えば歩くよりずっと早く着けるのは想像に容易い。
だが、またティアに負担を掛けるのも悪いと思い、カノアは時間を掛けて歩くことに同意した。
「そういえばずっと聞きたかったんだが、再生屋とやらはエルネスト以外には居ないのか?」
カノアは孤児院で出会った人を思い出すが、ママ以外は全員子供だった。まさか子供までメンバーだとは言い出さないだろう、とカノアは恐る恐る聞いてみる。
「居るけど、今はイヴレーア辺境伯のお屋敷の更に向こうにある国境沿いの大峡谷で待機してもらってるの。本当は一緒に行動出来れば良かったんだけど、あまり大人数だと目立っちゃうから。だから今回の調査はこの国に住んでた私とエルネストの二人で動いてるの。あ、カノアも入れると今は三人かな」
勝手に再生屋のメンバーにされていたことを聞かされ、カノアは眩暈がした。
ティアの相変わらずの唐突さには、真面目に考えるのが馬鹿馬鹿しいとさえも感じる。
「私にもカノアのこと、もっと教えて欲しいな」
辺境伯のところへはまだまだ時間が掛かる。カノアたちは他愛のない会話をしながら、広い草原に伸びる街道を歩いていた。
◆◇◆◇◆◇◆
孤児院も中々な大きさだったが、この屋敷を前にしてはその感覚も薄れるというものだ。
カノアたちが小高い丘を登ると、立派な門構えの屋敷が立っていた。
ティアが門の端にある綺麗な宝石を触ると淡く光り出し、ティアはそこに向かって言葉を投げかけた。
「こんにちはー、ティアです。到着しました」
その言葉から数秒後、閉ざされていた門が動き始める。
「さ、入ろっか。ここのお屋敷、中もすっごいんだよ!」
さながら自分の家を紹介するかのように、ティアは飄々と中に入って行く。
エルネストは辺境伯のことを気難しい人では無いと言っていたが、ティアの態度を見る限り嘘ではないらしい。
貴族であれば、この世界についての知見はそれなりに期待が出来る。
何か有益な情報を得られたら良いのだが。カノアはそんなことを考えながら門の中へと足を踏み入れた。
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