第9話


裕司が苦しそうに言葉を吐き出した。まるで自分のことのように、裕司は苦しんでいた。

オメガの保護施設に行って、今後どんな境遇が待っているのだろうか。不安に押しつぶされそうになる。裕司の優しさに触れて、ここから離れることがより怖くなった。長く同じ屋根の下にいたのに今更、気づいてしまった。裕司は本当は優しく、誰よりも華のことを考えてくれている。

(離れたくない)

華は想いを打ち消すように首を横に振った。

「違う…きちんと役目を果たせない僕が悪いんだ。裕司はなにも、悪くない。手間をかけて…本当に、ごめんなさい」

華は深く頭を下げた。頭を下げたまま華は言葉を続ける。

「あの…このこと、奥様と、け、健司さん、は」

「言ってない。華からも、絶対に言わないでくれ。監視が強くなれば抜け出せなくなる」

華は頷いて、安堵の息を吐いた。思いの外、体から力が抜けてしまった。軽く目眩を感じるほどに。逃げ出すのだから当然なのだが、黙っていなくなるのは不義理かとも思っていた。しかし、二人と対峙してまともでいられる自信がない。姿を見せない二人に、華は安堵していた。このまま翠と健司に会うことなくいられたらいい。

「…華、健司は」

健司の名前に、体が反応してしまった。裕司は眉をひそめて華を見ている。華は震えを必死に堪えて、話の先を促すように裕司を見つめた。

「なにか、されたのか?健司に」

「…なにも、されてない」

華は首を横に振って答えた。発情期の時の記憶があまりない。何かされたのか、されていないのかもわからないというのが正直なところだった。

恐怖心が震えとなって体に現れる。華を、跡継ぎを産むための存在としてしか見ていない健司が怖かった。きっと健司に悪気も悪意もない。その分、アルファの本心を見せつけられた気がしていた。

しかし、健司をおとしめるようなことは言わないほうがいい。この家からいなくなる自分は余計なことを言うべきではない。

裕司が始めに言いたかったことと、今聞いたことは違う気がするが、問い返す気力がなかった。目の前が揺れた気がして、ソファの肘置きに手をつく。

「華?どうした、顔色が」

「目眩、が」

華は吐き気も催していた。目まぐるしく変わる環境とこれからの不安が体調に現れているらしい。弱い自分に情けなくなる。

裕司が立ち上がり、華の傍に膝をついた。心配そうに華を見ている。華も裕司を見つめた。オメガの保護施設に入ったあと、裕司に会うことはないだろう。もう助けてくれる人はいない。

「…平気。大丈夫」

「本当に、大丈夫なのか?病院に行ったほうが」

「大丈夫だよ。僕は、大丈夫。ありがとう。裕司がいてくれて本当に良かった」

華は裕司に笑顔を向けた。裕司がいてくれるととても心強い。裕司は妊娠に躊躇する華よりも、別のオメガと番になったほうが良い。きっと良い父親になるだろう。

母には迷惑をかけるが、改めて保護施設に行く覚悟を決めた。

「日程が決まったら、伝えに行く」

裕司の言葉に華は頷いた。裕司の表情は暗い。きっと華の行く末を心配してくれているのだろう。華はこれ以上裕司に心配をかけないよう、なるべく笑顔を崩さないよう注意を払った。

呼吸を落ち着けてゆっくり立ち上がる。足元が少しふわついているが、歩けないほどではない。扉にたどり着くと、真後ろに気配があった。ドアノブにかけた華の手に裕司の手が重なる。首筋に裕司の呼吸を感じた。

「…華、俺と」

首筋に固い何かを当てられて華は振り返る。間近にある裕司の顔を見て華は驚いた。薄く開いた裕司の唇の奥、白い犬歯が覗いている。華は自分の首を撫でた。今裕司は、華の首筋に歯を立てたのではないだろうか。

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