第66話:二人だけの海 その2
水の流れる音がする。
今度はスマホからではなく、現実の音として。
「あはは! つめたーい! これ、かなり海っぽいね!」
目の前で、ビキニを着た光がシャワーから出る水を浴びながらはしゃいでいる。
濡れた布はしっとりと蠱惑的な雰囲気を増し、逆に肌は水を弾いて瑞々しく映える。
「そ、そうだね……ほぼ海だと思う……」
もはや海っぽいとか海じゃないっぽいとか、どうだっていい。
唯一にして絶対の真理は、『水着は水に濡れてこその水着だった』ということだけ。
俺がさっきまで立っていた場所は、まだほんの入口に過ぎなかった。
「たまには冷たい水を浴びるのも気持ちいいねー」
光の声が浴室内を反響する。
うちの浴室は、ワンルームマンションにしては広い方だ。
ユニットバスではないセパレートタイプで、洗い場も十分な広さがある。
けど、高校生が二人でシャワーを浴びると流石に狭く感じる。
少しでも動こうものなら、身体のどこかが彼女の肌へ触れそうになってしまう。
てか、今触れたらまじであれがやばい。
立ってる状態だと誤魔化しも利かないし、絶対にバレてしまう。
「シャツ、脱がないの? すごい濡れてるけど」
重大な問題に気を張り巡らせていると、光が不思議そうに尋ねてきた。
「え? あ、ああ……まあ海だし……」
魔法の言葉を使って誤魔化すが、本当はただ恥ずかしいだけだ。
「普通に脱いだ方がいいと思うよ。お風呂場で着てるの変だし」
俺が禁じていたマジレスが平然と為される。
「でも、ほら……見苦しくない……?」
「そんなことないって、ほら……ばんざーい!」
脱がされた。
「……黎也くんって、肌綺麗だよね」
裸になった俺の上半身を凝視しながら光が言う。
「そ、そう……?」
「うん、すごく綺麗……白くて艷やかで……」
何を考えているのか、尋常でない目つきをしている。
「それなら光の方がそうじゃない……?」
「そうかな?」
「うん、そうだと思う……」
純白のビキニとの境が分からないくらいに白くて、水の一粒一粒を弾く程に艷やか。
そして、まるでブラックホールのような吸引力で物理的にも精神的にも男を強く惹き付ける。
「じゃあ、どっちがスベスベなのか確かめてみる……?」
「た、確かめるって……どうやって……?」
「二人で触り合いっこして……? ほら、海だし……」
「なるほど……それはありかも、海だし……」
互いに魔法の言葉を口にして、この異常を平常として受け入れた。
鏡写しのように、互いに互いの鎖骨の辺りに五本の指を添える。
シャワーヘッドから流れる水の音に紛れて、光が唾を飲む込む音が鼓膜を揺らす。
「ほら、こんなにスベスベだ」
「いや、やっぱり光の方がスベスベしてるって。肌が水を弾いてるし」
「それを言うなら黎也くんの肌なんてスベスベすぎて、指が滑り落ちちゃいそう」
そう言って、鎖骨の周辺が指先で何度も擦られる。
その触り方には何か、俺が彼女のお腹を触っていた時と同じような情念を感じた。
「洗えばもっとスベスベになるんじゃない? 私が洗ってあげようか?」
「洗うって……海なのに?」
「そこは……ほら、日焼け止めとかオイルを塗る練習ってことにすれば海っぽくない……?」
「なるほど……それなら確かに海っぽいかも……」
本当にどうにかしてる。
「ほら、座って。こっちに背中向けて」
「わ、分かった……」
どうにかしてると思いながらも、言われた通りに背中を向けてバスチェアに座った。
後ろからシュコシュコと、ボディソープが容器から取り出される音が聞こえる。
「じゃ、洗うね」
光がそう言った直後、背中にヌルっとした感覚が広がった。
「うっ……!」
予期していなかった素手の感触に、思わず変な声を上げてしまう。
「くすぐったい?」
「い、いや……素手でやるんだってびっくりした……」
「だって、日焼け止めを塗るのにボディタオルは使わないでしょ?」
「そ、そっか……そう言われれば確かにそうかかも……」
謎の理屈を無理やり飲み込むと、再び光が手を動かしはじめた。
ヌルヌルした半液体のボディソープが、彼女の手で背中いっぱいに広げられていく。
その感覚はとにかく心地よく、他の何にも例えようがなかった。
「はい、腕上げて? 腋の下もしっかりと塗らないとね」
「りょ、了解……」
言われるがままに腕を上げる。
肩から腋の下にかけてをグルっと撫で回され、続いて二の腕から手へと移っていく。
ただでさえ触られ心地の良い光の手が、ボディソープによって余計な摩擦が消されて異次元の気持ちよさを生みだしている。
最後は恋人繋ぎをするように指の間まで念入りに洗われた。
逆側の腕も同じように洗われ、何とか危機を乗り越えたと思ったのも束の間――
「じゃ、次は前ね」
彼女の手が両脇の下を通って、身体の前へとニョキっと生えてきた。
「え? ま、前も……?」
「そりゃあ……普通は水着の中以外は全部塗るものじゃないの?」
「それはそうかもだけど……前は流石にちょっとやばくないかなと……」
「大丈夫大丈夫! ほら、力抜いて?」
先に“水着の中以外”という一線を引かれたせいか、それ以上の拒絶は出来なかった。
言われるがままに両腕の力を抜いて、彼女の両手の侵入を許す。
手のひらにたっぷりと取られたボディソープが、脇腹からお腹へと順番に塗りたくられていく。
「くすぐったかったら言ってね? 加減が分かんないから」
「だ、大丈夫……
くすぐったさには耐えられるが、もう一つの感覚にはもう耐えられそうにない。
それでもせめて、めちゃくちゃ反応してしまっているのが向こうには悟られないように身を縮こまらせる。
「え~……そんなこと言われると、ちょっと意地悪したくなっちゃうかも……」
そんな俺の現状を知ってか知らずか。
これまでは手のひらで撫でるような動きだったのが、指を立てて擽るような動きへと変わる。
「ちょ、ちょっと待った……! それはまじでやばいって……!」
「え~? それって何のこと~? 私、ただ身体を洗ってるだけだよ~? こちょこちょ~!」
「こ、こちょこちょって……! うっ……ぁ……!」
合計十本の指が、それぞれ個別の意思を持った生き物のように上半身を這い回る。
しかも、
心地よいとか心地よくないとか、くすぐったいとかくすぐったくないとかを越えた異次元の感覚が身体の奥深くへと刻み込まれる。
「んふふ~……これで、全身隈なく塗れたよね」
「ぜぇ……ぜぇ……まじで……やりすぎ、だって……」
そうして、彼女が飽きた頃には俺はもう息も絶え絶えの状態になっていた。
「ごめんごめん。思った以上にスベスベ肌すぎてちょっと調子に乗っちゃった」
えへへ~……っと、いつものように屈託なく笑う光。
その反応を見ると、何とか男の尊厳は守りきれたのだと分かった。
「じゃ、流すよ~」
シャワーから流れる水で、身体中に塗りたくられた石鹸が流されていく。
同時に水の冷たさが、身体の表面を覆った熱を冷やす。
合わせて、前かがみになっていた身体が少しずつ起き上がっていく。
ただ、身体の芯にある最も大きな熱はそれでも全く冷めずに残り続けていた。
「よし、綺麗になった!」
「ありがと。じゃあ、俺は先に上がるから後は――」
これ以上は本当にタガが外れかねないと、浴室を後にしようとするが――
「え? 黎也くんはしなくていいの?」
振り返った彼女が、事もなげに言った。
「しなくてって……な、何を?」
もちろん、全て分かっている上で聞き返した。
「私の身体……洗わなくてもいいの? せっかくの海なのに」
魔法の言葉を最後に付け足して、羞恥を誤魔化している光。
そんな彼女の誘惑に、俺はただ喉をゴクリと鳴らして答えることしかできなかった。
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