第63.2話 読書
この冬は読書の冬でもある。
ガラス工芸の方は炉を造るだけでも一月単位の気の長い取り組みになるので、空いた時間を埋める取り組みがあるのは、まあ良かったと言えば良かった。
館の一室に持ち込まれた机の上には古びた色合いの資料が積まれていて、本棚にもまだまだたくさんの未解読文書が収められている。
この世界では紙とはもちろん羊皮紙であり、大変な貴重品であるので市井では滅多に見かけることはないのだが…。
ではその貴重な紙が大量に投入されているこれは何かというと、何と全てが初代神王こと斎藤さんの手記なのだ。
だから全ての資料が日本語で書かれているし、俺以外には解読不能の代物な訳で…よくもまあ斎藤さんの死後もこれほど保存されていたものである。
なにしろ羊皮紙は表面を削って再利用が出来るわけで、旧ディアーダ王国の滅亡から百年もの歳月が経ってもこれらの解読不能資料を大事に保管していたシュタイオン指導者たちの斎藤さんへの尊敬は本当に深いものがあると改めて感じる。
もちろんこれらの資料は、俺がシュタイオンにやって来た一年目から存在は知っていて少しずつ内容の確認は進めていたのだが…。
これを読み解くのにはある種の問題があって中々ページをめくる手が進んでこなかった。
…なにしろ、文章の大部分がラウラを始めとするエルフ幼姫たちの美しさを綴った叙情詩で埋め尽くされているからな。
これをマジメに読み解くのには気力を要するのである。
まあこんなのでも俺が翻訳してやると、神王信仰の篤い宰相モーリッツと法相アンゼルムの兄弟は大喜びするし、ランダーバーグ王国にいる伝承官で彼らの長兄であるヨーナスは彼らに早く写本をよこせと矢の催促が飛ばしてくるらしい。
もちろん、この爺さんどもを喜ばせてやるだけが目的じゃないぞ。
一応、俺にも利になる部分はあるのだ。
今も読み解いている手記の内容は、洗濯桶の中で素足のエルフ幼姫たちが洗濯物を踏み洗う様子を愛でる斎藤さんの犯罪的な視線が中心であるのだが…、しかしときおりディアーダ王国の運営やこの世界に対する考察などが現れる事があるのだ。
この、稀に正気に返る斎藤さんの思考を追っていくと、日本での来歴は一切不明ながらもやはり彼は人文系の学問を修めた人物ではないかと思えてくる。
旧ディアーダ王国は神器を除くテクノロジー面では周辺世界と差がなかったわけで、そのことは斎藤さんが化学や工学方面に明るくない人物であることを示しているのだが、その反面旧ディアーダ王国の法律や社会制度の先進性は明らかに周辺世界から浮き上がっていて、まあ間違いなく斎藤さんの現代知識を導入したものだろう。
その証拠にこの手記の中にも散り散りにではあるが、各種の法律の背後にある法哲学や司法政策の目的が語られていて、ここに関してはむしろ門外漢である俺はついて行けないくらい高度な代物なのだ。
…この面に関しては本当に、斎藤さんに蘇ってきて力を貸してもらいたいくらいだな。
なにしろ100年もの時間の経過もさることながら、いまや一都市国家規模に縮小しているディアーダ王国の法制再編はいずれ先送りにできない課題になってくるだろう。
誰かもう一人くらい日本からの転移者が来てくれないものだろうか…。
俺と斎藤さんという例があるのだから、他にもいてくれても良さそうではあるのだが。
さておき、斎藤さんの回顧によると、斎藤さんの出現以前も周辺世界ではいわゆる大陸法的な成文法慣習が見られたため、そこに合わせる形で現行の法律を制定していったらしい。
大陸法というと…海洋法との対概念だったか。
たしか成文法主義と判例法主義の対比のことだったと理解しているが、これももう少し素人向けに解説してくれないと、どんどんその先に思索を深められると俺には難しすぎるな。
まあ、法務大臣のアンゼルムを始め旧ディアーダ王国の…つまり斎藤さんの法哲学を継承している者は多数いるので、俺が一人で懊悩しなくともこれらの翻訳を逐次預けていけば彼らが熱心に研究してくれることだろう。
そして斎藤さんの思索は民俗学や比較文化論へと、頻繁に広がりを見せる。
とくに彼が強く注目していたポイントの一つはこの世界の宗教で、一見するとヨーロピアン人種と風俗を持つ周辺世界について、斎藤さんはある一点で大きな違和感を抱いている。
…それは、この世界が多神教世界であることだ。
なるほど言われて見ればこの世界の人々は唯一絶対の神を引き合いに出すことはないし、鍛冶屋であればかまどの神やら、猟師であれば狩猟の神やらを軒先に祀っているし、その信仰も素朴なものであって大規模な宗教組織は存在していない。
宗教組織といえば教会の連中がいるのだが…ヤツらは斎藤さんの神器を継承してその超自然的な力を権威の背景としていた訳で、これも多神教世界によく見られる驚異的なものは全部神という姿勢の表れとも言える。
まあ、神王というだけあって斎藤さん自身がすでに、そういう存在として捉えられているからな。
さて、俺からすれば「まあそういうものか」くらいの話ではあるが斎藤さんからするとそれでは済まないようで、この世界に強力な王権を持つ国家が登場せず地域紛争が続くことの原因にも結びついていく。
すなわち、一神教による神授王権思想が登場しないために、国家形態が分権的な封建制から中央集権の絶対王政に進展しないのではないかと斎藤さんは考察している訳だ。
その例外は斎藤さんが神王として君臨した旧ディアーダ王国なわけであるが、それでも宗教的情熱や神授王権の権威は無いため、斎藤さんは数々の法政による統治に腐心したのだろう…いやまあ、神器の圧倒的な性能が一番の背景だろうが。
さらに斎藤さんの思索は、観測可能な限りの範囲でこの世界に砂漠地域が存在しないことが一神教の不在理由ではないか、と進んでいくのだが…砂漠気候による厳しい生存条件と対応する厳しい戒律が一神教の前提条件になるという、その説自体を俺は知らなかった。
そしてこの考察も佳境に差し掛かる前に、昼寝するラウラが寝返りを打つたびにズリ落ちる毛布について、それを直すべきか鑑賞を続けるべきかに斎藤さんの思考リソースが奪われてどこかへ霧散してしまう。
…正気になる頻度が少なすぎるんだよなぁ(呆れ)
他にも、当時の周辺勢力との関係性についても興味深いし、中でもこのヴィーク人の大首領に関しては、登場回数は少ないものの同時代の最重要人物の一人として書かれている。
この人物についてはイェルドからも伝承を聞いているが、伝説的な武勇伝を数多く持つ偉大な首領であることはいいとしても…もしかするとこの人物は。
今のところ明言された箇所は発見できていないのだが、斎藤さんはこの人物…『不死のルリク』について時折、まるで現代人に対するような倫理観を求める場面が見られるのだ。
なぜ斎藤さんは彼にだけはそのような場違いとも言える希求を持つのか、よりによって血腥いヴィーク人の首領に、である。
ある種の予感がするのだが…しかし、今日はもうこれ以上、ロリコン文学の海から有意な情報を拾い集める苦行を続けたくないのであった(消耗)
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(次回から第四章を開始していきます)
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