第11話 #ドレスの行方 #台所合戦
憧れて止まなかった、カウンターキッチンが佇む1LDK。なんとウォークインクローゼット付き。
好条件が並ぶ家に搬入された余分な段ボールが、隅っこで肩を狭める。新居では全て一新する予定だったので、家具や家電は売るか処分していたのだけど、臨時の居候には都合が良かったのだ。
とはいえ、搬入時の家主サマは本当に感じが悪かった。条件ありきとはいえ、自分の領域に(半ば強引に)他人の荷物が割り込んでくるのだから、無理もないけれど。
その時の八坂の表情を思い出しながら、私はリビングの隅へ向かう。カウンターの出っ張りと蛇腹状のパーテーションに囲われたエリアには、今日もハンガーラックと衣装ケースと三つ折り布団が密集していた。
ここが、私に与えられた寝室兼更衣スペースだ。リビングはかなり広いけど、場所を割いてくれたことだけでも有り難い。
「それにしても、多いな……」
服でパンクしそうなハンガーラックを、小さな体育座りで見上げる。
ミンスタに投稿する際の私服が被らないように、毎月買い足しているせいだろう。もちろん入れ替えもするけれど、断捨離が上手くない性質なので、量は増えていく一方だった。
けれど、これが役に立ったこともある。
あれは高校二年の頃。当時、学祭のイベントとして催された『ファッションショー』では、私の私服が駆り出されていた。高校に入ってから、自分を着飾ることに一層楽しみを覚えた私は、都心へ連れて行ってもらう度に貯金を切り崩し、洋服をたんまり買い込んでいたのだ。
その洋服を同級生が目を輝かせて手に取る姿は、今でも脳裏に焼き付いている。生徒たちの個性とセンスで、コーディネートの一部として咲いていく勇姿が誇らしかった。
——えぇぇっ、いいなぁ、私も縁凪センパイの服着たかったんですけど!!どうして同じ学年同士の貸し借りしかダメなんですかぁ……!
あの頃の、貴船あおいの発言も記憶に新しい。当時から彼女の信者っぷりは鮮烈だった。
今でこそ長い髪が馴染んでいる彼女も、当時はさっぱりとしたショートヘアで、
——高校出たら絶対、センパイみたいに髪伸ばします!
と手を握られた。強烈なファーストインプレッションだったのはもちろん、貴船あおいは紛れもなく、私のファン第一号だった。
思い出を肴に並んだコレクションを見据えて、ノスタルジックな感情に浸る。昔も今も、変わらず寒色の衣類が多いのは、自分に似合う色を昔から見定められていた証拠だ。
餞別に受け取った花束もブルーの花をメインとしたラインナップだったので、周りからのイメージもブレていない。
——縁凪ちゃんをイメージした花束だよ。
手渡されたときのことを思い出し、衣服の羅列に視線を沿う。視界が狭いせいか、一つ一つの服が思い出を語りかけてくれるようだった。
「あ——……」
端に着地すると、それは更に顕著になる。思い出さずにはいられないシーンが、脳裏に浮かぶ。元旦那が購入し、あの夜『餞別』と安い値札を付けられたウエディングドレスが垂れ下がっていた。
断捨離するとしたら、このドレスの行方はどこになるのだろう。
「別に。売るか処分すればいいじゃないすか」
うんざりしたような男の表情と、自家製のデミグラスソースを纏ったハンバーグがカウンターから顔を出す。私は二皿受け取って、向き合うようにそれを並べた。
餞別のウエディングドレスをどうすべきか、と相談する相手はやっぱり彼ではなかった。
「それが出来ないから訊いてみたの。もういいです」
「逆ギレすんのやめてもらっていいすか。飯が不味くなる」
「なに言ってるの。めちゃくちゃ美味しいけど」
「食べてから言ってください」
「いただきまぁす」
カウンター横に掲出された、一週間の献立表。初めの頃は、その均等に羅列された曜日と達筆な文字に乙女心を抉られたけど、ここ二日くらいでようやく見慣れてきた。
八坂青柊は、夕飯の献立表を作るほどマメで、悔しいほどに家庭的な男だった。
献立表なんて、と最初こそ思ったけれど、一週間分のスケジュールがあるだけで、買い物も料理に取り掛かるスピードも速いように思える。何より、予めしっかり計算されているので、無駄なく食材を消費できているのも凄い。たとえば、昨晩のポトフに使われていたブロッコリーと人参は、今晩はソテーとしてハンバーグに添えられている。
ネクタイで締められるのは苦手なくせに、彼はどこまでもキッチリとしていた。
「ん~!めちゃくちゃ美味しいねこれ!」
それから、悔しいことに、毎回とにかく味つけが好みだ。
「当たり前でしょ」
八坂は抑揚なく放つ。
「私、ハンバーグは岩塩派だったんだけど、このソースは別格っ。どうやって作るの?」
「教えませんけど」
「ええー」
それと、これは気のせいかもしれないけれど、食事中だけは生意気な年下も機嫌が良い。普段と比較して、という前置きは必須だけど、正面で満足げに頬張る表情は、案外かわいかった。
まともに会話が出来るのも食卓を囲むときくらいなので、私はこの時間を重宝している。今更好かれようという気持ちはないが、一緒に暮らしていくために、最低限のコミュニケーションくらいは必要だ。
「ドレス、本当にどうしようかな……」
何か話題がないかと振り返り、思わず呟く。もう八坂の前ではやめようと口を噤んだはずなのに、胸の奥で大きな靄を生んでいるせいか、不覚にも溢れてしまったのだ。
「だから、処分すればいいじゃないですか」
何度も同じこと言わせるな、と鋭い双眸が光っている。せっかくのハンバーグが喉に詰まった。
「うん……でも、売ったり簡単に捨てられるものじゃないし」
「だったら返せば? 元旦那に」
「返すものは他にあるから」
「ああ。指輪ですっけ」
嘲笑が彼の鼻を抜ける。いくら器量が良くても、料理の腕前を相殺してしまうくらいには、感じが悪い。
「指輪も大事だけど……ウエディングドレスは私にとって、一番大切なものなの。たとえ優さんと関係が壊れても、あのドレスは私のために選んでくれたものだから」
「ふうん」
熱弁も虚しく、八坂は空返事で白米を頬張る。かと思えば、
「まあ確かに。そのまま返したら金に換えられますしね、絶対」
と、無情に弾丸を発射する。
「図星ですか」
「っ、ちが——」
「俺の前で綺麗事ばかり並べても、しょうがないじゃないすか」
呆れたような物言いに、顔がカッと熱くなる。ドレスへの想いも嘘では無いけれど、その奥に潜んでいた思考を読まれた気分だった。
本当にこの後輩は、可愛げがない。
「だって……だって、しょうがないじゃん。綺麗事を繕って生きてきてるんだし」
「そうでしたね。未だにSNSでも、結婚したままだって偽ってるみたいだし」
「嘘はついてないもん。……ただちょっと、そういう系統の投稿は避けてるだけで」
「へえ。じゃあ、今日もツールは良好でしたか?」
平らげた皿をシンクに運んだあと、皮肉たっぷりの笑みを見せる八坂。嫌悪を存分に湿らせたその表情が、なぜか以前よりも深いところに刺さった。
「可愛く撮ってもらったもん。ほら見て。吉岡ったら素人の割りに腕がいいのよ」
私は流し場まで素早く回り込み、印籠のごとくスマホ画面を彼の前に掲げる。大きな黒目に反射したストロベリーパフェとenaは、どちらも負けじと甘い仮面を被っている。
「近ぇよ」
「それより認めなさいよ。可愛いって」
「好みじゃないです」
「客観的に評価してよ」
「見た目だけ繕って、家事も自己管理もまともに出来ない女は、もはや評価外です」
「はぁぁ? 家事も手伝いもさせてくれないのは、八坂くんの方でしょ?!」
彼の胸板に指を突きつけると、パンッ、と一息に払われる。年下とはいえ、この男のなかには未だ紳士という言葉が浸透していないらしく、将来がとても心配だ。
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