56.知らない長崎
クルーザは、フーチェンの北を出発すると、まず沖縄を目指した。周辺諸島を含めたこの世界の沖縄は、現在、居住する人間は存在していないらしいが、このクルーザの充電に必要な設備は生きているのだという。目的地である『長崎“島”』までの距離を考えても、沖縄で一泊するのがベストだ、というのが本田さんの判断で、そのあたりは信頼して任せることにした。
本田さんによれば、このクルーザの最大出力なら六十ノット(時速にして百十キロメートル強だそうだ)を越えるスピードが出るそうだが、この時は少し抑え気味の出力、それでも沖縄まで十二時間ほどで到着するという。海にはやはり魔化した海洋生物が存在するそうだが、これほどのスピードになれば付いてこられる魔獣はまずいない、という(絶対、ではないところが恐いが)。
ともあれ、十二時間もあれば、俺がこちらに来る直前から今までの話を大まかに話すには充分すぎる時間だ。途中、昼食(レトルト食品! 俺が知っているそれとほとんど変わらない姿にちょっと感動。そして思っていた以上の美味さにも感動)を挟んで、話し終えた後も主にミラからの質問に答えたりしていたが、それでも沖縄までの行程の半分も消化しない。くちくなったお腹、海上を高速で航行しているとは思えないほど静かな揺れ、そこに退屈が重なれば、ミラがカイにもたれ掛かって夢の世界へ旅立つのも尤もだった。カイもまた、ミラのために体勢を変えている。そこには信頼と思い遣りがあって、やはり大切にしたい光景だと思う。
そんな優しい静寂を破ることを恐れるかのような声音で、本田さんが話しかけてきた。
「……相田さんの、権限というものについて、一つだけなら心当たりがあります」
――本田さんの言っていた“特殊な仕事”。
かつて、この地球を襲った『コンチネンタル・フォール』(その時落ちてきた“巨大な何か”は、今は実際に大陸として南太平洋、ポリネシアの辺りに存在しているそうだ)が引き起こした天変地異、そしてその後の魔素による全地球規模のパンデミック、人口の激減による世界的社会破綻、魔素並び魔法が認知される事による混乱と技術進歩。そして、人類が危機から逃れるために行った、太陽系外への宇宙移民と、残された人々の地下都市への避難。
彼女たちの仕事の一つは、そういった歴史を埋もれさせないこと。
もう一つは、この地上に再び危機が訪れたときのために、今も密かにロボット達によって維持されているという地下都市の管理。
本田さんによれば、そういった仕事は日本各地で二十人ほどが携わっており、今は連絡が取れないが、同様のことはきっと今も世界のあちらこちらで行われているはずだ、とのこと。
そして、それらの仕事は秘密裡に行われ、地上に戻り穏やかな生活を送る人々は決して知ることが無いという――。
なるほど、ルーメンで知った『神話』も、そういう人たちが作り、広めたものなのだろうか。グランやユニコーンのいた『遺跡』は、維持できずに破棄された地下都市の一部だろうか?
本田さんの語ってくれた『コンチネンタル・フォール』の内容は、相変わらず荒唐無稽と思えるものだが、こうして正しく理解できる日本語で語られると、今まで以上に真に迫るというか、より強くそれが事実だと思い知らされる気がする。
「でも、どうして隠れてする必要があるんです?」
「知れば、どうしても好奇心を抑えられない人は現れるでしょう。それが無邪気な好奇心のままなら良いのですが……。先ほど言った大混乱期の人間の行動を知れば知るほど、人の欲望というものが、とても恐ろしく思えます。そうすると、秘密にする、という決断をした先達の気持ちも理解できてしまうんですよ。本当に、痛いほど」
その“行動”の詳細は聞かせてもらえなかったが、おそらく社会の破綻、延いては秩序の崩壊によって、暴徒化した人間たちがよほど愚かなふるまいに至ったのだろう。本田さんは「それでも、日本は世界的に見てかなりマシだったようですけどね」なんて、フォロゥなんだか判らない一言を添えてはいたが。
この世界で悪意を持って他人に接する人間を全く見たことが無い俺としては、そんな善良な人間が人を信じ切れなくなるような愚行とは、よほどのことなのだろうと思える。俺も“昔”の人間かも知れない事を思えば、少し申し訳ないような気持ちも生まれるが、別に俺が悪さをしたわけではない、と気持ちを切り替えた。
「えっと、つまり、本田さんの言う心当たりというのは……」
「はい、そういう仕事ですから、私たちはそういった情報や施設にアクセスするための権限を与えられています。相田さんも、同じとは言わないまでも、似たような権限が与えられているのかも、と。もちろん、誰が、何の目的で、なんていうのは全く想像も付きませんが……」
「いえ、そういった可能性があると知れただけでも良かったです。……でも、話して良かったんですか? 秘密なのでは?」
「相田さんの話が嘘とは思えませんでしたし、私と同じような権限があるなら、隠してもいつかは分かることかな、って」
「なるほど……ありがとうございます」
要は、俺を信用してくれた、ということなのだろう。そう思って、感謝を述べた。
沖縄にはきちんと整備された港があり、俺たちはそこから三分ほど歩いた所にあったコテージで一泊した。
残念ながら、稼働しているというロボットを直に見ることはできなかったが、コテージは手入れされていなければありえない綺麗さだったし、本田さんのクルーザは夜中の内にロボット達によってメンテナンスされたそうで、翌朝には船体表面もつややかに煌めいていた。
船の中にいると分からなかったが、整備されたクルーザは昨日以上の速度で航行し、沖縄から十五時間ほどで、かつては五島市という行政区分だった福江島に到着した。俺は元々の五島列島を詳しく知っていたわけではないのでピンとこなかったが、この辺りも“大陸落下”前とはかなり地形が変わっているそうだ。
一泊の後、少し小型の船に乗り換えて、長崎を目指した。小型とはいっても海を往くもの。充分立派な船に見えたし、実際結構なスピードで航行し、体感でおそらく二時間は掛からずに、目的の長崎島に到着した。
本田さんの“仕事”は、その性質上、沖縄や福江島のような無人島(沖縄をそう呼ぶのは変な感じだ……)に拠点があるが、管理すべき地下都市は本州を中心に、北海道、九州、四国と、主要な土地に繋がっているとのことで、長崎がその最西端に位置するそうだ。
俺は長崎を訪れたことは無かったが、それでも外国と比べればずっと身近な存在だ。それが、そんな風に変わってしまったということに、漠然とした寂しさのような感情を覚える。
だがそれ以上に、それほどの天変地異があっても変わらず回り続けている地球の偉大さ、そして、そこで命を繋ぎ続けてきた人間の強さ、そういったものへの畏敬の念を禁じ得なかった。
集落からはだいぶ離れているという港に着岸した後、近くにあった洞窟に案内された。
入り口で本田さんが小型の端末を操作すると、普通の岩壁と見えた洞窟の壁や天井の所々がぼんやりと光りだし、中へ奥へと進んでいっても、魔法を使わずとも視界には困らなかった。
「……この辺りですね。相田さん、天井の光に顔を向けてみてください」
やがて、何も無いように見える短い横道の突き当たり、わざわざそこへ入って行った本田さんが、そう言って俺を呼んだ。
言われるがままにそちらへ向かい、上を向く。すると。
――ププッ。
気のせいかと思うほど小さくそんな音がすると、突き当たりの岩壁が大した音も無く滑るように奥へと動き、そこにさらに奥への入り口を開いた。
「……やっぱり、相田さんは登録された権限保有者としてシステムに認識されているようですね」
いつ、とか、なぜ、とか、疑問は尽きないが、きっと、それを本田さんに尋ねても意味が無い。この奥に、答えはあるのだろうか?
「きっと、シャトルも使えるはずです」
それだけを言って奥へと向かう本田さんの後を、俺たちは声も無く追った。
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