第44話 お礼


 今日の松下さんはいつもより変だ。なにが変かと言われると、いつも変だからそんなに気にならないんだけど。そんな風に思ったのは、松下さんが駅前に来て、しばらく経ったときだ。いつもは、携帯を一時間〜二時間ほどいじった後、ストロング酎ハイとおかず系食材で酒盛りを始めるが、今日はいきなりのストロング酎ハイ。


「どうした?」


「……」


 やっぱり、変だ。


 いつも変な松下さんじゃない。


「なにかありましたか?」


「……上司がウザい」


「それ以外で」


「上司の上司もウザい」


「それ以外で」


「仕事がダルい」


「……」


 おかしい。いつもの松下さんだ。なんの変哲もない松下さんである。あまりにも松下さんらしくて、松下さんらしくない。


「まあ、なんにもなければいいんですけど」


「あ、あると言っとるだろうが小娘」


 とりあえず、いつもどおりの松下さんは無視していつもどおり曲を弾いて歌う。もう、松下さんと出会って一年以上が経過して、曲もすでに30曲以上は溜まっている。


 オリジナルの曲は歌っていてもウケない。やはり、みんなが知っている曲の方が足を止めてくれるし、話しかけてもくれる。自分としては作った曲たちは自分の子どものようだ。それが見向きもされないことは悲しいし、辛いし、もどかしい。


 だからこそ、黙って曲を聴いてくれる松下さんの存在はありがたい。


「……ふぅ。どうでしたか?」


「いい歌だったよ」


「あ、ありがとうございます」


 いつもは全然素直じゃないのに、素直に褒めてくれる松下さんを見ると、思わず照れてしまう。


「ユーチューブとかに載せればいいのに」


「だから、携帯持ってないって言ってるじゃないですか」


「……持ってたら載せるか?」


「そりゃ、持ってたら載せますよ。と言うより、載せない理由はないでしょう?」


 私の夢は、自分の曲を、歌をみんなに聞いてもらうことなんだから、できるだけ多くの人に聞いてもらって、喜んでもらうことなんだから。


「そっか……まあ、頑張ってくれ」


 あくまで他人事な感じで松下さんは再び携帯をいじり始める。いつもそうだ。私の歌を聴いているようで、全然聴いてくれてなかったり。全然聴いてくれていないようで、キチンと聴いてくれているようで。本当に、つかみどころがよくわからない、変なおっさんだ。


「……」


 でも、この人がいなかったら、すごくつまらない毎日になっていたんじゃないだろうか。毎日、この人がいてくれたおかげで、曲を歌うことができた。曲を作り続けることができた。夢を追うことでしか、生き甲斐がない自分のはずなのに、現実に負けて夢をあきらめて。あのときの、どうかしていた自分をこの人は救ってくれた。


 この人と一緒にいたことを、いつか自分は忘れてしまう日が来るのだろうか。これから、今以上に楽しいことや、悲しいことや、辛いことがあったとして。松下さんとの日々は、遠い日の思い出になってしまう日が来るのだろうか。


「ん? どうした」


「忘れたくないです」


「なにが?」


「忘れたく……ないんです」


 もう、わかってる。きっと、あのとき泣いていたのは単なる偶然で。きっと、松下さんには別の出来事があって、それで泣いていたんだってこと。でも、あのときも、昨日も、おとといも、ずっとこの人はそばにいてくれた。


 だからこそ、今日も、明日も、明後日も、この先ずっといて欲しい。この先もずっと見てて欲しい。


 そんな風に思うのは、わがままなんだろうか。


「はぁ。なんだかよくわからん」


「……」


 なんで、この人はわかってくれないのだろうか。


「拗ねてないでさ、もう一曲聴かせてくれよ、お嬢さん」


「……はい」


 いつものような調子で、いつものような旋律で、いつも歌うような声で。月が照らされて、ギター音が響いて。星は相変わらず小さくて、相変わらず、この人はストロング酎ハイを飲んでいて。


 最後に。
















 『サト、ありがとな』と松下さんは言った。

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