09 変わらない朝
コンコンと何かを叩くような音で目が覚めた。
「――レティス、起きてるー?」
遠くからルーフェの声が聞こえるような気がする。
もぞもぞと身動ぎして、まぶたを開けると見知らぬ天井が目に入ってきた。
あれ、ここどこだっけ――昨日、確か…………
ぼんやりとした視界の隅に白いふわふわとした何かが映る。それは徐々に視界を覆っていき、気づけば目の前が真っ白に染まっていた。
「…………っ」
息苦しさに上体を起こすと、膝の上にぽとりと何かが落ちる。
視線を下ろすと白い、ウサギのような生き物――シズがいた。
「レティスー? んー、まだ寝てるのかな……」
扉を叩く音が止み、声が徐々に小さくなっていく。
「お、起きてる……わっ」
あわててベッドから降りようとしたら足がもつれてしまった。
がたがたと派手な音がして床に転がるもレティスはすぐに立ち上がる。
「お、おはよう」
ギィ、と建てつけの悪い扉を開けるとルーフェが心配そうな顔で立っていた。
「おはよう、レティス。さっきすごい音してたけど大丈夫?」
「う、うん。ちょっと転んだだけだから」
「そう? 気をつけてね」
ほっと胸を撫でおろしたかのようにルーフェは目尻を下げた。
特に昨日から変わった様子はなく「今日は冷えるわねー」とはぁと両手に息をかけている。
擦り合わせる白い手から視線を上げると同じように白い喉元が目に入る。ほんのり朱色の唇が動くのをじっと見つめていたのは無意識だった。
「――レティス、聞いてる?」
顔の前で手のひらをひらひらされてようやくレティスは我に返った。
「えっ、あ、な、何?」
「何、じゃなくって。朝ご飯食べに行く? まだ寝てたいならそれでもいいけど」
「いや、食べる。起きるよ」
食い気味に言って、そういえばいるはずのもう一人がいないことにはたと気づいた。
「あれ、ハシバさんは……?」
きょろきょろと室内を見渡すもハシバの姿はなかった。上着もないので外に出ているようだ。
「ハシバならそこ、外見てみて」
ルーフェに示された窓のカーテンを開け、外を見ると銀世界が広がっていた。わずかに朝の光が差しこむくらいの雲の隙間はあるくらいの空模様で、一晩のうちにすっかり雪が積もっていた。
窓を開けるとひんやりとした空気が入ってくる。肌を刺すような感覚に寝ぼけていた頭が完全に覚醒した。
「ほらあそこ」
視線を動かすと宿の入り口あたりに雪かきをしているような人が見えた。声が聞こえたのか定かではないが雪かきの手が止まり、振り返った人物はハシバだった。
「ハシバが食べないってことはないから、ひとまず外、出よっか」
窓を閉め、上着を羽織る。近寄ってきたシズを抱き上げ、レティスはルーフェの後を追った。
宿の入り口まで来ると、ハシバは宿の主人と何やら話しているようだった。
雪かきに使った道具を主人に渡し、代わりに何かを受け取っていた。
「ほんと助かったよ。それじゃ」
ハシバに礼を言って宿の主人は立ち去っていった。
いたるところに雪は積もっていたが宿の入り口周辺は雪かきされており、出入りがしやすい状況になっていた。
「おはよ、ハシバ。相変わらず早いのね」
「おはようございます」
ルーフェに声をかけられ、ハシバは宿の入り口まで戻ってきた。
「積もっちゃったのね。通りで冷えるわけだわ」
「夜中から降っていたらしいですよ。雪かきを手伝ったら朝食のサービス券をもらいました」
三人で使って大丈夫だそうです、と先程宿の主人からもらった紙きれをルーフェに差し出す。
雪かきで体を動かしていたせいか、うっすら眼鏡が曇っている。ハシバの表情は読み取れないが、声色は昨日までと何も変わらないように聞こえる。
対するルーフェもルーフェで特に変わった様子はなく、いたって平静だ。
昨夜のあの声は何だったのか。あれはやはり夢だったのだろうか――
「レティス、どうしたの? さっきからぼうっとして」
戸惑いが顔に出ていたのか、ルーフェは首を傾げた。
背中の中程まである長い髪がさらりと揺れ、朝の光に左耳につけたイヤーカフがきらりと輝く。眩しさに目を細めると、ルーフェの後ろからハシバに見られていることに気づいてしまった。
一瞬。ほんの一瞬だが目が合った。眼鏡越しでもはっきりと分かる、氷のような視線にレティスは身震いする。
「な、……なんでもないよ」
「ならいいけど……疲れ溜まってるならゆっくり休んでくれていいから。さ、ご飯食べに行こ」
宿屋の中のこぢんまりした食堂で朝食を済ませ、その後の話になった。
ハシバは所用があるということで別行動、ルーフェは特に用がないから村をぶらぶらすると言う。
レティスはどうするという話になり、部屋にいるのも息が詰まるのでルーフェに着いていきたいと主張した。
「あ、じゃあ村を案内するわ。ここは前にも来たことあるから」
嫌がる素振りなどなく、ルーフェはどこ行こうかなと脳内地図を展開する。
ちらりとハシバの様子をうかがうも、先程の剣呑な視線は嘘だったかのように平静としていた。
「目立つような行動は控えてくださいね」
「分かってるって」
釘を刺すような言葉も慣れっこなのか、ルーフェはさらりと流す。
食後、ルーフェの髪を結んで「昼前には戻りますので」とハシバは去っていった。
***
北の村ナーシスは南島の内陸部、名前通り北の方に位置している。中央の街シセルから船の街アルメアへ向かう際には必ず立ち寄る村だった。
交通の要所ということもあり、過去には観光客も多く賑わっていたという。
けれど魔導師が不在となってからというもの、魔獣の出現報告が増えた。すると当然人の往来は減る。そこそこ大きな村ではあったがどことなく寂れた雰囲気が漂っていた。
「散策って言っても、見るとこは限られてるんだけどね」
「そっか、前にも来たって」
「うん。といってもこれで二回目。今年の初めにロトスから南島に来て、シセルの街に行く時に通ったの」
宿を出て、村の大通りまでぶらぶらとルーフェとレティスの二人は歩みを進める。
大通りというがいきなり降り積もった雪に対応しきれていないのか、道端には雪がまだまだ残っていた。雪かきをする人の横をすり抜け、大通りを歩く。
「……前来た時よりも寂しくなっちゃってるわね」
まだ朝が早いということもあり開いている店は限られていたが、戸口に板が貼られているようなそもそも閉まっている店もちらほら目に入った。
本来は穏やかな気候であるはずのノルテイスラだが、一年の半分は雪に覆われるようになって久しい。そんな中、陸路での移動は手間も時間もかかると航路へ変更になった影響が如実に現れているとルーフェは教えてくれた。
「船?」
「そ。ノルテイスラはいくつかの島に分かれてるでしょ。レティスも乗ってきたように大陸との行き来は船だし、元々航路はあったのよ。ノルテイスラ内での物流にそこまで使ってなかっただけで。それを使うようになると当然、内陸の町ほどさびれていくってわけで……」
「はー、なるほど。随分と詳しいんだな」
「まぁ、ね。実際に見てきたから。半分くらいはハシバの受け売りだけどね」
工芸品らしき品々が並ぶ土産物屋の前まで来ると二人は歩みを止めた。
色々な品が並んでいるがぐるりと見渡してみると紙類が多い。
穏やかな気候で森林に恵まれ、水源も豊富ということでノルテイスラは製紙業が盛んだ。質の良い紙が容易に作れるということで国内の紙類はほとんどノルテイスラで作られていると言っても過言ではなかった。
色とりどりに染められた紙は目にも鮮やかで美しい。無地や染め模様が多い中、絵柄として取り入れられているモチーフとして目立つのは羽衣をまとったような少女。無数の光の中を踊るような姿はなんとも神秘的で、レティスは物珍しさから凝視するような姿勢になってしまっていた。
「それ、マナ、……様をモチーフにしてるの」
「マナ様?」
「そう。水の巫子姫。ノルテイスラの筆頭巫子よ。こっちの人形はずばりって感じでしょ」
ルーフェの指した先には黒髪にオッドアイの人形があった。片方は漆黒、もう片方は青の瞳。
優しく慈しむような表情が印象的で、幼い姿ながらどこか大人びて見える。
「筆頭巫子……この人が……。あ、これは?」
次いでレティスが示したのはマナとおぼしき少女が一人の女性にひざまずいているかのような図案の扇子だった。
「なんだい、あんたサヤ様も知らないのかい?」
店番をしていた中年女性が話しかけてきた。
「久しぶりに観光客を見たかと思えば、マナ様どころかサヤ様も知らないだなんて」
これだからよそ者はとでも言いたげな口調にレティスは面食らった。
「えぇと……」
「サヤ様は先代の水の魔導師ね。マナ様と並んで永くノルテイスラを治めていた方。すごく綺麗な方で、民思いだったと聞くわ」
「おや、お嬢ちゃんの方は知ってるんだね」
「えぇ。高名な噂はかねがね」
「そうかい、そうだろうとも。サヤ様がいらっしゃった時のノルテイスラはそれは過ごしやすかったもんさ。こんな雪ばっか降ることなんてなかったのに」
うんざりしたように店番の女性は言って、店の奥の方へひっこんでいく。
「あ、待って。これひとつください」
「おや冷やかしじゃなかったのかい。ありがとうね」
グレー地に深い藍色が水面のように染められたハンカチをひとつ購入し、ルーフェとレティスは店を後にした。
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