08 盗み聞き
宿に戻り、三人は宿の隣にあるという大衆浴場へ向かうことにした。田舎の宿だけあって各部屋に浴室はないのだという。
シズはさすがに連れて行くわけにはいかないのでレティスとハシバの二人部屋で留守番してもらった。
このご時世、他地方の民は珍しいらしく周囲の視線が痛くもあったが、別に悪いことをしていないのだから堂々としていればいいとハシバに諭され汗を流すことができた。
浴場には村の人も多く、ノルテイスラではこうして毎日風呂に入ることが多いとハシバは教えてくれた。水に恵まれたノルテイスラの慣習とも言える。
反面、南のスーティラでは水は貴重なため、濡れタオルで身体を拭くだけで済ますことも多い。そういえばそんな状況でも母はなるべく毎日風呂に入ったり水浴びをするようにしていたなと、レティスは母の面影に触れた気分だった。
「ハシバさん、戻らないんですか?」
風呂から上がってしばらく経つにも関わらず、待合室の椅子に座ったまま一向に動こうとしないハシバにレティスはおそるおそる声をかけた。
銀髪を隠すかのように頭からタオルを被り、存在感を消すかのように縮こまっている。
風呂上がりに帽子を被る気分になれなかったため、少し前までレティスの銀髪は表に晒されたままだった。
ノルテイスラの民ではない色合いに、出入りする人は必ずといっていいほどレティスを一瞥していく。今までもそこそこ注目を浴びてきたが、薄汚れた格好をしていた頃は嫌悪感をあらわにされることが多かった。
こざっぱりしてみるとむしろ好奇の目で見られているような感じで、これはこれで居心地が悪い。
困った末にとりあえずタオルで髪を隠す形に落ち着いた。
「そうですね。そろそろかと思うんですが……」
「そろそろ?」
「……ルーフェ殿が出てくるのが、です」
その言葉通り、女性側の出入り口からルーフェが出てきた。
レティスへの周囲の視線が痛いのであればもちろんルーフェもそうで、にわかに場がざわつく。
色素の薄い髪と瞳は目を引くようで、レティスの斜め後ろに立っていた村人数人から「珍しい、他地方の女か」「今どき観光って物好きだな」「誘ってみるか?」などと下世話な声が聞こえてきた。
気にしない方がいいと思いつつもむっとする気持ちを抑えきれず、レティスは「ルーフェ!」と手を振った。
「レティス、待っててくれたの? ありがと」
上気した頬、まだ乾ききっていない髪と風呂上がり感が抜けきらないままルーフェは二人の元へ歩み寄る。
連れといってもルーフェとほとんど背丈が変わらないレティスでは牽制にならなかったのか、それとも単に距離が近づいて好機だと思ったのか。誰が声をかけるかという会話が背中から聞こえる中、おもむろにハシバが立ち上がった。
座っているとそうでもないが、立ち上がると背の高さが際立つ。
「ちゃんと髪、乾かさないと風邪ひきますよ」
呆れたように言って、ハシバは村人たちから存在を隠すかのようにルーフェの前に立った。
「分かってるって。部屋戻ったらちゃんとやるわよ」
「そうですか。では戻りましょうか」
そのまま視線で出入り口を示す。
ルーフェが先に歩き出し、ハシバはその少し斜め後ろを何事もなかったかのようについていく。去り際、一度だけ後ろを振り向き村人たちを見据えるとそそくさと退散していった。
「な、なるほど……」
ハシバの護衛としての有能っぷりを目の当たりにし、レティスはううんとうなった。
「レティス、どうかしたの?」
ついてこないレティスを不審に思ったのか先を行くルーフェから声がかかる。
「ううん、なんでもないよ」
一呼吸遅れてレティスも後を追った。
*
*
*
夜中にふと目が覚めてしまった。
カーテンが揺れ、窓からの隙間風が頬を撫でる。
(寒……)
身震いをし、レティスは布団をぎゅっと抱きこんだ。
寝返りをうつと、ハシバのベッドが目の端に入る。
(……いない……?)
おぼろげだった頭が除々に覚醒していく。
ゆっくりと意識を外に向けてみると、何かがきしむような音と、かすかに鳥の声のような高い音が聞こえた。
いやこれは、鳥じゃなくて――
(……上の方?)
上体を起こすと夜の寒さが身にしみる。
改めてハシバのベッドを見ると布団にあるはずの膨らみがなく、もぬけの殻だった。
壁にかけられた魔道具時計の針はてっぺんを迎えようとしている。たくさん歩いたし今日はもう寝ようとルーフェと別れて部屋に戻ったのが確か九時を過ぎた頃。
室内を見回すとコート掛けにあるはずのハシバの上着がないほか、もうひとつ――否、もう一匹がいない。
「あれ、シズは……?」
枕元で丸くなっていたはずのシズの姿が見当たらなかった。
どこへ行ったのだろうか。レティスから離れなかったため「そっちで寝かせてあげて」とルーフェに頼まれている状況で迷子になりましたはまずい。まだ半分寝たままな身体に鞭を打ち、レティスはベッドからおりた。
ついでに気になる音の正体も確かめてくればいいと、上着を簡単に羽織って部屋を出る。
建ってから年季が入った建物なのか、木造りのドアは開けるたびにギィ、パタンと少々建てつけの悪い音がする。足元もそうで、廊下を歩くたびに少しきしむ。壁からは隙間風が入りこみ、まだ十月だというのに肌に突き刺さるかのように冷たい。屋内ではあるが上着を着る選択は間違っていなかったようだ。
廊下の角を曲がり、階段へさしかかろうとした時に足元に何かが当たった。
おそるおそる見下ろすと、暗闇にぼうっと白い塊が浮かび上がる。
「……シズ! こんなところにいたんだな」
見つかってよかったとレティスはそっと胸をなでおろした。
「いつのまに出て行ったんだ?」
小声でシズに話しかけるが、もちろん返ってくる言葉はない。
シズを抱き上げると肩に乗ってきた。ふわふわの毛並みが暖かく、寒い夜にはちょうどいい。
「シズも行くか?」
シズを肩に乗せたまま、階段を上がる。歩みを進めるたびにぎし、と音が鳴った。
(上の階は確か、ルーフェの部屋もあったな)
レティスとハシバの二人部屋は一階、一人部屋は二階だからとルーフェは確か言っていた。
浴場から宿へ戻った際、レティスはルーフェを部屋まで送ろうとするも、そこまではしなくていいと断られてしまった。代わってハシバが少し話があると告げると、それはあっさり了承された。
ほどなくしてハシバは部屋に戻ってきたので、話があるというのは口実にしか過ぎず、ルーフェを無事に送り届けるのが目的だったのではとレティスは思っている。
(なんというか、扱いに長けてるよな)
あくまでルーフェをたてた上で、さりげなく周囲から守っている。
旅を円滑にするためにいる、というハシバの言葉に嘘偽りはなさそうだった。
階段を上りきり、廊下の角を曲がる。音の発生源を求めて歩いているとシズの耳がぴくりと反応した。
「……ちょっ、どこに行くんだ?」
シズが肩から飛び降り、レティスから離れていく。
(そっち、音の方向じゃないのに……)
シズを追うべきだろうが、音の正体も気がかりだった。動くことができずにうろたえるレティスの耳に先程までより大きな音が聞こえてくる。
(――ごめん、シズ。あとで絶対探すから)
興味の方が勝ってしまった。闇に溶けていく白い姿に踵を返し、音のする方へと歩みを進める。
その先は、ちょうどレティスとハシバの泊まる二人部屋の真上だった。
(ここから音がする……これ、この音って……)
音と言うべきか、声、と言うべきか。
(――ルーフェの、声……?)
良くないことだと内心思いつつ、動きを止めることはできない。
そっと扉に耳を寄せると幾分クリアに聞こえてきた。
(――……!!!)
それは嬌声、という他にない。
鳥のように高く甘い声――それは確かにルーフェの声だった。
(え、なんで? 相手は……?)
ぐ、と扉に寄せる体に力が入った。ぎし、と扉がきしむ音がする。
(――やばっ)
扉から身を離し、足早にその場を去る。なるべく静かに足音を立てないように歩くも、きしむ階段の音がやたらと大きく聞こえて気が気でなかった。
逃げるように自室まで戻ってくると扉の前に白い塊が見え、そこでようやくシズの存在を思い出す。シズはレティスの姿を認めると足元へすり寄ってきた。
「……っ、はぁっ……」
シズを腕にかかえ、部屋に入る。
知らないうちに息を止めていたようで、レティスの呼吸は荒くなっていた。
心臓の脈打つ音が脳内に響く。荒い呼吸を静ませるように、うまく息をしようとするもうまくいかない。
(……さっきのって……)
レティスは扉にもたれかかると、そのままずるずると座りこんだ。
事態が飲みこめず、思考が全然まとまらない。
硬直してしまったレティスを現実世界に引き戻したのは、頬にすり寄ってきたシズだった。
何を考えているのか分からない黒い瞳がレティスを見つめている。レティスと視線が合うと、シズは肩から飛び降りてベッドの方へ飛び跳ねていった。
「シズ……」
上着を脱ぎ、レティスはふらふらとベッドに倒れこんだ。
枕に顔をうずめたまま動けないでいると、ふわふわとした感触に耳をくすぐられる。
寝返りをうち、シズを両手で抱え上げた。
「シズは、知ってたのか……って、分かんないか」
シズをぎゅっと抱きしめる。毛並みはいつも通りふわふわで、暖かい。いつもなら落ち着くはずなのに、今はちっとも落ち着かない。
思いのほか強く抱きしめたせいか、腕の中のシズが身震いした。
「あっ、と、ごめん」
シズを解放するとレティスの身体の周りを一周し、枕元で丸くなった。
「……そうだな。とりあえず、寝るか」
いくら考えたところで答えは出ない。
この場はひとまずそう判断することにして、レティスは布団を引き寄せた。入り口に背を向ける形で横になる。
ほどなくして枕元のシズからは静かな寝息が聞こえだした。
――どれくらいの時間が経っただろうか。
ようやく落ち着いてうとうとしだしていたレティスの耳に、ギィ、パタン、と扉の開閉音が鮮明に聞こえた。
意識が急に現実に引き戻される。
こつこつと足音が徐々に近づいてきた。
「――盗み聞きとは悪趣味ですね」
今まで聞いた中でも一番冷淡なハシバの声が頭上から響く。
どくんと心臓が跳ね、向き直ることもできなければ、返す言葉も見つからない。
まるで金縛りにあったかのようにレティスは指先一つ動かすことができなかった。
「……まぁ、狸寝入りも結構ですけど。くれぐれも、彼女に直接問うような真似はやめてくださいよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます