紅一点の直感

 漸く行き先が決まった。やるべきことが決まったのだ。今まですべてを失ったと思っていただった。それに気づいてからは、足取りが一段と軽くなっていた。


 行き先は彼の家。復活前、いや、生前、我の趣味であった読み物を書いてくる親戚の小説家の家。これが現状の最善である。爺やの行方は不明。もしかしたら、という可能性がある。そして、勇者、あのバカ野郎のところには、今の立場上、絶対に侵入不可能だ。またこちらも、この国にいるかも不明だ。よって、消去法で、いるかもわからないのあの小説家のところへ行く選択肢となった。


……ゴミみたいな選択肢だな。生きた心地もせん……。


 自分でも笑ってしまうほどの状況だ。だが、もう決めたことである。後がない。ならば、失うものは何もない。失わず前に進めるかもしれない機会など、そうめったにないのだ。


 やけになりながらも今まで歩いてきた道を踏みしめてく。丁度、先程走り疲れて休憩をしていた路地裏への入口が前方に見えた。


 あそこを曲がって、町の外れを行けば、彼の住む町へと行けるはずだ。それも、記憶と現実が合致すればの話だがな……。


 知らないことだらけのこの世界でも、唯一、土地と名が残っているものがある。勇者の名前などは消えているかもしれない。だがこの「トリニティア公国」という存在自体は、変わらぬものだ。ならば、小説家の家がある街自体は存在するのかもしれない。


 こうして、目前まで迫った角を右折する。路地裏へと入り、少し進むと、先ほどとは違い周囲が一気に静寂へと包まれる。


 ………。


 辺りが静かになったからだろうか。一気に今までの疲労が襲い掛かる。あれほど周囲の断絶したかったのに、いざ一人になると、それはまた寂しいものだ。だが、この襲い掛かる疲労も、今の我にとっては少し気持ちのいいものだった。


 なぜだろうか。なぜ、疲労がこんなにも気持ちいいものだろうか。何か、解放されたような気分だ。


 心の内でもたれ掛かるそれをじっくりと味わいながら、また足を踏み出す。傍から見れば、下向いて何か笑みをこぼしている変人だと思われるくらいに。


 そして丁度、一つ目の路地裏の角を曲がろうとした、そのときだった。


ドンッ。


 身体に何かが当たった感触がした。やわらかくも重い、言うなれば、人、そのものである。


 ゆっくりと顔を上げていく。言うて路地裏だ。人の一人や二人、いてもおかしくはない。とっとと謝って、その場から去ろう。


 しかし、顔を上げ終え、謝罪の意を伝えようとしたその時。目の前にいたのは、赤髪の少女であった。


 ………。


 ありえない。呆気にとられていた。この場にそぐわぬその美貌に。その腰まで伸ばされた、なびく紅の髪。血色良く発紅した、潤った唇。そして、美麗な鼻筋。なにより、我を見つめるその髪と同じ、深紅の瞳に。そんな彼女に、深く、深く、魅入られていた。


「大丈夫ですか!?お嬢様!」


 その少女の後ろから、青年の声がした。咄嗟に我に返る。すると赤髪の少女の後ろから青年が出てきた。


 …これまた、ありえなかった。


 見た目からして少女と同い年くらいだろうか。髪は少女と対して空色で、やはり端正の取れた顔立ちだ。サラサラとしたその髪と、同じ色の目の色をしている。


 現実にいるような感覚がしなかった。この場から、目の前の二人だけが空間を断絶させている。それほどの美貌であった。


 二人をよく見ると、同じような衣装を身に纏っていた。スカートかズボンか、それだけの違いしかない。上には同じく制服のようなもので、前にボタンを占める服を着ている。学生か何かだろうか。


「あのっ!」


 突然、赤髪の美少女が声をかけてくる。おそらく、我が黙って二人を見続けていただろう。まぁもっとも、その美貌を目にしたら、一度は身動きを止めてしまうほどだ。


 改めて見るとものすごくきれいな顔立ちだな。紅に近いその髪は、腰辺りまでまっすぐと伸びていて綺麗に手入れされている。仕草や身に付けているものかして育ちもよさそうだな。横の青年も引けを取らないところを見ると、学院通いのお偉いさん、貴族ってあたりだろう。


 ……貴族、か…。……もうこれ以上、面倒ごとを増やすのはごめんだ。とっとと謝ってこの場から去ろう。


「すまない。わr…私も、不注意だった。」

「いえいえ。そんなことないです。こちらこそ、すみません。」


 少女からの詫びもあり、簡潔に謝罪を済ませて万事解決。そのまま二人の横を通り抜けようとする。しかし、少女の後ろにいた青髪の青年が突如、我を引き留める。


「おい」


 …嫌な予感だ。貴族というのはただの憶測ではあるが、本当にそうだとしたら、この状況はまずい。貴族令嬢に身元も分からぬ男がぶつかったということになる。


 青年の方へとゆっくりと顔を向ける。青年はものすごく不機嫌な顔をしている。


……やはり、か…。


 その予感は見事的中し、青年は我の目の前へとずかずかと歩み寄る。そして青年との距離が目と鼻の先になったところで、青年から予想通りの言葉が放たれる。


「お前…この方がどなたか分かっているのか?」


 やはりこいつらはどっかのお偉いさんのだったか…。嫌な予感というものは嫌になる程的中するな…。いっそ、予感しない方がまだましだ。


「おい。何をにやにやしている。聞いているのか!」


 青年から鋭い視線と言葉を投げかけられる。とっさに頬に手を当てる。そこで気付いた。未だに口角が上がっていることを。


「………あぁ、えぇっと…、その、…私は旅をしていて…。初めてここを訪れたもので……、その、…存じ上げない。すまない…。」


 頬に触れた手を無理やり下げながら、いつものように、旅人と装い雑にごまかす。


「…はぁー」


 青年は大きくため息をつきながら、腰に手を当てている。そしてそのまま大きく息を吸い込むと、大きく左手を横に広げる。その指先には赤髪の少女を指していた。


「この方こそ、我らが次期君主「トリニティア公国第四十二代目当主、アリス・オールワット様であらせられるぞ!」


 ……。


 その場は青年の声が反響し、少しするとまた、静寂へと戻った。


 あぁ…。なんとなく予想はしてたけどそうなのだな…。よりによって次期君主か…。なぜこうも我の目の前には最悪が舞い降りるのだ…。


 もう驚きもしない。この道中、何れ程どれほど驚いてきたと思っておる。しかしこの状況で次期君主とばったり会うとは…。話を聞きたいのはやまやまだが、青年が邪魔で聞けないだろうしな…。


 やはりここは早急に立ち去るべきだ。


 気持ちを切り替え、その場で勢いよく深々と頭を下げる。


「それは大変申し訳ありません!すみません!失礼します!」


 ここでうまく目の前の二人を撒ければ、事はスムーズにいくはずだ。しかし、現実というものはそう、うまくいかないことを知っている。それも承知の上で、二人の間を走り抜けようとする。


「待ちなさい!」

「…」


 しかし、それも無念。先程「アリス」と紹介された赤髪の少女に呼び止められる。


「なぜ、逃げるのです?」


 ………ばれていたか。


 ゆっくりと少女たちの方へと向きながら、頭の裏に手を当てて焦る様に笑ってみせる。


「い、いやぁ~。次期君主様にご無礼を働いたものなので…。この場からすぐに立ち去った方がよかったのではと…」

「そんなことしなくてもいいのよ。私の不注意で招いたことだから。…リュクトも初対面の人に怒号を浴びせないで。私、怒る人は苦手だわ」

「なっ…!」


 リュクト呼ばれた青髪の青年が、赤髪の少女に叱られて口をあんぐりさせている。 正直、こいつの態度には思うところがあったのでアリスからズバッと言ってくれてスッキリする。ざまぁねぇなクソガキが。


 リュクトへ刺すように言い放ったアリスは、我の目の前まで近づくと、再び頭を軽く下げる。


「うちの者がすみません。この子、カッとなりやすいんです。」

「…いえいえ。とんでもないです。こちらこそすみませんでした」


 アリスはにっこりと微笑み、会釈をする。ようやく正気に戻ったリュクトが再び睨みを利かせてくるが、アリスの鋭い視線により鎮火される。そしてアリスは咳払いをし、場を再び戻す。


「彼からも紹介があった通り、私、この国の次期君主なのです」

「…そのようですね」

「しかし見てもらうと分かる通り、私たちはまだ、学生なのです」

「…と言いますと?」


 横にいるリュクトがため息をつく。我にはまったくもって何が言いたいのかよくわからない。自己紹介としか思えない、意味不明な会話であった。


「今、お嬢様は学院へ登校中だ。そして次期君主でもあられる。そして登校中は表へでなければならない。だから騒ぎにならぬようにこうして路地裏から登校しているのだ。しかしこうして目撃されてしまった。分かるだろう?」


 言われてみればそうだ。


 次期君主であるアリスが表に、しかも登校中となるとこの町はともかく、隣の首都バルトリアでは騒ぎになるだろうな。しかし、「分かるだろう?」と言われても…。さすがに口封じのための戦闘をここではしたくない。


 するとアリスが胸元で手を組み、頼みを聞いてほしそうな目線を送ってくる。


「なので、その…。ここを使って登校していることは、他言無用でお願いします!」


 とりあえず武力行使でないことを把握し、安堵する。アリスは本気でお願いを聞いて欲しいのか、目を瞑って願うように訴えかけてくる。


「…そういうことなら、分かりました」


 アリスは微笑み、感謝のお辞儀をするとリュクトの方を見て、「行くわよ」と一言放ち、路地裏を歩きだした。リュクトもまた、アリスの後をついていく。


 何気に復活してからの一番の収穫であった。なにせ正体が謎である現君主に、一歩近づけるチャンスが巡ってきたからな。彼女に色々聞ける可能性がある。反射的に店主からもらった果物の入った紙袋を、唯一の収穫を噛み締める様に強く握る。


 そして、彼女らが路地裏から出ていこうとする瞬間を確りと見届けていた、その時。一つの疑問が頭に過る。


 ………今日は継承祭…。


 紙袋を握った音で、思い出した。これをくれた店主が言っていたことを。今日が何の日なのかを。


 おかしい。主役がなぜこんなところに、しかも学院に行こうとしているのだ? おかしいのはそもそも、次期君主であろう人物が、学院へ通っていて、しかも路地裏などを使っているということもだ。


 不思議に思い、路地裏を出ようとするアリス達を追いかけて呼び止める。


「待ってくれ!」


 しかし、アリス達は立ち止まらない。明らかに聞こえる声量で呼び止めたが、それを無視するかのように彼女たちの足は止まらない。


 …やはりおかしい。もう、嫌な予感を感じたくない。しかし、これはあまりにも不可解すぎる。


 さらに近づきながら、もう一度呼び止める。


「おい!ちょっと待ってくれ!少し聞きたいことが…」

「申し訳ありません。急いでるので。お話なら学院で聞きくわ」


 アリスは振り向きもせず、淡々とした口調で答える。なんだ? 先ほどとは態度が少し違うように見えるような…。


「あ。どこに通っているかお教えしてなかったわね。私、ヴィーセント魔術学院に通ってるの」


 やはり口調が変わっている。しかし後をつくリュクトは、さぞ当然化のように何も気にしていないようであった。


 体が勝手に身構える。これは予感じゃない。直感だ。体と心の底から警告の音が鳴り響く。我の全てが、そう言っている。


 身構える様にその場で止まっていると、路地裏の出口付近で、アリス達は急に歩みを止めた。それにより一層警戒心が強まり、固唾を呑んで彼女らを見つめる。


 アリス達は、こちらをゆっくりと振り返る。そして深々とお辞儀をした後、不敵な笑みを向ける。ゆっくりと、その赤い唇が動く。


「改めまして。お初にお目にかかります。私の名前はアリス。よろしくね、元さんっ。」

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元魔王だと、信じてくれますか 愚者 @gusya_jp

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