第24話 爆砕斧
「……嘘だろ?」
その視線は、残された魔王の足首に注がれている。
足首の断面図から、ボコリ、ボコリと何かが沸き立つ。
「ルリ!」
ルリはハッとして、足首に向かって光の矢を放つ。
だがそれは、足首に当たる直前に結界に阻まれて霧散してしまう。
その光景を、三人はただ見ているしか出来なかった。
ボコリボコリ、やがて足首から沸き立った何かが人の形を成し……そして以前と変わらぬ魔王の姿となって現れた。
「クソッ!」
リュカは慌てて立ち上がる。もう身体強化も何も出来ない、絶望的な状況だ。けれども、立ち上がらなければならない。
「なるほど、今のは素晴らしい一撃だったぞ」
勝ち誇った魔王の称賛に、リュカは現在の状況から思考する。どうすればミケとルリを生き残らせる事が出来るかを。
最悪でもミケがいれば、森の中を抜けることは可能だ。ならば、ここは自分が残って魔王の足止めをするしかない。
この極限の状況で、リュカはもう自分が生存することを切り捨てていた。命を失うのは惜しくない。怖いのは、自分の大切な友達を、家族をなくすことだ。
「ルリ、ミケを連れて逃げろ」
その言葉の意味を、ルリは瞬時に理解した。リュカは、自分が死んでも二人を逃がすつもりなのだと。
「でも、リュカちゃん!」
「大丈夫だって、オレだけなら、大丈夫だから」
そういってリュカは笑う。
嘘だ。大丈夫な訳がない。リュカは死ぬ気でいる。それは、ルリだけでなくミケもわかっている。
「なるほど、美しい覚悟だ。是非とも我が部下に欲しいところだな。この状況でなければの話だが」
魔王はゆっくりと腕を持ち上げ、人差し指をリュカに突きつける。
死の気配にリュカが咄嗟に爆砕斧を構えようとした時、魔王の指先から放たれた光がリュカの腹部を貫いた。
ゴポリ、とリュカの腹と口から血が流れる。
「行け! 二人とも!」
リュカは爆砕斧を構えて魔王に向かって駆ける。腹部に空いた穴など、まるで意に介することもなく。
「いい戦士だ。故に敵であることが残念でならない」
魔王は結界を展開する。リュカは爆砕斧を叩きつけるが、第一段階すらも解放できない状態では結界を破ることは出来ない。
魔王の周囲に幾つもの魔法陣が展開され、放たれた光が次々にリュカの体を射貫いていく。
「ミケちゃん、今のうちに……」
ルリはミケの手を引いて逃げようとするが、ミケは動かない。
「ミケちゃん!」
「ルリ」
小さく、けれども力強い声に、ルリは言葉に詰まった。
「アタシ達は、三人で行くんだ。三人で、一緒にだ」
その言葉に、ルリは暫し瞑目する。そして、目を開いた時、覚悟を決めた。
今、一番力を温存出来ているのは自分だ。その自分が戦わないでどうするのか。
ルリの頭上に天使の輪が、背中に翼が出現する。
その姿を見て、ミケは微笑んだ。
「……行きます!」
「ああ、行こう」
ルリが光の矢を放つのと同時に、ミケがボロボロの短剣を構えて無謀な突撃を開始した。
子ども達の抵抗は、数分と持たなかった。
まず最初に倒れたのはリュカだった。魔王の攻撃をもっとも引き受けたリュカの体は穴だらけで、もはや生きている事が不思議な位の有様だった。
次の倒れたのはミケだった。直線的な攻撃しか飛んでこない光線を避けることに集中するあまりに、魔王自身の攻撃を避けることが出来ず、一撃で叩きのめされた。
そして、ルリだけが残された。
「哀れな。天使と出会わなければ、こんな目に遭わずに済んだものを」
その言葉に、ルリはビクリと体を震わせた。それは恐怖ではなく、後悔だ。
そうだ、この惨状の原因になったのは、元を正せば自分がこの世界にやって来たからだ。
「ルリ……」
痛みに倒れ伏したミケに名を呼ばれて、ルリは顔を上げた。
「後悔してる暇があったら……考えな」
「考える、か。なるほど、お前達は良い戦士だ。この状況でも誰かが生き残るのを諦めていない」
勝利を確信した魔王の言葉を聞き流しながら、ルリは必死に考える。
どうすればいい? この状況を切り抜けるには、どうしたらいい?
相手は魔王。こちらは力を失った天使。リュカちゃんとミケちゃんは、もう戦えない。
力があれば、まだ切り抜けることも可能かもしれないのに。
必死に思考を巡らし、そして気がついた。
……力?
ああ、そうか。そうすればよかったんだ。
気付いてしまえば、後は簡単だった。
ルリは、リュカの元まで歩く。それを、魔王はただ見つめていた。
「何をする気だ? 傷を癒したところで、もはや逃げることなど出来はしないぞ?」
魔王の問いに答えず、ルリはしゃがみ込んだ。
「ルリ……逃げろ……」
全身から血を流し、掠れた声で、リュカが叫ぶ。
ルリは、黙って首を横に振った。
「リュカちゃん、一つだけ、お願いがあります」
ああ、こうすればよかったんだ。こんなことで、よかったんだ。
「わたしの代わりに、勇者様を元の世界へと返してあげてください。リュカちゃんのお師匠様なら、それが出来るんですよね?」
「ルリ、何をする気だ……?」
ルリは答えない。答えることなく、爆砕斧に触れる。その行動が何を意味するのか、リュカはたちどころに理解した。理解してしまった。
「やめろ、ルリ」
「何をする気だ小娘」
怪訝な様子で問いかける魔王に、ルリは安堵した。
ああ、やはり魔王は理解できていない。それもそうだ。だって魔王は、霊素について何も知らないのだから。
この世の物質は、霊素で出来ている。大地も、大気も、水も、全てが霊素で出来ている。
そして、この世界とルリの世界は、同じ世界基板を使っている。それはつまり、ルリの世界も全ての物質が霊素で出来ているということだ。
それならば……自分の体も霊素で出来ている、ということになる。
ならば自分の体を一つの霊素の集合体として、爆砕斧に注ぎ込む事だって出来るはずだ。
霊素の制御なら、この世界に来てから何度もやった。今なら、それも出来るはずだ。
「お願いしますね、リュカちゃん」
「やめろ、ルリ!」
リュカの叫びに、少女は微笑む。
そして、天使の少女は光となった。
光の粒子が、まるで意思を持っているかのように爆砕斧に吸い込まれる。
その光景を、呆然とリュカは眺め……そして。
「バカヤロー!」
少女は叫び、立ち上がる。満身創痍だった筈の体に活力がみなぎる。身体中に空いた穴が塞がっている。爆砕斧に充分な霊素が充填されたことで、持ち主の傷を瞬く間に癒し、絶大な力が供給されたのだ。
爆砕斧が青白い光を放つ。これこそが、爆砕斧の三段階目の機能が解放された証。即ち、神殺しの力だ。
少女の頬を、涙が伝う。その涙を、音を置き去りにして刹那の間に少女の姿が消えた。
突如として背後に生まれた殺気に、魔王は振り向くより先に障壁を展開しようとした。
だがそれより先に、魔王の体を少女の咆哮と衝撃が吹き飛ばす。
殴られたのだと理解するには、少しの時間が必要だった。
「あぁああぁぁぁぁ!!」
叫ぶリュカが振るったのは、爆砕斧ではなく、拳だった。
竜鱗に覆われた少女の拳が振るわれるごとに、魔王の腕が、足が、弾け飛ぶ。魔王は必死に体を再構築するが、まるで追いついていない。
友達だった。家族だった。その少女を、目の前で失った。
泣きながら、リュカが拳を振るう。己を襲う尋常ではない威力に魔王の体が何度も消し飛ばされる。
魔王は不滅故に、その体は何度消し飛ばされても治すことが出来た。だが、その心は例外だった。
魔王は、少女に身体を消し飛ばされながら、その事実に愕然とした。
何だこれは、何だこれは。魔王たる余が、竜人の子どもに圧倒されているだと?
「ふざけ」
最後まで言い終わる前に、少女の拳が魔王の頭を粉砕した。
どれだけ時間が経っただろうか。一時間か、二時間か、あるいは一〇分も経っていないように思える。もはや魔王は抵抗することを諦め、なすがままになっていた。
リュカは気付いていた。今の爆砕斧を振るえば、一撃で勝負が決することに。
第三段階の力は神を滅ぼす力だ。第二段階のような肉体を、物質を破壊する力だけでなく、魂そのものを滅ぼす力だ。それを理解していながら、リュカはあえて拳を振るった。拳を振るい続けた。
勝手に託して消えた怒りをぶつけたかった。大事な人を失った悲しみをぶつけたかった。衝動のままに怒りと悲しみをぶつける相手が欲しかった。
爆砕斧から、力が供給される。活力が供給される。どれだけ拳を振るっても、息が切れることも、疲れることもない。
「リュカ、もう止めな」
その言葉に、リュカは拳をピタリと止めた。見れば、ボロボロのミケが立っていた。ミケが立てるくらい回復するまで、自分は拳を振るい続けていたのだろうか。
「ミケ……」
魔王に目を移せば、また再生が始まっている。だが、魔王はその再生に身を任せたきり動こうとしない。
「終わらせてやりな」
その言葉に応えるように、リュカは爆砕斧を振るった。
衝撃と轟音、そして熱波が魔王の体を消し飛ばす。それっきり、魔王が復活することはなかった。
全てが終わった後、リュカは再び泣いた。泣いて、泣いて、泣き続けた。
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