第4話 ルリ

「何だ、コレ?」


 それを見て、声を上げたのはリュカだ。その視線は、巨大な何かを見上げるように上へと向いている。


 二人の前には、森の中に似つかわしくないものが鎮座していた。


 壮麗な装飾が施された、見上げるほどに巨大な白い門である。森の表層には、いや、表層どころか森の中にこんなものは存在しない。その門の扉は開かれており、その向こうには闇が広がっていた。


「リュカ、あれ」


 ミケが指差す方に目を向けると、門柱の根元、開かれた扉の影の辺りに、水色の髪に白いワンピースを着た少女が、柱に背を預ける様にして俯き座り込んでいた。


 二人は顔を見合わせ、少女に近づく。身長は自分達と同じくらいな事から、年齢も同じくらいだろうと勝手に推測する。


 リュカがペチペチと頬を軽く叩く。柔らかい頬の感触が、硬い手の平に返ってきた。


「おーい、大丈夫かー?」


 呼びかけても反応はない。口元に手を近づけてみると、息はしている。とりあえず生きてはいるようだが、気を失っているようだ。


 改めて少女の顔を見たリュカは、そこで言葉に詰まった。


「どうしたんだい?」


 ミケに問われて、リュカは一瞬迷った後、口を開いた。


「いや、なんかさ……この子、人形みたいだなって」


 ミケは少女をマジマジと見つめて、その言葉に納得した。


 その少女はまるで、作り物の様に可愛らしい少女だった。土と泥に塗れているが、それでもわかるほどに。きっと汚れを落とせば、さぞ周囲から可愛がられる事だろう。


「……ミケ、どうしよう?」

「どうするって言っても、ねぇ?」


 二人は再び顔を見合わせる。野生動物が跋扈する森の中で、流石に気を失った女の子を放っておく訳にはいかない。死体になった目玉の怪物とは違うのだ。


 溜息をついて、リュカは決断する。


「仕方ない。とりあえず戻るか」


 リュカが少女を背負い、二人は元来た道を引き返す。


 カザリナに戻る途中、ついでに目玉の怪物の死体も回収し、二人は町へと帰還する。幸いな事に、瘴獣達と出くわすことはなかった。


 とりあえず死体の方はヘーベモスに渡しておけばいいだろう。彼は獅子人の族長だし、両親が行方不明になった後、何か困ったことがあったら遠慮なく頼れと言ってきた。ならばその言葉に甘えさせてもらうとしよう。そんな事を考えながら町を歩く二人は、当然周囲からの注目を集めた。その視線は引きずられている目玉の怪物の死体に注がれており、時折道を行く大人たちから死体の事を尋ねられては、リュカ達は森で遭遇したことを伝える。


「おっちゃーん。いるかー?」


 ヘーベモスの家に辿り着き、家の玄関の近くに設置されていた鈴を鳴らしながらリュカはヘーベモスに呼びかける。


 扉の向こうからドタドタという重い足音が小さく聞こえたかと思うと、玄関が開かれて目当ての人物が現れた。


「おお、リュカ達か。話は聞いているぞ。大活躍だったらしいな」

「おかげで調査が台無しだよ」


 愚痴をこぼすミケに笑いながら、彼はチラリとミケが引きずっている目玉の怪物を見やる。


「それが例の怪物か。確かに見たことがないな……わかった、すぐに手配して調べさせよう」

「頼んだよ、おっちゃん」


 死体を引き渡すと、彼は怪物を持ち上げて家の奥に引っ込んでいった。


「さて、あとはこの子だな」


 ミケはリュカが背負っている女の子に視線を向ける。


「とりあえず、家で休ませておこうか。使ってない部屋なら幾つかあるし」




 翌日、リュカは物音に目が覚めた。


 少女の看病をしていたのだが、どうやら途中で寝入ってしまったらしい。ミケに知られたら呆れられるなとリュカは苦笑する。


 椅子に座ったまま大きく伸びをすると、看病していた少女と目が合った。先程の物音は、どうやら少女が起きたときの音のようだ。


 少女は、輝くような金色の瞳を瞬かせてリュカを見ていた。困惑しているようにも見える。


 とりあえず、第一声はコレだろうとリュカは声をかけた。


「おはよう」

「あ、おはようございます」


 リュカの挨拶に、少女はペコリと頭を下げた。言葉が通じることに、リュカは内心でホッとして先を続ける。


「オレはリュカ。んで、ここはカザリナにあるオレの家なんだけど……カザリナって知ってるか?」


 そう尋ねたのは、この少女がこの世界の住人ではない可能性が高かったからだ。ミケもリュカもあの目玉の怪物は見たことがないし、その怪物のやって来た方向にあった謎の門と、その前で倒れていた少女が無関係だとは思えない。


 もしかしたら、あの門はこことは違う世界に通じる門なのかも知れない。そうミケは言っていた。確かに、カザリナにもファズミールが門を通って異世界へと旅立った伝説はあるし、その実物も残っている。


 カザリナにある門と森で見た門は見た目も大きさもまったく違うものだったが、それでも門を通じて異世界を行き来するという話は、カザリナだけでなく世界中のあちこちに存在する。可能性としては充分にあった。


 果たして少女は、少しの間を置いてから首を横に振って答えた。


「ごめんなさい、わかりません……」

「いや、大丈夫。多分別の世界からやって来たんだろうなって思ってたから」


 予想が的中したリュカは、内心の興奮を隠しながら少女を安心させるように笑う。外の世界の事を伝え聞くだけしか知らないリュカにとって、異世界からやって来た人間というのは好奇の的なのだ。


 しかし少女は、申し訳なさそうに首を振った。


「いえ、そうじゃないんです」

「そうじゃないって、どういうことだ?」


 リュカは首を傾げた。


「何も、わからないんです」


 その言葉の意味を理解するのに、数秒の時間が必要だった。


 何もわからない。つまりそれは、何もわからないと言うことだ。


 リュカがミケを呼びに椅子から立ち上がった時、ちょうど扉が開いてミケが三人分の朝食を持って部屋に入ってきた。


「ミケ! 大変だ!」

「どうかしたのかい?」


 血相を変えたリュカに、ミケは面倒な物事の気配を感じて顔を顰めた。


「あの子、何もわからないって」


 それを聞いたミケは、けれども別段驚きも取り乱した様子も見せずに、淡々と尋ねる。


「それは、記憶喪失ってことかい?」

「多分、そう」


 面倒な事になったと言わんばかりに、ミケは息を吐いた。


「了解。わかった」


 ミケは部屋に置いてあった机の上に三人分の朝食を置くと、自分も部屋の隅に置いてあった椅子を持ってきて座る。


「まずアンタ、名前は覚えてるかい? ああ、アタシはミケ。よろしくな」

「あ、はい。よろしくお願いします」


 少女はリュカの時とは違い、緊張した面持ちで頭を下げる。


「えっと、わたしの名前、ですよね?」

「うん。覚えてないなら覚えてないで構わないよ」


 ミケの言葉に、少女は目を瞑る。どうやら名前を思い出そうとしている様だ。

 そうして待つこと数秒の後、少女は目を開いて答えた。


「ルリ……確か、そう呼ばれていた気がします」


 ミケがホッとするのを、リュカは感じ取った。


「それじゃあ次の質問だ。コレ、使えるかい?」


 そういってミケが差し出したのは、木製のスプーンだ。


「えっと、スプーン、ですよね? あれ?」


 ルリは首を傾げた。


「それがわかるなら基本的な事は覚えてそうだね。名前も覚えてるってことは、部分的に記憶がなくなっちまってるだけかな。本当に何も分からないってわけじゃなさそうだ」

「あ、いえ。その、最初はわからなかったのですが……スプーンを見たときに、なぜか言葉に出ちゃったんです」

「ん。それなら多分、一時的に記憶が混乱しているか飛んじゃってるだけ……かな? 物を見て名前を思い出せるなら、最低限の生活は問題なさそうだね」


 ミケは更にホッとした様子で、ルリに説明を始めた。


 自分達が森の中でルリを見つけたこと、そしてルリの傍には恐らく異世界へと繋がっているであろう門があったこと、そしてルリがその門を通じてこことは別の世界からやって来た可能性が高いこと。


「ここまでの説明は大丈夫かい?」


 ルリは困惑しながらも、ミケの話を理解したように頷く。


「大丈夫、です。……ただ、異世界とかそういうのはよくわかりませんが」

「ああ、そこは別に構わないよ」


 さて、と言ってからミケはルリに問いかける。


「一応聞いておくけど、目が覚める以前の事で何か覚えていることはあるかい?」


 ルリは少し考えてから、首を横に振った。


「ごめんなさい、何も、思い出せないんです。もしかしたら、何か見ればスプーンの時みたいに思い出せるかもしれないのですが……」

「思い出せないなら無理に思い出そうとしなくても大丈夫だよ。記憶に関しては、まぁ、何とかなると思うから」


 きょとん、とした表情でルリはミケを見る。


「それはそうと、リュカ」

「ん?」

「さっきヘーベモスのおっちゃんが来て、コイツが目を覚ましたら連れてきてくれってさ。多分、あの目玉の怪物のことが知りたいんじゃないかな」

「うーん、そうは言ってもなぁ」


 リュカは頭を掻きながらぼやく。


「ルリが何も覚えていないなら、あの目玉の怪物の事を聞いても無駄じゃないかな」

「それは仕方ないさ」


 リュカの言葉にミケは苦笑を浮かべた。


「とりあえず、おっちゃんには事情を説明しないと行けないからさ、飯を食ったらおっちゃんの所まで行こうよ。それに、もしかしたらあの目玉……おっちゃん達が解体してなければ、アレを見れば何か思い出すかもしれないし」

「それもそうだな。ルリ、ごはんにしよう」

「あ、はい。……いただきます」


 三人は朝食を摂った後、家を出て隣のヘーベモスの家へと向かう。

 玄関の横の鈴を鳴らすと、ヘーベモスが玄関を開けて姿を見せた。

 その瞬間、ルリがびくりと身体を震わせて、リュカの背後に隠れてしまった。どうやら大柄なヘーベモスの姿に驚いてしまったらしい。


「おお、来たか。さっき解析も終わったところだ」

「解析?」


 リュカの疑問に、ヘーベモスは頷いてから答えた。


「うむ。あの目玉の怪物についてだな。まぁ、詳しい話は家の中でしよう」


 ヘーベモスはリュカ達を家に招き入れ、そのまま居間へと案内する。


「うわ!」


 居間に入ったリュカは、驚きに目を丸くした。


 居間の中央には、大きな球状の水晶のような物が浮かんでいた。よく見れば、水晶の中には昨日リュカが仕留めた目玉の怪物が入っているではないか。


「出来そうな奴に解析を頼んだ結果、この怪物はやはり別の世界からやってきた可能性が一番高いそうだ」

「となると、やっぱり門を通ってやって来たのかねぇ」


 ミケはそう言って水晶に近づくと、中に入っている怪物を観察する。

 見れば見るほどおかしな生き物だ。どんな進化をしたらこのような生物が誕生するのだろうか。いや、どんな進化をしてもこんな奇怪な生物は生まれないだろう。


「となれば、だ」


 ヘーベモスは、ルリに向き直るが、彼女はまたリュカの背に隠れてしまった。


「その門の近くに倒れていたというのが、何か知っているのではないか?」


 リュカはルリを見るが、少女は首を横に振った。


 それを見て、リュカは仕方ないか、と溜息をつく。


「おっちゃん、残念だけど今は無理」


 リュカの言葉に、ヘーベモスは「む?」と首を捻る。


「今は無理とはどういうことだ?」

「この子、ルリって言うんだけどさ、記憶が殆ど無いみたいなんだ」


 その言葉に、しかしヘーベモスは「そうか、それならば仕方ないな」とあっさりと流した。


「そういや、おっちゃん。門の方は調べたのか?」


 当然と言えば当然の疑問に、しかし彼は首を横に振った。


「それがだな、お前達がコイツを持ち帰ってきたあと、お前達が見つけたという場所に調査の連中を寄越したのだが……その時には既に門はなくなっていたのだ」

「え? それじゃあ」

「うむ。手掛かりはなくなった、と言うわけだな」


 重大な事に、しかし彼はあっさりと答える。


「あ、あの……」


 恐る恐るといった様子で、ルリが手を上げた。


「わたしは、これからどうすればいいのでしょうか?」


 その言葉に、ヘーベモスは鷹揚に頷いた。


「まずは記憶を取り戻すのが先だろうな」

「……記憶、ちゃんと戻るのでしょうか?」


 不安そうに告げるルリに、ヘーベモスはリュカを見る。


「リュカ、説明してないのか?」

「ゴメン、忘れてた」


 溜息をついてから、ヘーベモスはルリに向き直った。


「この手の事に詳しい、というか記憶を失った人間の記憶を戻せる奴がいる。そいつはその内この町に来るから、そいつが来るまで待っていてくれ」


 それを聞いて、ルリは少しだけ安心した様子でヘーベモスに尋ねる。


「それって、あとどれくらいですか?」


 彼はタテガミを弄りながら、そうだなぁ、と呟いた。


「大体ひと月かふた月もすれば来るだろう。待つには少し長い時間だが、それでもヒース……ああ、先程の記憶が戻せる奴の名前だな。そいつが来ればまず記憶を取り戻すことが出来る」

「わかりました」


 彼はルリが頷いたのを見て、今度はリュカに視線を向ける。


「おっちゃん」


 すると、それまで怪物を観察していたミケが、ここに来て口を開いた。


「この生き物さ、作られたって可能性はない?」

「人造生命体と言う奴か? 確か錬金術師の連中が目標にしてるやつの一つにそんなモノがあったな」

「そんな感じ。……どう考えても、こんな生き物が生まれるなんて考えにくいんだよね」

「調査した奴もその可能性があると言っていたな。あるいは、瘴気などによって突然変異した可能性もあると」

「ああ、そっちの線もあるか」

「ま、何はともあれだ」

 ヘーベモスは改めて、三人を見る。

「リュカ、ミケ、拾ってきた以上はちゃんと面倒を見るようにな。まずは、カザリナを案内するといいだろう」


 二人は頷いて、ルリに案内するよと告げてヘーベモスの家を後にした。

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