第2話 始まりの朝
窓から差し込む朝の陽射しに、リュカはカッと目を開けた。
藁のベッドから飛び跳ねるように起きて、大きく伸びをしながら窓に向かい、暖かな陽射しを浴びる。陽射しを浴びて青い竜の鱗が太陽の光を浴びて鮮やかに輝いた。
窓から空を見上げると、大きな白いクジラが空を泳いでいた。クジラはゆっくりと空を漂いながら、時折雲に近づいては大きく口を開けて雲に齧り付いている。
「トビクジラだ!」
希少性から縁起物として有名なトビクジラを発見し、リュカは今日は良い一日になりそうだと、上機嫌に身体を軽く動かしてほぐす。
「よし!」
バチン、と頬を強めに叩き、頭に残って抵抗を続ける睡魔を完全に追い出すと、勢いよく扉を開けて部屋から出た。
すると、リュカの鼻が階下から漂ってくるいい匂いを嗅ぎ取った。香ばしい肉の焼ける匂いと、焼きたてのパンの香りだ。
劇薬を嗅がされて、リュカの腹が思い出したかのように抗議の声を上げる。駆け下りるように階段を降りてそのまま居間に突入すると、そこにはちょうど食卓に料理を並べているミケの姿があった。
「ミケ、おはよー! トビクジラ、見た?」
「おはよう、リュカ。アタシもちゃんと見たよ。こりゃ幸先がいいね。朝食の準備を終わらせておくから、顔を洗って着替えてきな」
「はーい」
リュカは元気よく返事をすると、居間を出て洗面所へと向かう。
顔を洗って、寝間着から外行きの服装へと着替える。竜人は尻尾と両手足の分厚い竜鱗によって着られる服が限られるのだが、年頃の少女でありながらそういったお洒落に全くと言っていいほど頓着しないリュカには関係なかった。
腰まで届く長く青い髪を、月光布のリボンを使って頭の後ろで一つに纏めて垂らす。鏡の前でおかしな所はないか確認し、いつも通りの自分がそこにいることを確認する。
再び居間に戻ると、食卓の上に並べ終えた料理がリュカを出迎えた。
既にミケは席に着いており、リュカを待っている。急いで向かいの席に着き、二人は今日の糧への感謝の言葉を述べる。
「いただきます!」
いつもの言葉と共に、いつもの二人の食事が始まる。今日の朝食は奇跡の麦を使った白パンに、苔桃豚のベーコン、青ヒヨコの卵を使った目玉焼き、カザリナで採れた数種類の具材が入った野菜のスープだ。
リュカは朝食でこれが出たときは、必ずと言っていいほど決まった食べ方をする。
丸いパンを二つに切り分けて、目玉焼きとベーコンを載せて挟み、大きく口を開けて齧り付く。この食べ方こそが一番美味しい食べ方だとリュカは思っている。
「ん。美味い」
ミケの方に視線を向ければ、彼女も同じように載せて大口を開けて齧り付いていた。
「うん。いい感じだね。……そういやリュカ、準備は済んでるかい?」
リュカは首肯する。今日は以前から計画していた、カザリナの外にある森の調査に向かうのだ。
「ミケの方は大丈夫か?」
「おいおい、アタシの心配かい? こういう時に準備不足で困ったことになるのは、いつもリュカの方だろ?」
その指摘に、リュカはそれもそうだ、無用な心配だったな。と思い直す。
そしてふと、リュカは食事の手を止めて顔を上げた。
「もう、五年かぁ……」
そう、ぽつりと呟いた。
リュカの両親が行方不明になってから五年の歳月が流れた。行方不明になったと聞かされたリュカはすぐに両親を探しに行こうとしたのだが、ヘーベモスを初めとする大人たちに止められてしまった。
それでもリュカは幾度となくカザリナから抜け出し、両親が侵略者と戦ったであろう森の中を探し、そのたびに道に迷って遭難し、何度も大人たちに助けられた。
そして何度目かの遭難のあと、見かねた竜人の族長がリュカに告げたのだ。森にはお前の両親はいないと。
二人が行方不明になった後、カザリナの大人達も森中を探し回ったのだ。結果として二人は見つからなかったが、そこには一つの収穫があった。
それは二人がこことは違う、異世界に飛ばされたのではないか、という事だ。
別に突拍子もないことではない。北の悪魔や不死者達は異世界から門を作ってやって来た者達であるし、カザリナにもファズミールが異世界に旅立つ際に使った、世界と世界を繋ぐ門がある。彼等が新しく門を作って異世界から攻めてきたのであれば、その門を通って異世界に退いた可能性が高い。
そこで族長は、リュカにある課題を出した。その課題を全て終わらせることが出来れば、巡礼の旅……カザリナにある異世界に通じる門を通り、赤い炎の足跡を辿りながら、悪魔や不死者達の本拠地である世界を含む様々な世界を巡る旅に出ても良いと言ったのだ。
赤い炎が巡った世界を辿れば、いずれ両親も見つかる。なにせ赤い炎は、世界の果てと、その外側までも見たと言われているのだから。
「もうじきだよ。この課題が最後なんだから」
「ん。わかってるよ」
リュカに残された最後の課題。それは、カザリナを囲む大森林、その中枢にある大瘴霊石と呼ばれる石を一つでもいいから破壊することだ。今回の調査は、その途中までの道筋と必要物資の確認である。
「ごちそうさま」
食事を終えて、リュカは自室に戻る。藁のベッドに本棚一つ、そして壁には革袋と爆砕斧という、年頃の女の子には色々問題がありそうな殺風景な光景がリュカを出迎えた。
しかしこれはリュカに限った事ではない。カザリナの竜人の寝室とは文字通り寝るだけの部屋であり、むしろ他の竜人の部屋は愛用の武器一つに藁のベッドが一つだけと言うのが基本なのだ。
リュカは壁に掛けられていた爆砕斧を手に取る。使い慣れた感触が、竜鱗に覆われた固い手の平に伝わってくる。次に大きめの革袋を背負い、準備は完了だ。
「よし、行くぞ!」
リュカが気合いの声を上げて部屋から出ると、そこには準備を終えたミケが待っていた。
その背には、リュカの革袋よりも倍近い大きさの背負い袋があった。それを見て、リュカは呆れたように声をかけた。
「……ミケ、いくら何でも荷物が多すぎるんじゃないか?」
「何言ってんだい。第四層の入り口まで行くんだから、これぐらいは持っておかないと駄目だよ。下手すりゃひと月は森の中にいることになるんだからね」
「もしかして、その中身って」
「探索に必要なのは一通り入ってるけど、殆ど食料だよ。武器ならアタシは短剣が二本もあれば充分だからね」
「飯なら森の中で調達すればいいじゃん」
リュカの楽観的な物言いにミケは溜息をついた。
「第三層では、アタシ達が食える物が採れるかどうかわからないだろ。だったら保存の利く食料は出来るだけ持ち込むべきだよ。多けりゃ次の時に減らせばいい。食料不足で調査を打ち切ったら、どれだけ必要になるのか正確な量がわからないからね」
「わかった、わかったよ」
リュカは手を挙げて降参した。こういう時のミケは何を言っても聞かないのだ。
とはいえ、ミケの言い分は正しいのはリュカも認めるところだ。リュカの荷物が大きめの革袋一つなのは、ただ単にリュカが身軽な方を好んでいると言うだけで、それを見越してミケは食料を多めに持ってきているのだろう。
ミケと共に家から出たリュカを、強い朝の陽射しが出迎えた。その陽射しを浴びて、爆砕斧の刃がキラリと輝く。
「リュカ、ほらコレ」
そういってミケが差し出してきたのは、分厚い布切れだ。リュカはそれを受け取って、爆砕斧の刃にグルグルと巻き付ける。
よし行くか、と互いに頷いて一歩を踏み出した、その時だった。
「おお、リュカとミケか。ちょうど良かった」
二人を呼ぶ声の方を向くと、そこには大きな籠を背負った大柄な男の姿があった。
彼の頭部には人の頭の代わりに獅子の頭がついており、並の大人よりも一回りも二回りも大きな体は上から下まで獣の体毛に覆われていた。その体毛に覆われた体を隠すようにやや厚めの服を着ているが、その服の上からでも分かるほどに逞しい体をしており、隆起した筋肉が彼の身体をより大きく見せていた。戦人の中でも獅子人と呼ばれる種族の獣人である。
彼は陽気に手を振って、二人に近づいてくる。その途中で、鼻の利くミケが彼から漂う血の臭いを嗅ぎ取った。
正確には、彼の背負った籠からだ。どうやら狩りに出かけていたらしい。
「ヘーベモスのおっちゃん、おはよー!」
「おっちゃん、おはよう」
二人の挨拶にヘーベモスは挨拶を返し、二人の前までやって来る。
「その様子だと、二人はこれから森にいくのか?」
「うん。これから森の調査に行くんだ」
「そうか……そうなると、お前達が町から出て行くのも時間の問題か。寂しくなるな」
口ではそう言っているものの、寂しさを微塵も感じさせないヘーベモスは、ふと思い出したかのように二人に告げる。
「そうそう、今日は森が騒がしい。獣達の縄張り争いが起こっているから、気をつけるようにな」
「他に何か異変みたいのはあったかい?」
「縄張り争いと騒がしい以外には特になかったが、強い獣の縄張りにうっかり踏み込まないように、気をつけるんだぞ」
「わかったよ、おっちゃん」
ミケが頷いて返答すると、今度はリュカがヘーベモスに尋ねた。
「あのさ、おっちゃん。今日は何を仕留めてきたんだ?」
リュカの視線が、ヘーベモスの背負っている籠に注がれる。
「ん? ああ、鉄毛熊をな。襲いかかってきたから返り討ちにしてやったぞ」
籠の中に入っている大きな肉の塊を見せながら豪快に笑うヘーベモスに、リュカは目を丸くした。
「鉄毛熊って、東の森の?」
「恐らくな。どうやら、南の森まで縄張りを広げに来たらしい。帰り際に、こっちの獣達とやり合ってるのを何度か見かけた」
それを聞いて、ミケが顎に手を当てて考える。
「となると、西の獣達も黙ってないだろうね。もしかして、森の縄張り争いって……」
「うむ。こっちの獣達と西と東の獣達、三つの勢力が争っているんだろう。だから、気をつけるんだぞ。東西の知恵持つ獣達は手強いからな」
二人は頷いてから、ヘーベモスに別れを告げて歩き出す。
森へと向かう二人は、真っ直ぐ南へと足を進める。途中ですれ違う子ども達と挨拶を交わしながら、大通りを歩いて居住区画を抜ける。朝から金属を打ち鳴らす音が響く職人区画を通って、賑やかな商業区画に入る。
すると、二人の耳にいつもよりも一際大きな喧噪が市場の方から聞こえてきた。いつも騒がしい商業区画だが、普段よりも一際賑わっているように見える。
「何だろう?」
「行ってみるかい?」
リュカは頷いて、市場の方に足を運ぶ。少しの寄り道だが、この程度ならば時間的にも大した問題にはならないだろう。
「うわ!」
「こりゃあ、とんでもない大物だね」
その姿を見て、二人は声を上げた。
市場のど真ん中に、巨大な灰色の熊が倒れていたのだ。その熊の上には獣人が乗っており、大鉈を振るっている。どうやら熊を解体している最中の様だ。
「鉄毛熊だ」
リュカがぽつりと呟いた。
「ヘーベモスのおっちゃん、あんな大物を仕留めてきたのか」
ミケが感心したように呟く。
その鉄毛熊と呼ばれた大熊は、家ほどに大きかった。四足歩行時の体高は平屋の屋根に、後ろ足で立てば二階建ての家の屋根にまで届くだろう。
「こりゃあ、解体するのに半日はかかりそうだね。……行こう、リュカ」
「う、うん」
ミケの後ろを、リュカは鉄毛熊の方を時折振り返りながら歩く。解体された鉄毛熊から巨大な肉が取り出される度に、市場の方から歓声が湧いた。
リュカは出来れば食べたかったと溜息をついた。鉄毛熊の肉はとてもうまいのだ。
「もし食べたいなら、森の中で仕留めればいいさ」
そんなリュカの内心を見透かしたように、ミケは溜息をつくリュカに告げる。
そのミケの言葉に、リュカは率直な疑問を返した。
「……オレ達で勝てるのか?」
鉄毛熊はその名の通り、鉄のような強固で強靱な体毛に覆われた熊だ。家ほどの大きさにまで成長した鉄毛熊は、戦人でも仕留めるのは決して容易い相手ではない。力を持つことが何よりも尊ばれるカザリナにおいて、獅子人の族長をしているヘーベモスだからこそ仕留めることが出来た相手だ。
「子どもなら、アタシ達でも何とかいけるんじゃないかい?」
その言葉に、リュカはまた溜息をついた。鉄毛熊の肉は子どもよりも大人の方がうまいと評判なのだ。
「もっと、強くならないとなぁ」
二人は並んで歩き、商業区画を抜ける。そうすると、カザリナと外を繋ぐ大橋が現れた。
カザリナはカザーブ山とそこから流れる大河に囲われ、更にその外側にはカザリナとカザーブ山をぐるりと囲むように大森林が広がっている。町と大森林を隔てる大河に架かる橋を、二人は雑談を交えながら並んで歩く。
そうして橋を渡りきると、いよいよ巨大な木々が立ち並ぶ大森林がリュカ達の前に現れた。
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