第17話 イカサマ


 昨晩、皇邸にて。


「あっ!」


 手元が狂い、皇は久遠から教えてもらったセカンドディールに失敗し、バーストしてしまっていた。

 既に同様のミスを数回繰り返している。少しずつ良くなってはいるが、やはりたった一晩でどうにかなるレベルではなかった。


「ミスが続いてきたな、そろそろ疲れが出てきたか」

「うぅ……かもしれない」


 弱音をこぼす皇。あくまで今は勝負ではなく授業中であるため、『血煙の女王』モードではない。基本的に、家の中では素の状態で過ごしている。


「調子が悪い時は、軽く休憩するのがいい。特にこいつが役に立つ」


 久遠は懐からタバコを取り出し、皇に見えるように机の上に置いた。


「はぁ?」

「困ったらこれを吸う、そうすりゃ気分が回復するんだよ」

「いや……私まだ未成年なんだけど」

「俺もだ。つうか、お嬢の方が歳上だろ」

「そうよ、本当なら先輩に対して敬語を使わせるところなんだから」

「一年早く生まれただけの話じゃねぇか。それにこの学園じゃ、この程度可愛いもんだろ」

「まあ、たしかに今さら未成年喫煙とか関係ないか、ギャンブルの世界に足突っ込んでるんだし」


 事実、王生学園では犯罪行為など日常茶飯事である。当然、それは裏側での話だが、皇は既に『絵札』の地位を得ているため、無関係とは言えない状態にあった。


「俺は基本、考え事をしたり悩んだり、調子の悪い時はこいつを補給してる」

「久遠って……いつから吸ってんの?」

「十三の頃からだ。東京の地下にあるサイコロ賭博場に通ってた時、たまたまカウンターに置き忘れてあったタバコを見つけてな、それ以来俺の脳みそはこいつの虜になった」

「でも、私が知ってるのとは少しタイプが違うみたいね」

「これは巻きタバコだからな、まあ……見慣れてなくて当然だ」

「あっ、そう……とにかく、私はそういうの興味ないから、却下で。タバコなんて臭いし煙たいし、無駄にお金はかかるしで、吸ってもいいことないじゃない」

「お嬢、そういう不合理で割に合わないのがいいんじゃねぇか。そもそも、ギャンブルと同じようなもんだろ。愚かなことだと分かっていながらも、人は手を出しちまう。そうやってこの世は循環してんだよ」


 何も言い返せなかった。違いはもちろんあるが、根本的な部分はあまり変わらない。どちらも百害あって一利なし。


「てか……お嬢って何よ、急に呼び方変えちゃってさ」


 久遠は親指を立てて後ろに立っている仁科を指差した。


「そこのメイドが呼び方に気をつけろって言ってきたんだよ、嫌ならやめるぞ」

「うっ……ちょっと待って、一旦休憩」


 皇は話の途中で顔を青くし、苦しそうな表情で体をソファに寝かせた。


「お嬢、その体質は本番で絶対晒すなよ」

「わかってるわよ……う、うるさいわね」


 酷く弱々しい声だった。練習とはいえ、精神的疲労は大きいらしい。


「ですが、これでは明日の勝負に間に合いませんよ。お嬢様は、まだこのクソ野郎の技術をマスターできていません」


 仁科は皇の状態を見ながら、心配そうに呟いた。


「いや、明日の勝負に関しては問題ない。恐らくだが、必要なのは演技力くらいで大丈夫だろうからよ」

「どういうことですか?」

「明日の勝負は、ゲームの内容を相手に決めてもらう。そうすりゃ、誰でも精通していそうなトランプや賽を使ったゲームは選ばれないだろうからな。ガンカードやグラ賽を使われるリスクもあるし、何より技術面でもイカサマしやすい」

「ちょっと待ってください! それじゃあ、さっきまでクソ野郎はお嬢様に何を教えていたんですか?」

「もちろん、イカサマの基本技術だ。避けられる可能性も高いが、決してゼロじゃないしな。自分じゃなくて、相手がイカサマしてきた場合にそれを見抜く力が必要になる。今日のはそっちが本命だ」


 イカサマを身につければ、自然と相手が使用した際に見抜くこともできる。久遠はあらゆる可能性を視野に入れていたのだった。

 説明を聞いて、仁科もある程度は納得したらしく、顎に指を添えて驚いた顔を見せていた。


「けれど、相手にゲーム内容を決めさせるというのはリスクが大きいのでは? そんなことをすれば、相手に有利なゲームを仕掛けられてしまいます」


もっともな指摘だった。自分でゲームの内容を決められるのなら、誰だって有利なものを選ぶはずだからである。

 野球選手であれば野球、格闘家であれば格闘技、将棋士であれば将棋、数学者であれば数学など、自分の得意ジャンルをあえて選択するのは当然のことだ。

 つまり、相手にゲーム内容を決めさせてしまえば、自然とこちら側が不利になってしまうということになる。


「たしかに、相手の土俵で勝負するってのはリスクが大きい。けどな、お嬢にはそもそも得意分野なんてない。基本的には、どんなゲームであっても不利になるのは目に見えてるだろ。そして、それは逆に考えると、お嬢に対して有利不利をつけられるゲームってのは相手の手札にない可能性が高い」

「そうですが……だからと言って、相手にゲームを指定させるのは危険なんじゃ」


 仁科から不安の色は消えていなかった。


「むしろ、その方がこっちとしてはやりやすいんだよ」

「えっ……どういうことですか?」

「相手がイカサマを仕掛けて来てくれる方が好都合だって言ってるんだ。なんたって、絶対に勝てるっていう欠陥を自ら加えてくれるんだからな」

「あの……言っていることの意味がよくわからないのですが……」

「イカサマってのは、勝つためにやることだ。でも、それは相手に見抜かれた際、自分を殺す凶器に変わっちまうのさ。相手のイカサマを利用すれば、不利な状態でも勝ちが見えてくる。だからあえて、ここは相手にゲーム内容を決めさせるんだよ」

「な、なるほど……まだ私にはリスクが高いように思いますが……本当に上手くいくんですか?」

「さぁな、俺は神様じゃねぇし、未来が見える超人でもねぇ、んなことわかんねぇよ」

「そう……ですよね。あっ……」


 仁科はソファに横たわる皇に目を向け、彼女が既に気を失ってしまったことに気づいた。

 そんな彼女の頭を優しく撫で、仁科は常に仮面が張り付いたような顔に穏やかな笑みを浮かべた。


「おいメイド、そういやなんでてめぇはお嬢に仕えてんだ? 単なる従者にしちゃ、ずいぶんとご執心じゃねぇか」


 久遠が問いかけると、仁科は軽く半目で睨み返し、呆れたようにため息を吐いた。


「クソ野郎は、本当にクソ野郎ですね。私だって、これでも一人の異性ですよ? デリカシーに欠ける発言は控えてください」

「んだよ、そんなにまずい話だったのか?」

「私の母は、元々は本家でハウスキーパーをしておりました。代々、仁科家は皇家に仕えてきたんです。そして私は、この学園でお嬢様の面倒を見るようにと言われ、こうして日々お仕えしているわけです。別に、特別な感情などはありません。単なる、主人と従者の関係でしかないのですよ」

「特別な感情はない、か。とてもそうには見えねぇな」


 久遠はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら返した。

 恋愛経験こそないが、昔からギャンブルに身を預けてきたこともあり、嘘を見抜く力は高い方だった。


「正直に惚れてるって言えよ、面倒くせぇ女だなぁ……」

「メイドが主人に特別な感情を抱くなどありえません。別に初めてお会いした時の笑顔が素敵だったとか、不意に見せる弱々しいところが魅力的だとか、そんなことこれっぽっちも思っていませんから!」

「全部自分で言ってんじゃねぇか」

「うるさいです! というか、クソ野郎こそさっきは急に態度を変えて、いったいどういうつもりなんですか?」

「あ? 何のことだよ」

「ふん、惚けても無駄です。最初は渋っていたというのに、突然お嬢様のために尽くすと言い出したじゃないですか。あれはどういうことですか?」

「あー、そのことか……いや、ちょっと似てるなって思っただけだよ……」


 久遠はどこか懐かしさを覚えたように、柔らかく微笑んだ。


「俺も幼い頃から、ギャンブルで勝たなきゃ明日がなかった。だから好きでもねぇのに、何度も無茶した。そのせいか、どうも放って置けなくなっちまったんだよ」


 ギャンブルをしなければ未来を歩むことができず、自由とは程遠い生活を強いられ、孤独に時間を浪費し続ける人生。もはや久遠と皇は一種の合わせ鏡だった。


「そうですか。どうやら、嘘は言ってないようですね。少し安心しましたよ。実のところ、まだクソ野郎のことを信用したわけではありませんでしたので」

「俺も安心したよ。簡単に信用されちゃ、逆に心配になっちまう」


 久遠と仁科は、同時に軽く吹き出した。それはお互いがお互いに初めて見せる、自然に生まれた笑みだった。


「クソ野郎、これからお嬢様のこと、どうかよろしくお願いします。天才ギャンブラーなどと周囲には思われていますが、本当は賭け事が恐ろしくてしょうがない、一人のか弱い女の子ですので」

「はっ、わかってるよ。ったく、責任重大な御守りだぜ」


 久遠は軽く苦笑を交えて返した。



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