八話 罠の先に見えた光明

「ぐおっ!? うわぁ~!」

「ウキャキャ♪」


 狒々ヒヒが仕掛けた罠を踏み抜いてしまい、右足に絡んだ蔦に引っ張り上げられ逆さ吊りになる。落とし穴に吊り籠、泥塗れや大量の虫、その他諸々合わせて今日だけで引っ掛かった数は十回を越える。


「ウキキキキキキー♪」

「いてっ! クソ猿がぁ~!!!!」


 俺が罠に掛かるとどこからともなく現れて、罠に掛かっている俺に木の実を投げつけて挑発してくる。


 この罠狒々が仕掛ける罠の厄介なところは全ての罠に囮や偽装を用意しているところだ。

 いかにもココに落とし穴がありますよ。という見た目の罠があり、それを避けて通ったところに本命の落とし穴が仕掛けられていたりする。

 逆に何もないところでわざと狒々が隙を見せていて罠があるのかと警戒させられたりと、周囲を観察することに集中力を割かれるので、動きだけ追っていた法則狒々の時とは違って精神的な疲労が半端ではない。


「殺したり重傷を負わせるつもりの仕掛けが無いことだけが唯一の救いだな......生傷だらけだけど」

「ウキョ?」


 ゴ~ンと遠くの鐘の音が聞こえてきた。日没を告げる鐘だ。

 毎日の修行はこの鐘が鳴ったら切り上げることになっている。


「もう日没かぁ。これからまたあのクソ猿は罠を設置し始めるわけか……」

「キッキ、キッキ」


 心身共に疲労感に苛まれているので出来ればもう寺に戻って水浴びして寝てしまいたいが、罠狒々が罠を設置している光景には興味があった。


「修行は時間通り切り上げたけど、帰り道で散歩しちゃいけないなんて決まりは無かったよな~」


 誰に言うでなし独り言ちてから、辺りをキョロキョロしながら歩いていく罠狒々の後をゆっくりと追跡することにした。


 五分ほど追っていると仕掛ける場所を決めたらしく、両手でせっせと穴を掘っている。

 やはり式神なだけあってか普通の動物よりも行動が素早い。

 動きの速さという訳ではなく、次に何をするのかが頭の中に入っているからすぐに次の行動に移せているという印象だ。


「ん? 罠の近くになにか投げた?」

「ツナ殿? 散歩もほどほどに。帰りが遅いから迎えに参りましたぞ。疲労を抜くためにも休息時間はきっちりと取ってくだされ」

「うぉっ!? 師匠!?」


 気配も無く突然後ろにキイチ師匠が現れた。しかも散歩って言ったし、俺が独り言ちたあの呟きも聞かれていたのか? もしかしてこの山に居る間の言動は全部筒抜け!?

 底知れない師匠の力に驚愕していると不意に師匠が俺を小脇に抱えて飛び上がった。


「おぉおぉぉ!?」

「お静かに。着地するときに舌を噛みますぞ」


 そのままピョンピョンと木々の上を跳び繋ぎ、あっと言う間に本殿前に到着した。

 疲弊した身体で先ほどの場所から暗い山道を歩いて戻れば小一時間は掛かっていただろうと考えると木の上ショートカットの速さがよく分かる。


「今のは僅かな魔力での内功型の身体強化魔法しか使っておりませぬ。我々烏天狗カラステングの特徴として翼により身体に掛かる負担の軽減などはしておりますが」


 身体強化は極めて利便性に優れているので是非ともモノにしたいところだ。俺でもああいったことが出来るようになるのだろうか。


「さぁ、早く汚れを落としておいでなさい。夕餉にいたしましょう」

「は、はい!」


 俺が気にしたからか力の一端を見せてくれたのだろう。

 キイチ師匠にはまだまだ何かあるのは間違いないが、それを全部見れるのはいつになる事やら。


■ ■ ■


「それで昨日はご兄姉妹きょうだいに会っておられたのですか?」

「はい。キント兄様とサダ姉様とは思ったよりも濃い時間を過ごせました......。妹のエタケはまだ一歳にもなっていないのでサキ母様に抱かれている顔を少しだけ見せてもらっただけですが」


 修行後の夕餉の席でキイチ師匠に昨日の兄姉妹たちとの面会の話をした。

 サキ母様から妹のエタケはキント兄のような特異体質でもなければ、俺の時のように難産にもならなかったと聞かされた。平穏無事でなによりだ。


「お前の妹のエタケですよ」とサキ母様から抱いている薄桃色の髪をした赤子の顔を見せてもらったときは言い得ぬ不思議な感動に包まれ、この子は俺が守ってやるんだ。という気持ちが自然と湧いていた。


 前世では両親と家族三人での暮らしだったので祖父や兄姉妹が居る今世はとても新鮮に感じている。


 ただ、前世をあまり引き摺っているつもりはないのだが、まだヨリツ殿とサキ様を自分の父母として見ることが出来ていない。

 二人が自分が死んだときの年齢よりもまだ若いというのも少しはあるだろうが、やはり未だに前世の両親に対しての後ろめたさを感じてしまっているのだと思う。

 願わくば二人のことも自分の親だと思えるようになりたいものだ......。


■ ■ ■


 今朝は修行開始の合図でもある日の出を告げる鐘が鳴るとともに、昨夜罠狒々が仕掛けていた罠のところへ向かった。


「たしかこの辺りに......。あった! これだ!」


 注意深く探してみると罠狒々が仕掛けていた罠の横に「呼」という一字が書いてある親指の爪くらいの小ささの紙片を見つけた。


「なんだろう? 呼......。呼ぶ? 呼吸? 点呼? どういうことだ?」


 気になって紙片を手に取ると僅かに光って消えてしまった。


「なんだったんだ今のは?」

「キ?」

「うおっ!? どっから湧いて出た!!」


 昨夜の師匠かと思うほど一切の気配も出さずにいきなり目の前3mほどのところに罠狒々が現れた。こちらがまだ罠に掛かっていないのにこんな現れ方をするのは初めてだ。

 もしかして先ほどの紙片は転移装置のようなものか? 「呼」の文字通り、俺が罠に掛かったときに狒々を呼び出す為の道具なのかもしれない。


 罠に掛からずとも直接紙片に触れたから現れたのか? 

 まだ確証を持てないが罠狒々を突破する光明が見えた気がする。


 今回はいきなり出現したことに驚いている間に罠狒々には逃げられてしまったが、次は上手くすればこちらから攻勢に出れる可能性がある。

 そのためにもまずは奴が設置した罠を探し出して、あの紙片を確保しなければならない。


「罠狒々ではなく、罠を探す。か......」


 ふーーーっと深く息を吐いて集中する。身体を低く屈め、目を凝らし僅かでも不自然な痕跡が無いか探りながらゆっくりと前進する。

 地面に散らばる木葉の一枚一枚に気を配り、周囲の木々の樹皮の皺をも注視する。

 昨日は罠狒々を追い掛けては気づかぬうちに罠に引っ掛かってばかりだった。


 どれくらい時間が経っただろうか? 太陽は既に真上に来ていた。山中とはいえ真昼の木漏れ日によって周辺の明るさが増している。気温も上がってきたのか少し身体が熱い。


「ん? あれは……?」


 山道の端に不自然な小枝が突き刺さっている。

 普段であれば只の枯れ枝だと目にも入っていなかったであろうそれだが、神経を集中して見ている今だと意図的に立っているように見える。


「見つけたか?」


 慎重に慎重にゆっくりとその枝に近付く。これが囮の可能性すらあるのだ。

 もう少しという所まで近寄り、目を皿にしてより一層警戒してみるが周囲に他の罠らしき痕跡は見当たらない。つまりこれが本命の一つ。

 あと1mの距離まで近寄ると、立っている枝の下に蔦が結んであるのが見えた。その先は落ち葉を上に被せて偽装してあるようだ。

 慎重に手で払い除けるとそこには蔦を縄のような太さまで結んで輪っかのようにしてあるものが見えた。おそらく輪っかの中を踏むと足を捕られる括り罠というやつだ。


「ビンゴだ! 紙片は輪の中心に置いてあるぞ」


 今朝のは直接触れたことで起動したのかもしれない。俺は罠を起動しないようにそのあたりに落ちていた枝を箸のようにして、輪の中心にある紙片を挟んでそっと持ち上げる。

 ......紙片は光らなかった。


「よし。次はこれが罠狒々を呼び出す効果があるのかを検証だ」


 俺はそのまま罠から3mほど後ずさり、枝で挟んでいた紙片を掌に乗せる。

すると今朝と同じように紙片が少し発光し消失した。

 すぐさま腰帯に差していた手製の木刀を抜き、攻撃の準備として上段・火の構えをとる。


「キー? ギッ!!」

「来た! 見た! 勝った!」


 推測通り、罠狒々は今朝と同じ距離の位置に突如出現した。

 そう。そこは奴自身が仕掛けた罠の上。状況を把握できぬまま一歩動いた瞬間に自らの罠に引っ掛かったのである。


「はぁっ!」

「ギギィィィイイイイイ!!!!」


 罠に掛かって混乱している隙に踏み込み、上段からの唐竹割が罠狒々の頭蓋を直撃する。 木刀は折れなかったが手にかなりの衝撃がきた。石頭め。


「ギギギギ......」

「せいっ! たぁっ!!!!」


 呻き声をあげて両手で頭を押さえる罠狒々のがら空きの胴に右薙ぎ、勢いのままに身を捻って背後に回りトドメの袈裟斬りを叩き込んだ。


「ギッ......。グエッ」


 木刀による三連撃を受けた罠狒々はうめき声をあげるとボンッ! と煙をあげて呼び出された時の人型の札になった。


「はぁ、はぁ......」


 法則狒々の時と違って罠狒々が人型の札になったのは、受けたダメージが許容量を越えたということだろうか。


 息が上がり身体が熱い。思えば一撃目の唐竹割以降は咄嗟の動きだったというのによく身体が反応出来たものだ。

 剣道など中等部に入ってすぐの授業以来だが、あの頃は周囲より運動能力も優れていて優越感に酔いしれていたな。

 尤も運動の出来た要因は俺の身体が早熟だっただけで、周囲の二次性徴が終わるころには体格差が無くなりどんどんと追い抜かれていったが。


「いやはや、まさか二日目で呼紙よびがみを見つけ出すどころか罠狒々を形代かたしろに戻してしまうとは。ツナ殿には驚かされますな。それがしの予測としては罠を踏めば現れる事を見破り、わざと罠に飛び込んで現れた狒々を捕獲するものかと思っておりました」

「師匠の予測を上回れたことを嬉しく存じます!」


 罠狒々を倒すと案の定どこからともなく師匠が現れる。

 どうやら今回の実戦修行も師匠の想定を超えていたらしく、うんうん。と頷きながらとても褒めてくれた。


「それに罠を探して目を凝らし続けていた時、また最後の三連撃の二、三撃目でも無意識かもしれませぬが雷による身体強化魔法を使っておられましたね」

「え!?」


 全く意識をしていなかった師匠の言葉に驚く。身体強化魔法を使った覚えも使えるようになった覚えもない。


「ツナ殿の魔法は身体の一部に対して刹那のうちに何度も連続して使われておりましたよ」

「なるほど? 普段よりよく見えたり、身体が反応出来たのはそのせいだったんですね」


 ......まさか神経や筋肉へ魔法で電気刺激を与えて動かしたのか? 


 どうやら命素量が少なく極微量な魔力しか扱えない俺なりの戦い方が少し見えてきた気がする。


「お、ぐぅぁ!?」

「ツナ殿! 如何なさいました!?」


 胸が、いや、身体が熱い。

 異変に気付いた師匠が駆け寄り俺の装束を脱がせる。


「こ、これは!!」


 後から聞いた話だが、この時、師匠は初めて俺の全身に広がる雷の火傷痕を見たらしい。

 心臓を起点に四肢に伸びるそれはまるで血管のように脈動し青白い光を放っていたそうだ。


聖痕せいこん............」

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