【八枚目:ノート】

 「ただいま」と言いながら宿の引き戸を開けると、受付にいた女将さんと目が合った。

 女将さんは「お帰りなさいませ」と微笑むと軽く頭を下げる。


(しまった、ついいつもの癖で……!)


 自分の体温が上がっていくのが分かる。

 拓海は顔を赤くしながらもう一度「ただいま」と言うと、部屋へと続く廊下を歩いた。



 寝る支度を済ませると、部屋の灯りを消して布団に入った。

 窓から見える夜空にはたくさんの星が散らばっている。


(オリオン座がハッキリ見えてる……)


 街の光があってはなかなか見ることのできないほどの星空。いつもならすぐにでもカメラを構えていただろう。

 しかし、カメラのバッテリーが切れているせいで写真に写すことはできなかった。


 それからしばらくの間はその星空を眺めていたが、数分後には気持ちよさそうな寝息が聞こえていた。



 午前八時。持ってきた荷物をまとめると受付で鍵を返却した。


「ありがとうございました」


 女将さんにお礼を伝えると、この町に来るのに使ったのと同じ駅に向かって歩き始めた。



 坂道を下り緩やかなS字カーブを曲がると海が見えてくる。

 その手前にあるバス停のベンチには、小さな鳥が数羽だけ止まっていた。


(まだ来てないのか)


 いつもなら五分前に来ても、十分前に来ても必ず自分より先にいた少年。だが、今日はそうではなかった。


「ちょっとごめんな」


 そう言って小鳥たちが飛び立ったベンチに座る。

 別にバスを待っているわけではない。電車が来るまでの間、暇を潰すために寄り道したのだ。

 しかし今日に限って話し相手がいなかった。スマホを取り出すも相変わらず圏外のまま。

 今回撮った写真を見返そうにも、カメラのバッテリーは切れている。加えて予備もとっくに使い果たしていた。


 他に何か持ってきていなかったかとリュックを漁ると、一冊のノートを見つけた。

 今の仕事に就いてから書き始めた日記のようなものだ。ここに来てからも、その日の出来事を毎晩このノートに書き留めていた。

 改めて読み返してみると、一週間の間に悠斗の名前がよく出てくる。実際、二人で一緒にいる時間はすごく充実していた気がした。


 そして一日目のページを読んでいる時、「何読んでるの?」とノートを覗き込んできたのは悠斗だった。

 驚いて「うわぁ!」と声を上げると勢いよくノートを閉じる。


「もしかして、見られたくないことでも書いてあった?」


「ちがっ、日記だよ日記!」


「じゃあ隠す必要ないでしょ?」


「誰かに見せるために書いてるわけじゃないから……恥ずかしいんだよっ」


「写真は見せてくれるのに日記はダメなんだ?」


「それとこれとは別なの」


 そう言うとノートをリュックに押し込んでチャックを閉めた。

 それから拓海は腕時計に目をやると、時刻は電車が来る十五分前になっていた。


「もうそろそろ駅に行かないと」


 ベンチから立ち上がると荷物を手に持った。持ってきたものが少なかったおかげであまり重くはない。


「電車が来るまで、俺も一緒にいていい?」


 悠斗の問いかけに「もちろん」と答えると、二人は駅を目指して歩き出した。

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