自己紹介
*
その光景は、異常を見慣れた職員の目にも異様に映った。
患者衣を着た少年が、両手を腰紐につながれて、さらに磁気式の刺股に似た器具を二本も使い、警備隊の手で移送されている。
少年の丸みを帯びた目はどこを見ているのか判然としない。童顔だが身長からして成長期の終わりは近いだろう。表情は穏やかそのもので、背筋を真っ直ぐに患者衣とセットで渡されたであろう緑のスリッポンで床を蹴っている。
先を歩いている中年男は、上のフロアには滅多に出てこない立場である。
つまり少年は、人に興味はあっても人命には興味をもたず、人よりも人ではないなにかに執着する博士に注目されているのだ。実態を知る職員の注意を引かないわけがない。
少年は、そのまま大型貨物用エレベータに乗せられ地下へ降りていった。
そうなれば、もはや上の職員には、少年がどうなるとも知る
ほとんどすべてが黒く塗りつぶされた資料として――。
*
ナギが見上げる階数表示がB15で停まり、分厚い金属扉が騒々しく開いた。壁や天井の白さは変わらないが、通路は広く天井は高く、人間が少なかった。また行き交うのは白衣が二に種々雑多な私服が二、残りは武装した警備員だ。
磁気式の棒で腰を突き押されてナギは前に進んだ。またいくらか歩いて真っ白な扉の前で止まり、今度は中へ押し込まれる。通路と同じ白壁に緑の床だ。白い机を挟んで二脚の椅子が置かれている。天井の四隅にボール型の監視カメラ、右側の壁の上半分は鏡になっている。先導していた白衣の中年男は隣の部屋に入っていたことからマジックミラーになっているのだろう。
「……あの」
ナギはマジックミラーに映る自分の姿を見て、肩越しに振り向き警備員にいった。
「髪の毛を乾かすの忘れちゃったんですけど」
警備員はなにも答えずにナギを奥の椅子へと押し込んだ。いつでも電気ショックを与えられるように、一人がナギの背中にスタンバトンを押し当てていう。
「抵抗すれば通電する」
事務的な通達だった。腰紐から手錠が外され、束の間ナギの両手は自由になった。しかし、すぐに新たな錠につけかえられる。今度は床にボルト固定された丸環と繋がっていた。
警備員が部屋を出ていき、ナギ一人だけが部屋に残された。ごく微かに電子機器の発する唸りが聞こえる。マジックミラーに目を向けても奥は見通せない。ナギは小さく息をつき、椅子に深く座り直して瞼を閉じた。
次にナギが瞼を開けたのは、叩きつけるように強く扉を開き、大柄な少年が入ってきたときだった。年は十七、八だろうか。短く刈り上げた髪を整髪料で逆立たせ、高校の制服を思わせる紺色のブレザーを着ていた。ワイシャツの裾は出し、靴は黒革のローファーだ。十人が十人、少しばかり元気が過ぎる高校生と評価するだろう。
少年は隠しきれない苛立ちを眉根で表し、荒っぽく椅子を引いてナギの対面にドッカリと座った。右手で白い机を強く叩いて威嚇してから、ゆっくりとした動作で茶色い紙のファイルをテーブルに置いた。
「はじめまして」
粘りつくような言い方で少年はいった。
「日本平凡維持機構、一等調査官のヘロド・ヨシタカだ」
「はじめまして」
ナギはぺこりと頭を下げていった。
「Cです」
「あ?」
「ヘロド・ヨシタカってどういう字を書くんですか?」
「――引き戸の戸に呂布の呂、また戸に、
「はじめまして、慶隆さん」
いって、またナギが頭を下げた。
慶隆は片眉を釣り上げ、片足を椅子の座面に乗せるようにして、背もたれに体重を預けた。
「C、っていったか? 本名は?」
「平凡維持機構ってなんですか? 警察のお友達ですか?」
へっ、と慶隆が薄ら笑いを浮かべた。
「友達というより親戚だな。警察が俺らの甥っ子って感じだ」
「自衛隊も親戚の子ですか?」
「聞いてるのはこっちだ」
「なんでしたっけ?」
「本名は?」
ナギは少し首を傾げ、マジックミラーを一瞥し、慶隆に向き直った。
「
「――お前、ナメてんのか?」
「制圧したのなら、その資料を見れば分かるじゃないですか」
ナギは机の端で斜めに置かれている紙のファイルを指すよう顎を振った。
慶隆が紙のファイルを指先で叩きながらいった。
「お前の口から聞いて、次に資料を確認する」
「そういうマニュアルですか?」
「何者だ、お前」
「
ナギはいった。慶隆がファイルを無造作に開き、何枚かに分けられた紙の資料を見つめながら口を開いた。
「そう書いてあるな」
「そうでしょう」
「だがどう見ても二十五には見えない」
「童顔なんです」
ナギは微笑みながらいった。
「それより、その資料、置き方が気になるんですけど」
「あ?」
「ですから――」
バチン! と机の下から音がし、慶隆が目を見開いた。ナギは右手を伸ばしてファイルに触れる。慶隆が椅子を蹴るようにして立ち、ブレザーの裾を払うようにして腰に手を伸ばした。ヒップホルスターに拳銃が差してあった。
ナギは紙のファイルを机の角と辺に対し平行になるように回転させ、少し端に寄せてから、右手をあげた。
慶隆がいまにも銃を抜きそうな気配でいった。
「お前――っ!」
「すいません、気になっちゃって」
いいつつ、ナギは右手をひらひらと振りながら、外したばかりの手錠を左手に取った。よく見えるように、半分に割れた鉄の環に右手を入れて、あらためてキリキリと閉じた。
「はい、これで安全です」
ゴクン、とはっきり聞こえるくらい大きな音で、慶隆が生唾を飲み込んだ。
ナギがマジックミラーを見やると、その奥からも緊張が伝わってきた。
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