この恋の倍速再生を止めたい 第7話

 「砂丘、思ったより楽しかったな」

 「うん、行って良かった。ショウくんへの愛も叫べたし。告白の映像、早ければ今日の夜に放送って言ってたよ」


 鳥取砂丘を辞し、松江へ向かうレンタカーの車中。ショウはさきほどの出来事を反芻していた。正直言って、アヤカからの告白は驚いた。これまでの人生において、あれほど大声で人から自身の名前を呼ばれた記憶はない。ましてや愛の告白だ。『砂丘の中心で愛を叫ぶ』は、ショウに劇的な印象を与えていた。


 ショウは少しだけ疲れを感じていた。早朝から飛行機に乗り、砂丘を登頂し、今は車の運転中だ。大晦日のため車通りは少ないが、慣れない道を運転するのは精神的にも消耗する。松江のホテルに着いたら、一眠りしたいなと思った。


 「ショウくん、グミ食べる? すっぱいやつ。目覚めるよ」

 「ありがとう、もらうよ」

 「あっ、危ないからハンドルから手離さないで。食べさせてあげるから。あーんして」

 「……あーん」


 助手席に座るアヤカが、口にグミを押し込んでくる。口に入れた瞬間、強い酸味を感じた。確かにこれはいい眠気覚ましになりそうだ。


 「すっぱ」

 「もう一個食べる? はい、あーん」

 「……あーん」


 サイドガラスから差し込む日光は頂点を超えて徐々に西に傾いており、さえぎるもののない田舎の空の広さを伝えている。アクセルを踏むのに合わせて後方へ流れていく田園と住宅。街と街の間をつなぐ、山を切り開いたトンネル。長閑で、単調な景色が続いていた。


 ふと静かになった隣を見やると、両手にグミと包装を持ったまま、アヤカが船をこいでいた。元気そうなアヤカを見て、入院生活をしていたにも関わらず意外と体力があるんだなと思ったが、さすがに疲れたのだろう。眠った彼女を起こさないように、静かに車を走らせ続けた。


-


 「ごめんね、寝ちゃって。運転してくれてるのに」

 「いいよ、疲れてたんだろ。俺も眠いし」


 松江市内にあるホテルに到着し、チェックインを済ませる。宍道湖が見える大きな窓が印象的なツインの部屋だ。初めは海が見えたと思い「オーシャンビューだ」と言ったのだが、実際は大きな汽水湖らしい。ロビーに置かれたパンフレットを見るともなしに見ながら、アヤカへと向き直った。


 「ごめん、ちょっと一眠りしていいかな」

 「うん、いいよ。ゆっくり休んで。ご飯になったら起こすね」

 「ありがとう。せっかくの旅行なのに悪い」

 「全然大丈夫だよ、こちらこそ運転手伝えなくてごめんね」


 お互いに謝り合いが続きそうだと思ったので、「おやすみ」とだけ伝えてベッドに横になる。アヤカは、別のベッドに腰かけて、スーツケースの中身を整理していた。目をつぶると、すぐに睡魔が襲ってきた。ああ、やっぱり身体は正直だ、と思いながら、まどろみに落ちていった。


-


 夢を見ている。夢なのに、これが夢だと分かる感覚。いわゆる明晰夢というやつを見ているのだろう。


 いつかの日のこと。そこには、ショウとアヤカの2人だけがいた。アヤカは、どこかの部屋のベッドの上でずっと眠っている。ショウは、何もすることができず、ただアヤカの手を握っている。ずっと。


 いつからこうしているのか判然としない。だが、とても長い時間が過ぎているような気がしていた。


 ふっと、時間が経過した、また別のいつかの日のこと。今日もアヤカは眠っている。ずっと目を覚まさない。穏やかな寝息を立てている。つう、と涙が頬を伝った。ショウは、いつの間にか泣いていた。


 窓の外に見える太陽は西に沈み、夕日は燃えるような赤をたたえている。眠るアヤカの顔に、カーテンの隙間から一筋の光が差し込む。それはまるで、血のような赤。これは夢。いつのことなのか、どんな出来事なのかはわからないが、たぶん悲しい夢――。


-


 部屋に差し込む、西日の赤で目が覚めた。スマホを見ると、時刻は夕方。夕飯にはまだ少しだけ早い。眠っていたのはほんの小一時間程度だったようだが、頭はスッキリして、疲れも取れている。目元をこすると、涙で濡れていた。泣いていたのか。そういえば、何か、とても悲しい夢をみていたような気がする……。


 ふともう一つのベッドを見ると、アヤカがいなかった。スーツケースは閉じられ、床に置いてある。声をかけてからユニットバスのドアを開けてみる。いない。どこに行ってしまったのだろう。急に不安が込み上げてきた。そうだ、スマホだ。メッセージを送ればいい。


 『いまどこ?』


 ぴこん。と部屋のどこかから聞こえる着信音。テーブルの上に置いてあるアヤカの小さめのバッグの中からのようだ。悪いとは思いつつ、開けて中を見てみる。アヤカのスマホがあった。


 ふと見たバッグの横のテーブルに、ホテルに備え付けのメモ用紙が1枚置いてあった。


 『ちょっとお散歩にいってます あやか』


 そうか。散歩に行っているのか。旅先だし、周囲の散策に出かけたくなったんだろう。眠っているのを起こさないように気を使って、メモを残していてくれたんだな。そう。ただそれだけのこと。それだけのことのはず……。そう自身に言い聞かせるものの、ショウは、言いようのない不安を感じていた。何が自身をこんなに心配な気持ちにさせているのかわからない。だが、いまは一分一秒でも早くアヤカに会いたかった。くそ、なんでスマホを置いていったんだ。スマホさえあればすぐに連絡が取れるのに。この不安を解消してほしいのに。


 取るものもとりあえず、部屋を飛び出した。スマホと鍵だけは忘れないようにしないと。部屋に入れなくなるし、アヤカが連絡してくるかもしれない。大急ぎでエレベーターを呼ぶ。くそ、早く来いよ。ボタンを連打する。焦りに身体が支配されていた。小走りでホテルの玄関前に出て、あたりを見回す。田舎なのに道が広い。目の前には車道が走っており、右と左に遊歩道がつながっていた。どっちだ? どこにいったんだ?


 ふと、車道を挟んだ反対側に、石造りのテラスがあることに気付いた。近くの看板には、『宍道湖 夕日スポットテラス』と記載されている。走る車の切れ間を見て、車道を横切った。なんとなく直感で、足が向いていた。


-


 宍道湖に沈む、燃えるような太陽。真っ赤な夕日が照らす白い石造りの階段。汽水湖の波が打ち寄せるその淵に、アヤカは背を向けて立っていた。


 「アヤカ……ッ!!」

 「え……?」


 アヤカが、驚いてこちらを振り向く。後ろ姿なので正確には本人と同定はできなかったが、思わず声をかけていた。顔を視認して安心し、彼女を抱きすくめていた。


 「え……? え……? ショウくん、どうしたの?」

 「どうしたって……! 心配したんだぞ! スマホも置いていなくなるから!」

 「え……ごめん、なさい。ちょっと、お散歩のつもりで……。ホテルの前だし、すぐ戻るからって……」


 鬼気迫る表情で問い詰めてしまったからか、アヤカは驚いていた。というより、ちょっと泣きそうになっている。


 アヤカを抱きしめていると、徐々に冷静さを取り戻してきた。そうだ、客観的に見ればなんのことはない。ただ眠っている彼氏を気遣ってメモを残して、ホテルの前にある湖沿いのテラスで散歩して、すぐ戻るのだからと手ぶらで来ただけだ。何もおかしなところはない。むしろおかしなのはショウの方だった。


 「あ……、ご、ごめん。ちょっと、変な夢みて。心配になったから。怒鳴ってごめん……」

 「そうなんだ、ううん、大丈夫だよ。心配させて、ごめんね」


 なんだか、とても恥ずかしい気持ちになってきた。夢をみて、それで心配になって大騒ぎして、彼女に慰められている。まるでお母さんにあやされる小さな子どもみたいだ。


 「……夢って、怖い夢だった?」

 「ああ……。よく覚えてないけど、なんだかとても悲しい夢だった」

 「そっか……。……ねえ見て、夕日。キレイだよ」


 アヤカに促されて、湖に目を向ける。先ほどまでは、その赤色がただただ恐ろしく見えていた。でもいまは、穏やかなオレンジ色が優しく照らしているような気にさせられる。


 「ねぇショウくん、スマホ持ってる? ほんとは後で2人で来ようと思ってたんだけど、どうせならいま写真撮っちゃわない?」

 「あ、ああ……。持ってるよ。撮ろうか」


 2人で湖を背にして、スマホを持って自撮りをする。うまく収まるように、くっついたり離れたり。2人を入れようとすると夕日が入らず、夕日を入れるとどちらかが見切れる。ようやく収まった。シャッターを切る。うん、いい感じに写っている。


 「写真、あとで私にも送ってね。一生の思い出。記念になったよ」


 写真を撮ったあとの、何気ないいつものやりとり。相手のスマホで撮った画像を自分にも要求する、ただそれだけの言葉。それだけのはずなのに、なぜだか今のショウには、とても重要な約束のように感じられた。絶対に聞き逃してはいけないような、そんな大切な言葉のような――。



-


 「ごはん美味しかったね~」

 「ああ、ホテルの晩ごはんって感じで豪華だったな」


 夕食後、部屋に戻って雑談に興じる。ゆったりとした時間が流れていた。窓の外は既に日が落ち、闇の中にはまばらな市街の明かりがまたたいている。


 アヤカが、わざとらしく思い出したように言った。


 「……そろそろ、お風呂入ろっかな」

 「あ、ああ……! 先入っていいよ」

 「う、うん。じゃあ、先に入るね」


 いそいそと支度をして、アヤカがユニットバスのドアを閉めた。ご飯も食べた。日も暮れた。風呂に入って、もうあとは、寝るだけ……。


 ザー……ッと、シャワーが浴槽を叩く音が聞こえてきた。妙に緊張してきた。このドア1枚を隔てた先で、アヤカその裸身を晒している……。


 なんとなくテレビを点けてみたが、一向に頭に入ってこない。大晦日の正月特番で、芸人がガヤガヤと騒いでいる。そういえば、砂丘の告白は早ければ今夜放送と行っていたっけ。こちらにいる間に見られるだろうか……。ケーブルテレビにチャンネルを合わせると、地元小学校の行事の模様が放送されていた。なんとなく落ち着かないので、テレビを消した。


 しばらくの後、ガチャ、とドアが開いた。可愛らしいネグリジェ? のようなパジャマに着替えたアヤカが立っていた。髪は濡れ、湯上りのため顔は上気し、なんともなまめかしい雰囲気だ。普段の清楚なお嬢様然としたアヤカとは違う。アヤカが、妙に元気な声でお風呂の交代を促してくる。


 「お、お風呂、お先にいただきました~……!」

 「あ、ああ。じゃあ俺も」


 ユニットバスに入り、服を脱ぐ。浴槽が濡れている。先ほどまでアヤカが使っていたのだから当たり前だ。先ほどまでここでアヤカが身体を洗っていた……腕から? 頭から? む、胸から……? 雑念を振り払い、シャワーで身体を洗う。いつもより念入りに。歯磨きも済ませた。ホテルに備え付けの浴衣に着替えて、部屋に戻る。


 「あ……っ! しょ、ショウくん、浴衣似合ってるね。かっこいいよ」

 「あ、ありがとう……!」


 なんとなく、会話がぎこちない。いつもはこうはならない。お互い、これから何が起こるのかを分かっているからこそ、緊張しているのだ。期待もあるが、同じくらい不安も大きい。


 「そ、そろそろ寝るか?」

 「そ、そうだね? 寝ようか?」


 電気を消して、お互い別々のベッドに潜り込む。違う、そうじゃないんだ……でも段取りが分からない……。こういう時は普通どうするんだ? どういうきっかけで始まるんだ? いや、男が勇気を出して誘うべきなんだろう。こればっかりは、女の子からというわけにはいかないだろう。さすがに、アヤカといえども誘いにくいはずだ。


 「なあ……」

 「ねえ……」


 ほぼ同時に、2人の声が重なった。心臓が、バクバクと音を立てている。


 「あ、アヤカからどうぞ」

 「う、ううん、ショウくんからいいよ」


 ああ、譲られてしまった。もう、これは覚悟を決めよう。ムードのある誘い方なんて分からない。ストレートに、呼びかけるしかない。


 「な、なあ。こっち来ないか……?」

 「え!? う、うん、いいよ……」


 がさり、と布団が持ち上がる音がする。視界の端に、アヤカが歩いてくるのが見える。俺の布団をまくって……あっ……脚が……身体も……入ってきた……。


 ぴたりと背中にくっつく、アヤカの手のひら。浴衣から出たショウの脚に触れる、素足のアヤカの爪先と、ふくらはぎのすべすべした感触。触れている箇所が、じわりと熱い。意を決してもぞもぞと布団の中で身体を返し、アヤカに向き直る。正面に、アヤカの顔があった。目が潤んで、口は何かに期待するようにわなわなと震えている。きちんと、言わないと。


 「あ……アヤカ、なあ、その、いいか……? セックス……しても」

 「う、うん……。い、いいよ……。わ、私も、ショウくんと、せ、セックス、したい……」


 そのあとは、もうお互い止まらなかった。いつものようにキスを交わして、次第にそれがお互いの唇を貪るようなものへと変化していった。唇から歯へと舌を這わせ、さらにその奥へと差し入れる。お互いの舌を突き出して押し付け合うと、唾液が口からあふれ、布団に垂れ落ちた。ショウはアヤカの身体をまさぐり、アヤカもショウをきつく抱きしめていた。動くたびに、ベッドがきしんだ。2人の荒い吐息と汗が濃密な湿気となって部屋を満たし、嬌声が残響となってこだましていた。そうして2人は初めての夜を、最後の瞬間まで上り詰めた。


-


 「……しちゃったね」

 「……ああ、しちゃったな。嫌だった?」

 「ううん。すごく気持ちよかった……。ショウくんはどうだった?」

 「……俺も、スッゲー気持ちよかった。初めてだったし」

 「そうなの? じゃあ、お互い初めて同士だね」


 裸のまま、ベッドの上で寝転がっている。ショウは、アヤカの髪を撫でながら。アヤカは、ショウの胸をさすりながら、心地よい時間が流れていた。ふと、アヤカが頭を上げてベッド備え付けのデジタル時計を見る。時刻は0時を回っていた。


 「あけまして、おめでとうございます」

 「あけましておめでとうございます。なんか、変な感じだな」

 「ふふ、そうだね。まさか初めて会った時から、こんなことになるなんて」

 「ほんと、偶然だよな。奇跡かもしれん」

 「でも、私はショウくんに会うためなら、ずっとあのベンチで待ってたから。自分で奇跡をつかみ取ったんだよ」


 アヤカが、冗談めかして笑う。確かにその通りだ。あの日、ショウがきまぐれで病院へ向かった夜。アヤカがベンチに座っていなかったら、連絡先の交換はしていない。そう思うと、いま2人でこうして並んで寝ている時間が、とても尊いモノのように思えた。


 「俺だって、アヤカに会うために、何度でも病院に通っただろうな」

 「ほんと? 嬉しいな。じゃあ、この奇跡は2人がつかみ取った奇跡なんだね」


 コトが終わったあとの余韻に当てられているとはいえ、なんともこっぱずかしい会話をしていると思った。だが、いまはそのこそばゆさがなんとも心地よく、気持ちよかった。一線を越えたという事実に気持ちは高揚し、ようやく彼女と一つになれたという大きな幸福感を感じている。アヤカもそうなのだろうか?


 まるで夢のような、この時間がずっと続けばいいのにとさえ思った。いや、続いてほしかった。


(つづく)

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