第13話 虚意(こい)に堕ちる③

 一瞬、何かの見間違いかと思った。でも何回確認しても、それはアナセン様にしか見えなくて。私の脳裏に良くない推測が浮かんでしまう。もしかしたら、私が誘拐したという誤解が関係しているのではないかと。


「アナセン様!」


「どうしたの、ルル!? 危ないよ」


 思わず駆け寄ろうとした私の前を、女王様は立ち塞がって止められる。


「女王様! アナセン様が、私の主様あるじさまが城の兵士に連れて行かれてて」


「取り敢えず落ち着いて! まずは誤解を解かないと、ルルも捕まるだけだよ」


 確かに女王様の言う通りだけど、でもそもそも何でこんな誤解をされているのか検討も出来ない。

 焦る私はそう言えば今目の前にいる人が誰なのかを思い出す。落ち着いて考えれば話は簡単だ。だって、誘拐されたと言われる女王様はこうして目の前にいるのだから。


「女王様も一緒に来てください。誤解だって女王様の口から説明して頂けたら、こんなこと直ぐに……」


「———ごめん」


「え?」


 それは予想だにしない一言だった。目の前の女王様は目を伏せてそう声を発した。


「……それは、出来ないよ」


「なぜですか?」


「わたしが、あの部屋を出られたのは今日だけだったから。わたしが、自由になれるのが今日だけだから」


「……それは、捕まるのが怖いからですか?」


 私の問いに女王様は小さく頷いた。さっきまでの自信に満ちた姿とは違い弱々しく見える。

 女王様が話す内容を私は何も理解出来なかった。正直、女王様に何か事情があるとしても今は関係ない。だって、私が女王様に望むことはとても単純なことだから。


「少し話して、誤解を解いてくれるだけで構いません。だっておかしいじゃないですか。今こうして女王様はここにいるのに」


 そもそも私を連れ出したのは女王様だ。さっきだって、抱き抱えられていたのは私で。

 でも女王様はうつむいたままで何も答えてはくれない。


「このままだと、国民のみんなも心配します。一国の主として、貴方はきちんと———」


「周りを見てよ、ルル」


 私の言葉を遮るように女王様はそう告げた。

 私たちが今いる建物の前を人々は普通に行き交っている。屋上で話し込む私たち二人に不審な目を向ける人もいるけれど、至って普通の光景だ。おかしいことは何もない。


「わたしはさっき、この国の女王としてみんなに顔見せをしたばっかりなんだよ?」


 女王様の言うことで私はおかしなことに気付いた。確かに、女王様がこんなところにいて、こんなに騒ぎにもなっていないことは普通ではない。


「今のルルになら、分かるんじゃないかな? 色々この国に対して、何かおかしなことがあるでしょ?」


「……おかしいこと」


 正直、今こんなことを話す余裕はない。今にもアナセン様は兵士に連れられていて、でも心音が何か警鐘けいしょうを鳴らすようにどくんと跳ねた。

 今目の前にいる非常識なことを平然とやってのける女王様。あの儀式の光景、視界に映る自然では決してあり得ない大きさの大樹。五年に一度決まって行われるこの祭り。確か、このお祭りの目的は———


(……五年に一度、決まって代わる女王)


 頭の中に様々な疑問が湧き水のように浮かび上がる。違和感はあった。でもいつの間にか当たり前のことだと受け止めていた。なぜ私は、そして誰も、こんなどうみてもおかしなことに疑問を感じていないのだろう。


「前の女王が誰かなんて、ここにいる人は誰も答えられないよ」


 女王様はどこか自虐じぎゃくじみた表情でそう語る。


 確かにこの国はおかしなことだらけだ。でも今はそんなことどうでもいい。それに私自身受け入れている訳ではないけど、女王様が自らこう言っていた。


「先ほど、貴方が言ってたじゃないですか。あの儀式の時、魔法でみんなの記憶や認識を書き換えたって。そんなことが可能ならば、今のこの誤解を解くことなんて簡単なことではないのですか?」


 魔法たちを吹き飛ばして、廊下の壁を蹴破って、大樹のつたを自由に操った。こんなことを行えて、誤解だと伝えることが出来ないなんて納得出来ない。それに、何でも出来ると女王様自身が私に言ってのけたことだ。


「出来ないよ、そんなこと……」


「出来ないって……。貴方がそうだって」


「……今日だけなんだ、わたしがこうして魔法を使えたのは。いつこれが使えなくなるのか、わたしには何も分からない。この力を管理してたのは、きっと城にいる人だから。だから、この魔法がある内にわたしは早くここを抜け出して……」


 私には女王様がごねる理由が分からない。ただこれは誤解だって説明してくれるだけでいいのに。私はそんな無茶な要求をしているのだろうか。この人はあんな不思議な力を持っていて、この国の女王で、私と違って何でも持っているのに。


「……私はそんな無茶なことを言ってますか?」


 ただ黙り込むこの人を見て、私は彼女がこの国の女王であることすら忘れてしまう。それは、俯くその姿があまりにも弱々しかったから。一国の主としての尊厳も自負もなくて、自分勝手で無責任なことを言うただの子供にしか見えないからか。


「…………何が、出来るんですか?」


 それは思わず出た言葉。でも後悔なんて微塵みじんもない。そう言わずにはいられなかった。


「……ルルも。そのアナセンって人は、奴隷を働かせている悪い人なんでしょ。なんでそんなに必死になるの? そんな場所、抜け出して自由になればいいじゃん! 今がそのチャンスなんだよ?」


 その言葉を受けて、私の胸の奥が大きく揺れる。沸々と何かが湧き上がってくるのを抑えられそうになかった。この人が私を連れ出したせいでこんなことになっているかもしれないのに、何でこの人は知りもしないのに、こうも勝手なことを言えるのだろう。


「……何を知っているんですか? アナセン様はそんな人じゃない! 奴隷ってだけで、勝手に私を可哀想な人だって決めつけないでよ! そもそも、貴方が私を連れ出したりするからこうなって———」


 もしこの人に連れ出されたりしなかったら、今頃私はあの屋敷に帰ってみんなとこんなことがあったって、そんな想像が脳裏にぎってしまう。


「ルルだって、わたしのこと何も知らないでしょ! さっきも聞いたけど、じゃあなんでそんなに辛そうな顔してるの。そんな顔をしていなかったら、わたしはルルを連れ出したりしなかったよ!」


「なんだ、あれ? 喧嘩か?」

「子供じゃないか、あんなのほっとけばいい」

「あんなところで危ないでしょ」


 私たちの言い争いに周りも何事かと集まり出していた。でも、誰もがただの子供の喧嘩だと思い込んでいるようだった。本当に今、私の目の前にいるのが女王だって知らないように。こんなことをやっておきながら、この人はさっきから自分の都合ばっかり言って。


 私は目の前に立つ少女の肩を掴む。ちょっと押すだけでこの人は簡単に地面に倒れ込んで、私はその少女を上からにらみつける。申し訳なさそうに顔を歪ませるその表情に、ただ怒りが湧いてしまう。


「貴方はこの国の女王のくせに、冒険がしたいからって、そんな子供みたいなことで、国民のみんなにこんなことして。そうやって自分の責任を放ったらかすんですか? 無責任にも程が……」


「だから、それはわたしじゃないって言ったじゃん! あの時は身体が勝手に動いたって。ルルには分からないよ。あの部屋で、ずっと独りで過ごし続けたわたしの気持ちなんて」


「意味が分からない、さっきからずっと……。こんな身勝手な人のせいで、アナセン様が……、二人が……」


「わたしはただ、ルルを自由にしてあげたいって、そう思って……」


「そんなこと、私は言ってない。貴方はさっきから、自分の責任から逃げたくて駄々をこねているようにしか聞こえません。私の、やっと出来た居場所を、奪わないで———」


 その時、私が押し倒しているこの人の顔に雨粒が落ちた。それが私の目から溢れ出しているものだとは直ぐには気づけなくて。気付いたらもう、この涙を抑えることなんて出来なくて。


「……ルル」


 私が、私自身がそう言った。私の“居場所”。


「いたぞ! こっちだ!」


 集まる群衆を掻き分けて、甲冑を着込んだ兵士たちがこちらに向かってくるのが見えた。


「……ごめん、ルル。わたしには、今この時しかないの。本当に、……ごめん」


 そう呟いたこの人に、私はまた無理やりに抱き抱えられてしまう。必死に抵抗しても、決してその手は離そうともしない。さっきはあんな簡単に押し倒されたくせに。


 私の身体は再び宙を舞う。どんどんと重力に身を任せるように落ちていく。

 私がいたアナセン邸が目の前に映って、必死に手を伸ばした。今になって。今まで散々救いの手は差し伸べられていたのに、今になって。


「……馬鹿だ、私」


 この人に言った、奴隷というだけで救われないって決めつけていたのは、私だった。

 奴隷だからって独りで駄々をこねていたのは私だった。

 こうなったのは、私のせいだ。


「本当に、本当にっ、馬鹿だ。私は……」


 環境も周りの人間にも恵まれていて、私はただ、その手を掴めば良かった。

 そんな簡単なこともしないで、ずっと子供みたいに駄々をこねて。


 気付いたんだ。全部が手遅れになった時にやっと。


 救われようともしない人は、ずっと救われないって。

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