【7日目 まわる】

朝。ドナトス修道士はぽっかりと目が覚めました。


まだ目まいはしますが、幸い熱はだいぶ下がったようです。寝台に起き上がった瞬間、ずっと生首のコスドラスをほったらかしにしていたのを思い出し、慌てて枕元の物入れ袋を調べてみると彼は目を閉じて大人しく眠っていました。

やれやれと安堵して、簡単に衣装を整えてから厠を使わせてもらおうと廊下に出ると家のどこからか大声や悲鳴のようなものが聞こえてきます。何かあったのか?と修道士が心配したのと同時に恰幅の良い主が小走りで現れました。どうやらひどく興奮しているようです。

「ああ修道士様!お目覚めで良かった!奇蹟です、奇蹟が起こったのです。ぜひ調理場に来てその目で見てください!」

「奇蹟?」

ドナトス修道士がいぶかしく思っている間に主に腕を引っ張られ強引に調理場に連れ込まれました。あたりには焼きたてのパンの美味しそうな匂いが漂っています。

大皿に大きなパンが積み上げられ、そんな皿が幾つも並べられていました。「これはまたたくさんのパンですが…」

その時、主の妻らしい女性が叫びました。

「私は見たのです!天使様たちがそこのかまどでパンを焼いているのを!」


「天使が?」

「そうなのです。夜明け前に調理場から物音と灯りが見えたのですが、いつもと雰囲気が違うので召し使いのジータが何かやらかしているのかと覗きにきたのです。そうしましたら!」

女性はそこでひざまずくと恍惚とした表情で天井を見上げました。

「調理場は光にあふれ、かまどの前に何人もの天使様がいてパンをどんどん取り出しているのです。私が思わず声をあげそうになると、天井でくるくるまわる金色に輝く顔だけの天使様が私を見ろしていたのです。金色の天使様は私に話しかけました」

ドナトス修道士は(もしや?)と思いましたが黙っていました。女性の話は続きます。


「金色の天使様は威厳のある声で命じられました。病の修道士を親身になって世話した素晴らしい召使いのジータは毎朝のパン焼きや料理で疲れ果てている、料理人などを雇い彼女をもう少し楽にさせてやれと。そうして眠っているジータの代わりに天使様がパンを焼いてくださったのです!」

主と妻は感激の涙を流し、ドナトス修道士はさてどうしたものかと考えました。

『奇蹟』を認めるのはまだただの修道士である彼の領分をこえていますし、まず絶対にコスドラスが何かをやったようですものね。


「しばらくして気がつくと、調理場には誰もいずたくさんの焼き立てパンがありました。そこで大慌てで主人に伝えに行ったのでございます」

その時、少しぼやけたジータの声が隅から聞こえてきました。

「奥様?何か…私は寝過ごしてしまったのですか?」

かまどの横で眠っていたらしいジータが目をぱちぱちさせています。

主と妻がジータのそばに駆け寄り、手を取って興奮した声で話しかけています。その隙にドナトス修道士はそっとその場を離れると部屋に戻りました。


袋の中からいささか乱暴に出された生首のコスドラスはにやにやと笑って楽しそうでした。

「何をやったんです?」と少し怖い顔をしながらドナトス修道士が尋ねます。

「世話になった恩返しをしただけだよ。貯蔵室にあるだけの小麦粉を使ってどっさりパンを焼いてやったのさ」

「あの人は天使の姿を見たと」

「そうさ。俺は首だけだしパンの焼き方など知らないが、あいつらはまあ何でもできるからな」

「あいつらって」

その辺りで主夫妻が部屋にやってくる気配がしたので、慌ててコスドラスを隠してそれ以上は聞けませんでした。


ドナトス修道士はすぐに立派な客間へ案内され、主夫妻から大変なもてなしとジータのつきっきりの看病をを受けました。豪華な食事が出されましたがまだ具合の悪いので困ってしまいました(高級ぶどう酒が飲めるのでコスドラスはご機嫌でしたが)。


数日後、元気になったドナトス修道士は別れを惜しむ主夫妻とジータに別れを告げて旅立ちました。近々山の上の修道院から偉い人たちが奇蹟の確認に来るという連絡が近所の教会からあったので、その前にこの家から離れることにしたのです。生首を隠しているのに調査を受けてはたまりませんからね。名前も告げなかったので恐らく謎の修道士扱いを受ける事でしょうが今は仕方ありません。


「まったく、ひどい騒ぎをおこしてしてくれましたね」

杖をついて歩きながら胸元のコスドラスに愚痴をこぼします。

「いいじゃないか。恩返しはきちんとしておかんとな。あの貯めこむばっかりの主夫婦もさっそく料理人を雇う事にしたようだから、これで彼女も少しは楽になるだろう」

「恩返しにしても派手すぎましたよ!近所の人たちが見物にきたり大騒ぎになったじゃないですか!」

「派手な方が有り難みが増すんだよ」


修道士は、全くこの生首は神聖な存在をぞんざいに扱って…と少々嘆きながら懐の中のジータが持たせてくれた天使の焼いたパンにそっと触れました。

(つづく)

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