【6日目 眠り】

ドナトス修道士と生首のコスドラスは旅を続けました。


とにかく本来の目的地に辿り着こう、コスドラスは旅をしなければならないようだし、目的地には偉い聖職者の方も各国から集まる学者も大勢いるから到着後の事もなんとかなるだろうとドナトス修道士は生首に告げました。

「異端扱い」されないかは心配でしたが、そこはコスドラスが「俺が神の威光を聖堂で高らかに喋りまくれば大丈夫だろうさ」と気軽に請け合ってくれたのでとりあえず彼に任せる事にしました。


コスドラスがどうしても歩きながら周囲の景色を眺めたいと要求するので、ドナトス修道士は立ち寄った修道院で譲ってもらった布を、首から胸元に下げる小さな物入れ袋に器用に仕立てました。

そこに生首を入れ、目の部分に細い穴を開けて外が見えるようにしました。幸い首は軽いのでさほど負担にはなりません。少し揺れるのだけは我慢してもらいました。

それでもコスドラスは喜んで、外を眺めながら機嫌良く喋り時には低く鼻歌を歌っていました。

でも修道院や民家に泊めてもらう時には布にくるんだ聖遺物箱の中で大人しくしてもらいました。何かの拍子に生首を見られては騒ぎになりますからね。


徒歩の旅ですから、雨に濡れたり、森の中の木の根元で野宿をしたり、大きな修道院の大聖堂を訪れたり、満天の星空を眺めたり、そうやって修道士と生首はゆっくりと進みました。

その間色々と話はしましたが、相変わらずコスドラスは自分の過去の事はほとんど喋りませんでした。

ただ、どうやら偶然出会った無人の教会一帯の領地が彼の一族が治めていた故郷であること、胴体の行方はわからないこと(「多分どこかの墓地でもう骨になっているだろうしどうでもいいさ」)、妻子などはいなかったことがわかりました。

そして首を切られてコスドラスが生首になってから何十年も経っているのもわかりました。

「世間は大して変わってないな」というのがコスドラスの感想でした。

実際はドナトス修道士の子供の頃に国同士の大きな戦争があって今いる国の名前も国王も変わっていますが、彼は興味が無いようでした。


「でも神の教えは変わっていませんよ」と修道士は諭しましたが、コスドラスはふんと鼻で笑いました。

まさに「神の奇蹟」で生首という不思議な存在で生きている彼がそんな態度をとるのを、修道士はひどく不思議に感じるのでした。


そんなある日の夕方。2人はとある村に辿り着きました。

珍しくドナトス修道士は発熱で体調を崩していて、それ以上歩くのが辛くなっていました。コスドラスもさすがに心配したのか「今夜はこの村のどこかの家に泊めてもらおう」と主張します。

村の外の山の上に目的地の修道院の建物が小さく見えていますが、もう無理だと感じたドナトス修道士は道沿いの一軒の大きな家に近づき、裏口の扉を叩きました。とにかく体を休めたかったのでたとえ納屋のようなところにでも泊めてもらおうと思ったのです。

さすがに聖遺物箱にしまう余裕も無いので、胸元の袋の中でコスドラスも目立たないように息を潜めていました。

呼びかけに応じて、小柄で生真面目な雰囲気の女性が扉を開けました。きっちりとまとめた髪、質素な衣装に前掛け。この家の召使いでしょう。

彼女は修道士の顔を見た瞬間、「まあ修道士様!とてもお顔の色が悪いですよ」と叫びました。


「突然申し訳ありません。急に体調が悪くなりこの先の修道院まで辿りつけそうにありません。こちらの納屋の隅で一晩休ませてもらえないでしょうか?」

「納屋ですって?とんでもありません、ぜひこちらの部屋でお休みください」

女性がドナトス修道士の腕をとって屋内へと案内します。すぐに小さな部屋に入ると荷物を降ろさせて寝台に寝かせました。

「お楽にしていてください。すぐに暖かい食事と薬湯をお持ちします」

てきぱきと面倒を見てもらいドナトス修道士がほっと安堵した時、部屋の入り口に恰幅の良い初老の男性が姿を見せました。この家の主のようです。

「ジータ、これはなんの騒ぎだ?」

召使いの女性はジータという名前のようです。

「病気の修道士様をお助けしたのです、旦那様」

ジータがはっきりと返答し、男性が渋い表情になりました。

「確かに具合がお悪いようだ。しかし今の我が家にお世話する余裕も部屋も…」

「私の食事をお分けしますし、この私の部屋と寝台を使っていただいて私は調理場の隅で休みます。そこならばご家族の迷惑にはならないでしょう。神様にお仕えする方を見捨てるなどとんでもない事です」

男性は諦めたように溜息をつきました。

ドナトス修道士はかすれた声で「ご迷惑を…」と男性に話しかけましたが、彼は手を振りながら「いやもうお気になさらずに。ジータは困っている人を見ると放っておけないのですよ」と諦めたように言うと姿を消しました。


ドナトス修道士は申し訳なさでいっぱいでしたが、高熱でそれ以上頭が働きません。やがてジータが器に入れた暖かいスープを持ってきてくれました。

「これはあなたの分の食事では?」

ジータはくすくす笑いました。

「私は他にも食べる物がありますから大丈夫です。旦那様は決してケチな方ではないのですよ。ただとても心配性なのです」

勧められるままに野菜スープを食べ、少し苦い薬湯を飲むとやがてドナトス修道士は眠ってしまいました。ジータは寝具を整え、灯りを消すとそっと部屋を出て行きました。


生首のコスドラスは一部始終を枕元に置かれた袋の中から見守っていました。何か考えがあるのか、そのまま眠らず動かずじっと時が過ぎるのを待ちました。


深夜。家の中が完全に静かになった頃。そっと袋から飛び出たコスドラスが跳ねて扉に近づくと奇妙な事に音もなく開きました。そのまま廊下に出て、用心しつつ家の奥へ移動します。

かなり広い調理場に辿り着くと、釜戸の横に毛布にくるまって眠っているジータを見つけました。コスドラスは彼女の膝に乗ると静かに話しかけました。

「眠りの世界にいる者よ。そなたの願いを言ってみよ」

今まで誰も、ドナトス修道士も聞いた事がない威厳に満ちた声です。

ジータは目を閉じたまま、かすかに眉をひそめました。

「願い…ゆっくり眠りたいです。毎朝毎朝、朝早くからパンを焼かないといけません。でも私は疲れています。でも料理人がいないので私がパンを焼くように奥様に命じられています。辛いです。もっと眠りたいです」

最後は少し涙声です。コスドラスは膝の上でくるりと回転しました。

「わかった。明日の朝はゆっくり眠れるようにしてやろう。安心してもっと深く眠りなさい、そなたの疲れが全て消えるように」

ジータの寝息がゆっくりになりました。本当に深く寝入っているようです。


コスドラスは彼女の膝から降りると、思い切り高く跳ねて調理台の上に乗りました。辺りを見ながら呟きます。

「パンの焼き方なぞ知らないがな。まあ連中が知っているだろう」

(つづく)

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