生首と修道士【web公開版】

【5日目 旅】

コスドラスが女性に話しかけられて驚いた瞬間、彼は雪原に立っていました。

先ほどの透明の板できた小屋はもうどこにもありませんし、女性も馬もいません。

吹きつける雪まじりの風は冷たく、コスドラスは裸足です。寒さに震えながら途方にくれていると、何かに呼ばれたような気がしました。ふと足元を見ると、雪の上にきらきらと輝く緑色の光る線がどこかに向かって伸びています。コスドラスは仕方なく、ふらふらとその線を辿って歩き始めました。

雪の冷たさに耐えられなくなった頃、周囲はいつの間にか岩山のような景色に変わっていました。視線の先、低い岩山の上に見知らぬ男が座っているのが見えます。

とりあえずコスドラスがそちらに向かって歩き始めると、男の独り言が聞こえてきました。

「お前はつまらない、つまらない」

男は地面から何かを摘まみ上げると、手で握りつぶしました。指の隙間から砂のようなものが流れ落ちます。

「怒鳴って板を叩いて皆に嫌われているだけだ。叩くならもっともっと面白いものを叩け」

コスドラスが近くに立ち止まって黙っていると、男はこちらを向きました。ボロ布を体に巻き付けただけのような服装です。手足は痩せて細く顔も皺だらけで老人のようですが、しかし両眼は強く輝いています。

「お前は面白そうだな。しかし逃げてきたか」

コスドラスはむっとしました。

「悪いか。殺されそうになったからだよ」

男は愉快そうに笑いました。

「そうかそうか。しかしどこまで逃げても逃げられんぞ」

「もっと歩いて別の場所に行くさ」

「無理だな。ここからはどこにも行けない。お前は重すぎる」

「重い？」

男はコスドラスをじっと眺めました。

「お前はもっと軽くなれ。そして旅に出ろ。面白い場所を見つけられるぞ」

「…旅になぞ。俺は館を出られない。逃げられる金も無い」

「逃げることと旅は違う。軽くなったらどこにでも行ける。軽くなったら柵をこえて、どこまでもどこまでも無限に遠くまで行ける。歩くも飛ぶも自由自在だ」

「柵？柵などどこある。領地の境界か？」

コスドラスがそう尋ねた瞬間、目の前が暗くなり何も見えなくなりました。男の声だけが耳元で響きます。

「旅に出ろ。歌え。天を呼べ。柵をこえればお前にもわかる。お前を遮るものなどこの世界にはないという事が」

「…で、その夢から覚めて色々あって俺は生首になった。あいつが言ってた軽くなれというのは首だけになる事だったんだろうな。確かに軽いよな」

長い話を黙って聞いていたドナトス修道士は呆れたようにコスドラスの顔を眺めています。

「色々って。今の夢の話はさっぱり訳がわかりませんよ。目が覚めてそれからあなたの身に何があったんですか？私が知りたいのはそこなんですよ」

「だから奇妙な夢だと言っただろうが。首を切られた理由は、そうだな思い出せたらおいおいに話すことにする」

「じゃあ、せめてあなたの本当の名前だけでも教えてください。忘れたとは言わせませんよ」

コスドラスは返事をせずにくるりとむこうを向きました。

「長々喋って喉が渇いた。ぶどう酒を飲ませてくれ」

名前だけはどうしても言う気にならないようです。ドナトス修道士は本当にこのまま旅を続けていいのかと悩みながら溜息をつきました。

（つづく）